刃物を直す砥石、人の心も治す砥石

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活に密着した道具の中のひとつに「包丁」があります。それこそ100均で売っているものから、有名ブランドまでこれまた沢山の種類がありますが、我が家では、結婚記念としていただいた老舗の包丁メーカー「木屋」の包丁を愛用しています。刃物のメンテナンスは私の個人的な趣味でもあるのですが、刃研ぎのプロ、「刃研ぎ堂」さんという職人さんの存在をついこの間知りました。流浪の刃研ぎ職人と言えば良いのか、あちこちに出向かれて、小さな露店を広げ、その場で研ぐという独特のスタイルで仕事をしておられます。私が研ぐのはあくまで趣味。プロの研ぎ方とはどういうものか、興味津々でして、たまたま今日、近所に来られることを知ったので、ワクワクしながら、お願いしてきました。

やっぱりね、プロの仕事は違います。本当に小さな露店ながら、砥石等の道具は使いやすいように整理されていますし、研ぐ手つきもとても綺麗。当然刃物の蘊蓄も楽しくて、スパっと切れるものだけが良いのではなく、少しバリを残した方がトマトの表面で滑ることなく切れるようになる等、目から鱗の話しを聞け、しかもその場で実演していただくことができました。
小1時間くらいお話していて、特に印象的だったのは「グラインダーや回転砥石とかの機械でやるとその場限りは良いかもしれないけど、道具としては役立たずになっちゃう。昔ながらの砥石で研いであげるのが一番良いやり方。不便なのが一番だよ。便利になるってのはその分どこかに歪みが生まれるんだよ」という言葉でした。

確かに現代社会の方が便利であることは議論の余地はないでしょう。でもその便利はもう「過剰な便利」になっているのかもしれません。材木も人の手で鉋をかけたものと、機械でかけたものとでは、後々生じる反りなどの問題発生率が全く違うのだそうです。何でも機械任せで本当に良いのかと深く考えさせられました。

物とのつき合い方はとても難しいことです。最近、自分プロジェクトとして、自分の所有する物を全て写真に撮るということをやっているせいもあって、つくづくそう思います。でも、撮影していくうちに、物は大きく二つに分けられることに気づきました。ひとつは「手入れや修理をしていけば一生使える物」と「便利で新しいものを取り入れる必要がある物」です。前者は修理すること、手入れをすることが前提に作られ、後者はいわゆる使い捨て、買い替えることを前提に作られています。

どちらにも一長一短あるとは思うのです。手入れの時間を惜しむ程多忙であれば、後者を選んだ方が良いという物とのつき合い方もあるでしょうし、一つの物を慈しんで使う方が幸せだというつき合い方もあるでしょう。ちなみに、私は断然前者の立場の人間です。

しかし、良く考えてみれば、本当はどんなものでも手入れは必要ですし、使っていれば壊れる日もやってきます。それが当たり前です。これは人間関係に置き換えてみると良く分かると思うんですが、些細な行き違いがあったり、仲違いがあったりしても、相手が大事な人だったら亀裂が入った関係を、壊れた関係を直すのが当然だと思うのです。そういう意味で別に高価なものばかりではなく、自分が好きな物は手入れをしてあげる方が自然なのではないかと思います。

刃研ぎ堂さんの元には、刃こぼれした包丁、刃が焼き付けを起こしてしまった包丁、曲がってしまった包丁などなど、傷んだ包丁が担ぎ込まれます。持ってくる人はその刃物に何らかしらの愛着あるのだと思います。傷んでしまった刃物を直すと同時に、傷んだ刃物を見て傷んだ人の心をも治してくれるのが刃研ぎ堂さんの砥石なのだと、つくづく感じました。

さて、我が家の包丁ですが、9年ぶりにプロの手によりメンテナンスされ、いただいた当時の切れ味を取り戻しました!家内はもちろん大喜びですが、気のせいでしょうか、何だか包丁も嬉しそうに見えるから不思議なものです(^^)

刃研ぎ堂さんの研ぎっぷりを動画で撮らせていただきました!是非ご覧あれ!

2 コメント:

h さんのコメント...

切っ先からあごまで頻繁に動かすんですね。これを参考にうちの包丁を研いでみます。

Kazumoto さんのコメント...

そうなんですよ。研ぎたいところを押さえてはいても、全体を頻繁に動かす感じですね。

砥石は一番安い黒のもので十分で、スパッとした切れ味を出すには目の細かい砥石を使うのが良いらしいですよ!