完全記憶(トータル・リコール)の切実な必要性

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既にシゴタノ!で佐々木正悟さんが「「ライフログ」が変える心」を、倉下忠憲さんが「完全記憶(トータル・リコール)がもたらすもの」という文を寄稿されていますので、『ライフログのすすめ』という書籍があることをご存じの方は多いことでしょう。私も倉下さんが主宰する読書勉強会 in Evernoteにも投稿しました。

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実は昨晩、義母が倒れて救急車で病院に搬送されるという事件がありました。原因は脳卒中とのこと。命に別状がないというのは不幸中の幸いでしたが、軽い後遺症のようなものが出る可能性は否定できないというのが心配です。

当然家族としては「何故そのような状態になったのか?」が一番気になるところです。しかし、医師としては血圧の上昇だとか、ストレスだとか、食生活が重要だとか、アバウトな答えに終始するばかりです。義父は共に暮らしていても、義母がどういう生活を送っているのかまるで知らない様子ですし、義兄は当然仕事があるので、義母の日常生活は知りません。つまり日中の義母の生活はブラックボックスなのです。そこで、脳裏を過ぎったのが上記の本『ライフログのすすめ』です。

本書を一読しただけでは、ワクワクするけど何に直結するかイマイチわからなかった「ライフログ」というものが、今回の事件で一気に「これは今すぐ必要な物」だと認識せざるを得ないものになりました。
そう、まさに義母の日常生活を記録したログがあれば私たちが取れる選択肢はもっと広がり、多角的な分析ができ、正確な予防法を見つけられたかもしれないのです。ログがあれば、医師にもっと深く原因を分析するよう交渉できたでしょうし、血圧のログがあれば、ここ1年のデータをすぐさま見て、いつ頃から血圧に変化が現れたのかも一目瞭然だったはずです。食事も毎日の食事の写真を見ていけば、具体的に何の摂り過ぎなのかも一発だったはずなのです。ストレスレベルのログ(血圧?動悸?脈拍?)があれば、医師と互角に折衝できたかもしれません。

著者は何度も「すでにライフログは実現可能」であることを強調しています。そして病気を抱えている身として、私もライフログには強い魅力を感じます。正確には、スグにでも使いたい。なぜなら私の場合、例えば「頭痛がする」とか「胃が痛む」とか、「精神的な落ち込みの波はどうか」などをメモするのはとても難しいからです。どうあがいても言語化し共有できないのです。「刺すように痛い」と言っても多分、人それぞれ想像する痛みのイメージ、痛みの強さは違うでしょうし、頭痛や気分を言語化することなんて本当に難しいことです。

見聞きしたこと、位置情報、身体の状態、心理状態等など、自分の行動の全て、自分が体験したことの全て、人生のありとあらゆることを「自動的に」記録し保管し、それらを簡単に検索して取り出すことができる世界が目の前に来ているというのは、義母の例と、私の例を考えれば、病気を患ったときいかに重要かは想像できるでしょうし、そういうシーンでこそ、収集したログも、最大限に力を発揮する場面の一つと言って良いでしょう。
もっと進化して、それこそ、iPhoneに「痛み」が記録されて、医師の端末に接続すると、医師もその痛みを味わえるようになれれば良いのに!と思います。たまにいるじゃないですか?「ハイ、ちょっと痛いけど、我慢してくださいね〜」ってかるーく言って、マジで激怒するくらい痛いことする医者が。どれだけ痛いか体験させてやりたくなるじゃないですか(笑)

それはさておき、現時点で取れるライフログは残念ながらまだまだ断片的なものにならざるを得ません。それでも何かしらログを取っておく方が良いでしょうし、ログを取る生活に慣れておいた方が良いと思います。例えば、私がやっているのは気分が沈んだと思ったらEvernoteに、「●●をしている最中に気分が落ちてきた気がする」とか「●●のことを考えたら嫌な気分になった」とボイスメモを残していくことをしています。Twitterに起床・就寝時間をつぶやくのも立派なライフログでしょうし、お子さんがいらっしゃる方でしたら、毎日何時に何を食べたのか、写真を撮っていけば、将来もの凄く意味のある記録となるでしょう。ついでに予防接種のログもその写真に追記しておけば後で追えるでしょうから、これも立派なライフログでしょう。

読書勉強会 in Evernoteに、私はこう書きました。

(前略)「自分」の記録の何たる少なさ!自分の記憶力があまりにも悪いのだろうと常々思うのだが、皆さんは小学生の時の担任の先生の名前は全部言えるだろうか?クラスメートは全員覚えているだろうか?中学校の時の自分の所属したクラスが、1年何組だったか、3年分言えるだろうか?高校の時は?高校の時の数学の先生はどんな人だったか記憶にあるだろうか?ちなみに私はこれらのこと「全て」が記憶にない。自分が所属したはずの小・中・高のクラス名も知らない。クラスメートも仲の良かった数人以外は知らない。知っている人の数は両手で足りてしまうくらい少数。先生の記憶なんて3人だけしか知らない。さらに病歴。昔アトピーがあったかとか、おたふく風邪を小さいときに患ったかなど、医者に聞かれても、全く知らない。「両親に聞けば?」と言われても両親の電話番号すら知らないので、確認のしようがないという有様。(後略)

つまり、自分の過去もブラックボックスである私にとっては、今回のことはライフログを収集する意義をハッキリ感じさせましたし、今あるツールを使ってできる限りのログを残しておくことは、将来の自分へのプレゼントになる可能性もあると思いました。きっと将来何らかの困難にぶち当たった自分が「このログを取っておいてくれた過去の自分に感謝するよ」と思う時代が来るのだろうと思います。

蛇足:今ログを溜めておく一番良いツールはEvernoteだと私は確信していますが、『ライフログのすすめ』に取り上げられている「reQall」というサービスは既にEvernoteと連携するようですし、日本に進出してくれれば、更なる可能性を感じさせてくれるツールだと思います。さらには「痛み」のログを残す上手い方法を作り出せればBig Businessになること請け合いですね。何か良い方法ないかなぁww

家庭版ISO14001導入のススメ

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地球温暖化 不信を広げる研究者の姿勢』という"社説"が本日(2月25日)読売新聞に載りました。
まぁ、この記事を"社説"として掲載した読売新聞の勇気と度胸と見識の無さは大したものというか、何というかなのですが、全国紙がこれを載せてよいのなら、地球温暖化に関して、私みたいなド素人の目線とド素人の思い付きを書いたものが一本くらいあっても良かろうと思わせてくれましたので、Q&A形式で知ってることを書き出して、その後、取り組みのアイデアを書いてみます。

Q1.地球温暖化は進行中なのか?
私見:私は「絶賛驀進中」だし「絶好調あったまり中」だと思っています。

Q2.地球温暖化は人間だけが悪いの?
私見:100%人間のせいでしょうねぇ。他の動物は木を切ったり、ビル作ったりしませんものね。

Q3.地球温暖化が進んでいるっていうくせに冬は寒いけど何で?
私見:地球温暖化の研究は100年後どうなるか?といった超ロングスパンでの研究です。暖冬や冷夏はもっと短いスパンで起こるものなので、100年後を研究するという大きなフィルターで見れば、数年の変化は当たり前だし、些細なことだし、そんなの折込済みってことだと思っています。比べる単位がmmとkmでは比較できないのは当たり前。それと一緒ではないでしょうか?

Q4.要は二酸化炭素(CO2)だけ減らせばいいんじゃないの?
私見:温暖化効果ガスは、CO2だけではなくて、京都議定書で削減対象となったもの"だけ"で、6種類あります。二酸化炭素(CO2)・メタン(CH4)・亜酸化窒素(N2O)(=一酸化二窒素)・ハイドロフルオロカーボン類(HFCs)・パーフルオロカーボン類(PFCs)・六フッ化硫黄(SF6)。他にもベラボウな数に上るみたいです。この中でも二酸化炭素の影響が他の物質に比べて特に高いようなので、メディアでは異常に目立って取り上げられているに過ぎないのだろうと思います。例えるなら、SUPER MONKEYSから安室奈美恵だけが目立って取り上げられたみたいなものでしょうかww

Q5.地球温暖化は誰が調べてるの?
私見:「気候変動に関する政府間パネル」(Intergovernmental Panel on Climate Change、略称:IPCC)という、国際的な専門家でつくる、地球温暖化についての科学的な研究の収集、整理のための政府間機構が存在し、ここが中心的な役割を担っているようです。

Q6.IPCCは何してるの?

私見:IPCCを中心(?)に地球温暖化に関する最新の研究結果や知見の評価、取り纏めを行い、様々なシナリオを元に導き出された科学的知見を提供しているようです。特に数年おきに発行される「評価報告書」(Assessment Report)は地球温暖化に関する世界中の数千人の専門家の研究成果を集約したグローバルな報告書なので信頼性はべらぼうに高いと思われます。

Q7.その報告書ってあてになるの?シミュレーションって当たるの?
私見:これ以上当てになる資料があるなら教えてくださいという感じです。世界中の科学者総当りで作り上げた報告書以上に信頼性がある資料があるのなら、それは見てみたいものだと思います。またシュミレーションの正確さ、研究の手法などについては、『地球温暖化の予測は「正しい」か?』が私たち素人にも一番わかりやすく、一番正確な知見及び情報を与えてくれる書籍だと思います。曰く、

前提条件が正しければ、不確かさの幅の中に現実が入るだろうという意味において『正しい』
とありますし、実際当たってるので、当たると私は思っています。

Q8.IPCCは信用に足る機関なの?

私見:読売さんの記事では、何やらお金がらみの問題が表面化してIPCCは信用ならんということになっていますが、私は「科学者の矜持」を信じます。人間のやることですから時には間違った記述をしてしまうこともあるでしょう。しかし、何というかな、「誇り」みたいなものが無ければ、来る日も来る日もこんなドデカイ問題についてのデータを地道に当たる作業なんてのはできないと思うのです。どこぞのマスコミよりよっぽど信用に足る機関だろうと私は思っています。

さて、Q&A形式はこの辺までとして、私の考えとしては「温暖化は進行中だし、科学者が日夜研究しているデータは信用できる」となります。次に問題なのは、私たちに何ができるのか?という身近な問題です。「何をバカなことを言ってんだ!?」と言われることを承知で書きますが、何か使えるものはないかな?と考えたとき、ISO14001という規格が所謂「
環境マネジメントシステム国際規格」としてあるのだから、これを家庭版にしたらいけるんじゃないの?と思いつきました。もちろん企業・事業所向けですからそのままでは使えませんので、ちょっと家庭用にアレンジしてみたらどうだろう?と思ったのです。

ISO14001の要諦はISO9000シリーズ同様、環境にインパクトを与える事柄を洗い出し、Plan行動目標を策定→Do実施→Check点検→Action点検で出た是正事項を是正するというPDCAサイクルを上手く回していくことにあります。

とすれば、例えばですよ?「1ヶ月の買い物の内90%はマイバックを使う」というPlanを立てて、家族全員で実施(Do)、レシートにチェックしてお母さんに渡し、家計簿をつけると共に、家族がマイバックを使うという行動をやっているかリストに記入(Check)月末に全員に発表して、守れた人にはご褒美をあげる。駄目だった人は改善点を調べて、翌月更に厳しくチャレンジ!(Action)という感じに家族で楽しみながら、PDCAを回していく方法があるんじゃないかと思ったのです。

Planを立てるのが大変という意見もありそうですが、すぐできることって意外にあると思います。マイバックもそうでしょうし、詰め替えパックを買う、エコマーク商品を優先する、食べ残しを無くす、電気の無駄遣いは止める、節水してみる、ガス代を減らせるエコ料理を考案する、包装紙の少なさで買うものを選ぶ、環境に厳しい洗剤は買わない。毎日車を使う人なら1週間に1度「ノーマイカーデー」を作る、常にMy箸を持ち歩く等など、いっぱいあると思います。

「わかっちゃいるけど続かない」理由は明白で、一つ一つの活動が小さすぎて、どれだけ削減できたか、どれだけ貢献できたかわからないというのがネックになって続かないのだと思うのです。
ですから、この削減効果が一発でわかるように、例えばiPhoneアプリの家計簿みたいな手軽さで、入力できるサービスを誰かが作って、取った行動によってどれだけCO2が削減されたか、表示されるサービス(アプリ)があれば、ゲーム感覚で(家族と競争したり、仲間と競争したり)楽しみながら、地球へのインパクトを少なくする生活をすることができるのではないかと妄想が広がります。もっとゲーム性を高めるなら4SQみたいに、削減量によってバッチがもらえるとか、地域一番のECO王になれるとかいうサービスにしても面白いと思いませんか?

何しろ地球規模の大きなことです、専門家でさえ、予想するのが精一杯。正確なことはわかりません。しかし進行していることは確かです。私たちにできることはどうしたって小さいことかもしれませんが、科学者が毎日データと格闘しているように、ちょっとづつ地道に行動するしていくしかないでしょう。ただし、科学者との違いは、私たちレベルで出来ることは、知恵を絞れば「楽しい行動」に化ける可能性があるという点かもしれません。できるだけ楽しく遊びながら、地球環境改善に貢献しているなんて日常が来たら素敵だろうなぁと妄想しつつ、今はできることから取り組んでいこうと家庭内ISO14001を導入して、チョコチョコ実践中です。皆さんはこの問題に何かActionはとっていらっしゃいますか?

EVERNOTEをScrivenerの代わりに使うアイデア

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Lifehacking.jp@mehoriさん、シゴタノ!@shigotanoさん、ライフハック心理学@nokibaさんという日本屈指のLifehacker3人という超豪華執筆陣による、『EVERNOTEハンドブック』が電子媒体として出版される(これって日本初ですよね!?スゴイ!)ということで、それに便乗して、今回はEvernoteを仕事で使う方法を扱って見ようと思います。

Macには、@mehoriさんをして「物書きをする人の楽園」とまで言わしめた、べた褒め状態のスーパーエディタ「Scrivener」というソフトウェアがあります。多機能も多機能、物書きにはたまらない機能満載のソフトです。

が!非常に悔しいことにWindows版がありません。自宅ではScrivenerを使っているので、その便利さがわかるだけに余計歯がゆいところです。

そして、何の巡り会わせか、はたまた嫌がらせか、丁度、仕事でとても体系だったマニュアルを作成する業務が振ってきてしまい、目下、大量の資料(紙・データ両方)に埋もれている状況なのです。大量の文章を書いて、それを体系だって纏めないといけないという、まさにScrivenerがあれば!と思わずにはいられない有様です。

しかし当社にはWindowsしかない…何とかWindowsでお金をかけず(ココ重要)、このカオスな状態を打破する、擬似Scrivener、若しくはアイデアプロセッサはないものか?と思案した結果、Evernoteをあれこれイジって、擬似Scrivener的に何とか機能させられることがわかったので、ご紹介します。

アイデアプロセッサとしてWindowsではIdeaTreeなどが有名ですので、基本構造はコイツをパクリます。アイデアプロセッサの肝は「ツリー構造の作成とそれに対応するテキストの作成」ができることです。まずはEvernoteで他のノートブックと隔離する為、専用のノートブックひとつ作ります。次に、Evernoteでツリー構造を実現する為に、階層化できる「タグ」を使います。下記のようなイメージです。

例[●●マニュアル]←ノートブックの名前
  倉庫 ←必要そうな資料をぶち込む場所
  第1階層(基本方針)
   001_文書番号KZS-000
   002_文書番号KZS-002
  第2階層(全体フロー)
   001_文書番号KZS2-001
   002_文書番号KZS2-002

という感じに、[●●マニュアル]という親タブを作り、その下に、子タグを階層化させていくわけです。タグを階層化するだけなのですが、すでにEvernoteをエディタとして使ったことがある方はご存知の通り、Evernoteは、PDFだろうと、写真だろうと、音声だろうと、ノートに貼り付けておけますので、いちいちフォルダや他のアプリケーションを、あっち開いて、こっち開いてとやらなくて済みます。これだけでも作業効率が上がります。

念のためいつか使うかも知れない資料を入れておける格納庫として「倉庫」というタグを作り、現時点では不明なノートをタグ分けしておきます。これでEvernoteを立ち上げて、先に作ったノートブックを開くだけで、ツリー構造となったタグを横目で見つつ、今、全体のどこの原稿を書いているのか一目瞭然となり、筆の迷走を避けることができます。

また、Evernoteのサムネイルビュー機能が、Scrivenerでいう「コルクボード」機能の役目もかろうじてまかなうことができます。親タグを必ずノートに入れておくことで、子タグ全部のサムネイルをみることができます。順序の入れ替えはできませんが、これはノートの先頭に番号を振ったりして解決可能なのかもしれません。

「フルスクリーン機能」はノートを右クリックし、「新たな別のウィンドウを開く」を選択して最大化することで、代用できると自分に言い聞かせることで解決させました(笑)

さすがに相手がScrivenerでは互角に太刀打ちとまではとてもとても行きませんが、それでもEvernoteの多機能っぷりは、単なる収集ツールとしてではなく、アイデアプロセッサの代用という、かなり高度なことまでやってのけることができることがわかりました。少なくとも、私はEvernoteを本気で使い出してから、EmEditor等のエディタは殆ど使わなくなりましたし、Wordも本当に必要なときしか使わなくなりました。仕事で書く必要がある文章の7割までが、Evernoteで下書きしています。残り3割はメールですね。ExcelとPowerPointは別枠。これはEvernoteで作るというわけには、さすがにいきませんからねぇ(^^;)

Evernoteは情報をストックしておくツールとしか考えていなかった方は、是非、Evernoteをエディタとして、編集ツールとして、アクティブに使い倒すことにチャレンジしてもらいたいと思います。

テキストエディタとしても結構優秀です。何しろ同期してくれるので、情報が散逸しませんし、「続きが書きたいときにすぐ書ける」という自由、アイデアをモノにするチャンスを飛躍的に伸ばしてくれると思います。既に愛用のエディタは皆さんお有りだと思いますが、是非Evernoteもエディタとして試してみて、Evernoteの底力を引き出してはいかがでしょうか?
どこでも続きが書きたいときに書けるという経験をすると、一気に何かを書きたくなると思いますよ!

我流マインドハック-鬱という足枷を断ち切る最後のひと振り-

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先般、プチマインドハック!落ち込んだ時には"バネ思考"!という記事を書きました。記事のコメント欄でShinyaさんより、「ドッカーンと上がったあと、そのままドーンと疲れるケースがあるからお互い気をつけましょうね」という暖かいコメントをいただだきました。ありがとうございます。そこで今回は、2回目の復職から1年4ヶ月が経ち、若干不安定ながらも、今もちゃんと働き続けられている間に見つけた、どっかーんと上がった後、どーんと落ちない為のマインドハックを扱います。

私は医師ではありませんし、学術的な裏付けはありません。ご注意ください!

とはいっても、非常に単純な話しなんですが・・・どっかーんと上がった後は「病気のことを考えない」これだけです。
いやいや、気が触れたわけではありません。本気で言っています。

この病気のタチの悪さはずーっとこのブログで書き続けている通りです。しかし「病 は気から」という有名な言葉がありますよね。この言葉は本当か?と疑ったことはありませんか?今なら実験できると思ったので、「実際に病気だと診断されている」状態でも、気持ちでは病気ではないと反抗し続けていたら良くなるのか?という実験を私の視点からのメモ、家内にもメモをお願いし、どう推移するのか観察していました。あくまで個人的な視点(+家内の多少客観的な視点)に基づきますが、お互いのメモを付け合わせると「病は気から」はどうやらそれなりに本当のようです。気分の浮き沈みが私のメモと家内のメモが一致したこと、その日何が起こったかを振り返ると、良いことがあった日は概ね上々。キツイ仕事があっても病気と思わなければ踏ん張れる。駄目なときは殆どが「病気だから」と一回でも思ってしまった日でした。つまり「私は鬱病だ」と思わなければ、意外に何とか踏みとどまれるのです!

では、なぜ気分が普通の人の水準まで上がった後、そこから落ちてしまうことがあるのか?2回目の休職前の日記を見ていて、ひとつの傾向に気づきました。どうやら、仕事を任された時、面識のない人に会わなければならないとき等々、「鬱病であることを避ける口実に使っている」傾向があるようなのです。つまり「仕事を任されるのは嬉しい、”でも”自分は鬱病だから・・・」とか「会わなきゃいけないのはわかる”けど”、鬱病だから・・・」と考えている節があるのです。

ですから、どっかーんと上がった後、もう「鬱だ」とは考えず、多少具合が悪い程度だったら"風邪だと決めつける"、お腹が痛ければ"市販の胃薬で治る"と信じる、頭痛が酷ければ"バファリンで治る"と信じるetc・・・、鬱を水戸黄門の印籠のように使えないようにするというのが私が見つけ出した再度墜落しないための我流Hackです。

普通の人だってお腹が痛かったり、頭痛がしたり、少し熱っぽかったりくらいはあって当然。それなのに「鬱」という印籠を持ち出すことで、過剰な理由付けを行い、自分に不利な状況を回避する”逃げ口上”に使ってしまうことが続くと、本当に墜落して、また鬱になるのではないかと私は考えています。

どっかーんと上がったら、今まで無理だった「楽天的に考える」ことが多少はできるはずです。多少の体調不良、多少の困難、不安なのは痛いほど良く分かりますが、「鬱」を持ち出すのは止めてみることを提案します。「ちょっと頭痛いけど、痛み止め飲んだから大丈夫!今の俺(私)ならできる!」「復帰早々難しい仕事だけど・・・今の俺(私)ならできる!」と根拠はなくても良いからポジティブに考えるクセを付けちゃいましょう。いつもはポジティブシンキングに懐疑的な立場の私ですが、再度鬱に落ちない為に使えると思うので、今回ばかりはポジティブシンキングを支持します!いっそのこと極端に「今は動けるんだから、いっちょ俺の(私の)スゴサを見せつけてやろうじゃないか!」くらいの考え方でも良いのかもしれません。

実際に行うとなると、シンドイことは百も承知ですが、鬱病という足枷を断ち切る斧の最後のひと振りは、こうした「根拠がないくらいポジティブな考え方」、「その考え方を持ち続ける習慣」なのかもしれないと私は思っています。まだ私も闘病中です。寛解には至っていません。気持ちの上下もまだまだあります。特にクスリが切れると覿面です。しかし、少なくとも仕事に「鬱」を持ち込むのは止めるように心がけ、足枷を断ち切る最後のひと振りの時の為に、斧の刃を研いでいるんだと思うようにしています!!

怒りの本質を知れば百戦危うからず!

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昨晩、ライフハック心理学主宰の佐々木正悟さん(@nokiba さん)のセミナーに参加してきました。今回のテーマは「怒りと喜びのコミュニケーション心理学」。鬱病後、とにかく人付き合いが苦手になってしまったこと、仕事をしていく、生きていく以上、他人と接しない生き方はあり得ませんので、「人は何故怒るのか?」「怒れない場合はどうなるのか」を知っておく必要があると思い、参加してきました。

まず、私は怒りをどう表現するかということを書いておくと、普段、会社で怒るということはほぼありません。基本的にはあまりにも会社のルールを逸脱した行為に対しては、役職の上下関係なく、感情的にではなく、論理的に間違っていることを指摘することはあります。大抵はここで問題は打開できるのですが、これに懲りず何回も同じ間違いをしてこちらが迷惑を被った場合のみ、「全力で相手を潰しにかかります」つまり一回私が本気で怒ると歯止めがかからないことは、本人も承知なので、なるべく怒らないように心がけてはいます。家庭内では、怒る時が無いと言えば嘘になりますが、さすがに家内を潰すようなことはないのでww 今のところ致命傷には至っていません。家内がどう思っているのかはわかりませんが(^^;)

まず意外だったのは「怒り」とは同種間でのみ起こる、"コミュニケーション機能"であると言う点。何かを相手に伝えて、結果を得るのがコミュニケーションですから、怒りを相手にぶつけて、結果を得るというのは立派なコミュニケーションだというわけです。言われてなるほどと思いました。コミュニケーションであれば、喧嘩をして仲良くなるというケースはあるのも納得です。
また人には固有の「自分中心のルール」があるということ。私はこれは剣術でいうところの"間合い"に相当するとイメージしました。この剣の間合いという結界に対し、外部から何らかの刺激が加わる、すると自分ルール=結界に衝撃波が走る。この刺激は故意か否かを判断した上で、結界に波紋を及ぼした相手に対し、態度を選ばねばならないわけです。

卑近な例で言うと、電車で足を踏まれた。これが故意だったら「おい!こら!」となるでしょうし、満員電車でしょうがなさそうなら我慢するでしょうし、相手がヤクザ屋さんみたいだったら黙るでしょうww。そういうわけで、選べる態度は約3つ。

  1. 対象を攻撃する。
  2. 自分ルールの方を変えてかわす。
  3. ルールを変えず対象を無視することですり抜ける。

1はわかりやすい。故意に間合いに入ってきから反撃するだけです。先の例では「こら!」ってヤツですね。
2は、斬り付けられてもなお、自分の位置を変えて躱すイメージ。先の例では「満員だから」と我慢する。
3は、間合いに入っていて何をされようと、無視を決め込む。先の例では「ヤバそうだから」無視


しかし、2と3は確実にこちらが傷を負います。その傷が溜まりに溜まって、外に向けて爆発する場合もあれば、「置き換え」という心理用語があるそうで、例えばより弱者である子供を蹴飛ばすなどの怒りのすり替えに走ることもあるとのこと。さらには内に怒りが沈殿した結果、最後には自分ルールが何も通らないことに自分がキレてしまい、俗に言う頭が真っ白という状態になるということです。

さて、私です。通常は3なんだと思うんです。傷は最小限に抑えますが、怒っている人と正面から激突しても、しょうがないと思うので、適当に相づちを打って、無視を決め込みます。ただし「無視」をするということは反応がないワケですから、余計相手の怒りの火に油を注ぐことになることがあるのが難点です。私は「もーツンデレなんだからぁ」と思うようにしています(元ネタは@mehoriさんから教わりました(笑))

しかし余程こちらに非がない限り2の自分のルールを変えるというのは止めるようにしています。何故かと言えば、それは結局、自分の内に割り切れないものがくすぶり続けるから。病気になるまで八方美人と揶揄されるまでに良い人を演じていましたが、これは常に2をとり続けていたからだと思うのです。私は、良い人を止めたことにより、楽になれましたから、余程メンタルに自信のあるタフな人でない限り、2はオススメしません。ヘタすれば鬱まっしぐらになる可能性が高いと思います。

では、1はどうなのか?個人的には理があれば1も止むなしと思います。というよりも適度に1の態度を選んでいないと、自分が持たないと思うのです。程度の問題は有ると思います。私みたいに「全力で潰しにかかる」というのはやり過ぎでしょう(反省・・・)あくまでも自分の死守すべき点(これは他人からみたらくだらないことかもしれませんし、現実のルールとは関係なしかもしれません)が侵害されたら、ちゃんと怒るべきだろうと思います。対象を適切にほどよく怒ることがポイントです。過剰でも弱すぎても行けないということですが、これは難しいテクニックですね。

では適度に怒る為にはどうすればよいのか?それは、怒る前に「怒るほどのことか?」と問うこと。目的は状況の打開ですから、「怒ることによって状況が打開できるイメージがもてれば」怒って良いのだと思います。

いつも怒りまくるのも、いつも黙りこくってしまうのも少々病的です。相手の心の間合い=相手の自分ルールを見つけて、何故怒っているのかを把握できれば適切に怒るポイントが見つかるとのことでした。

全体を通しての感想としては、怒りについて知ることは相手を知ることに通じるのではないかと思いました。何故怒られているのに、反応せず黙りこくってしまう人がいるのか?何でこんな些細なことでキレるのか?何故これだけ言っているのにヘラヘラしていられるのか?結構日常で他人の仕草に違和感を覚えることはあると思いますが、それらはその人が怒りをどう表現しているのかの違いだけなのだろうと思いました。特殊で強固な自分ルールを持っている人もいるそうですが、それも、日頃から良く相手を観察していれば、いざというとき適切な対処が取れると思います。

必要なのは我慢する忍耐力ではなく、己を知り、相手を知ることによって、円滑で上手なコミュニケーションを取ることだと思います。対人関係のストレスほど強いストレスは無いと思いますので、無駄に怒る必要はないですが、「ほどほどに怒っておく」ことが結局は、自分のガス抜きにもなり、心の平穏を守る為にも必要なことなのだろうと思います。

最後に、@oilshopさんの事例発表があったのですが、「コミュニケーションは練習で上達する」という一言はとても心強く思いました。少しコミュニケーションに関する書籍を読んでみよう、練習してみようと思いました。

Lifehacking.jp 主催の【ライフハックブログ賞】の投票が、あと2日、24日(水)の23:59まで延長されました!掟破りのルール変更(笑)こういうことをサラッとやってのけるから、@mehori さんってスキさ(^^)/
詳細は ライフハックブログ 賞、あと48時間延長。あと告知と告知! にて!
これまでは一度に投票できるブログの数が3つまでだったのが、7つまでに増えています。
ノミネートされているブログ巡りを楽しむと共に、是非、本ブログへの応援票もポチっと!宜しくお願いいたします!!

鬱病キャリアによる「職場のうつに関する誤解と偏見」考察

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ガジェット好きでギークな産業医・医師・医学博士の難波克行さん@electricdoc) さんが主催する『ELECTRIC DOC』というブログがあります。
このブログ、産業医という立場から、鬱病を始めとして、様々な病気を抱えた人が社会復帰する為のノウハウ等を詳細に書いてくれている非常に参考になるブログです。

本日のエントリーは「職場のうつに関する10の誤解と偏見(後編)」ということで、職場復帰してきた鬱病社員に対してどう接すればよいのかアドバイスされています。非常に興味深いエントリーですが、ちっとだけ鬱病キャリア側の私見を追記させていただきたいと思いました。

誤解6:うつ病を治してから働くべきだ
 うつ病の治療は「自宅療養」と「職場復帰」の2つの段階に分かれています。まず、自宅療養で「何とか出社して最低限の仕事をこなせるレベル」まで回復します。次に、職場復帰してから「通常の仕事がこなせるレベル」へと少しずつ回復していきます。

職場復帰したら即時、通常の仕事がこなせるレベルに復活しているとは私も思えません。私の場合は、2回目の復帰のときは、9時~15時までの変則勤務時間体制を1ヶ月取ってもらいました。こうした助走期間を設けてくれる理解ある会社でしたら正々堂々甘えましょう。仕事ができるようになったら、コツコツ返済していけばよいのですから!仕事をこなすことより、職場環境、毎日出勤することに適応することの方を最初の2週間は最優先するくらいで丁度良いと思います。
誤解7:うつ病の人は仕事ができない
 うつ病になると、体力や集中力など「仕事力」が一時的に低下します。順調に回復すれば、半年ほどで「以前と同じように仕事ができるレベル」になります。しかし、それまでの間は、無理をすると病気が再発するおそれがあるため、一時的に業務負荷を軽減して対応します。

助走期間を終えて、通常勤務になった時には本当に身体が付いていきませんでした。帰り着くとベッドへ倒れこむ、まさにバタンキューという状態です。この時期の注意点として、休日を大切にすること。休日遊びに行くのも体力が要ります。普通の体力が身につくまで、自重して、土日はひたすら平日の為にエネルギーチャージに勤めるほうが無難です。しかしそれが「仕事力の低下」に繋がるかといえば私はちょっと疑問に思います。1年や2年で、仕事の基礎能力は低下しないと私は思います。本人が「ここまでできるはず」と思ったものと、実際に「できた量」とのギャップはあると思いますが、概ね普通の人と同等の働きができているはずです。「まだできない」と、あまり決め付けないで欲しいなぁと思います。特に、体力は兎も角、集中力は十分人並みにあると思います。
誤解8:うつ病の人には仕事を任せられない
 職場復帰直後は、体調に波があったり、作業に時間がかかったり、正確さに欠けたりします。それらはうつ病の症状です。半年ほどすれば以前の状態に回復していきます。ただし回復が遅れるケースもあります。

これは完全に誤解だと私は思います。体調の波はあるでしょうが、風邪を引いたら正確性にムラが出るのと同じ程度で、鬱だから作業の正確性や作業の質に影響が及ぶとは思いません。むしろ迷惑分を早く返済しようと過剰にこなしてしまうことこそ問題です。仕事は任せた方が、本人は嬉しいですし、やりがいも出てきます。但し、常軌を逸したスピードで処理するようであれば、静止してあげる助けが必要だと思います。
誤解9:うつ病の人はなまけものだ
 うつ病の背景にはいろいろな要因があります。熱心にバリバリ仕事をする人も、それなりの人も、どちらもうつ病になる可能性があります。また、職場復帰後は一時的に仕事力が低下しており、再発防止のために業務負荷を軽減する必要があります。

これは典型的な誤解ではないかと思います。私が知り合った鬱病の人は「真面目」な人が殆どでした。「仕事前は怠けてたんだけどさぁ」なんて言う人は一人もいません。むしろ怠けられるなら鬱にはならないと私は思っていますし、怠けることが苦痛に感じる人がなりやすいのではないかと私は思っています。仮に一時的に仕事力が低下していたとしても、新入社員よりは使える程度には、人並みには仕事を怠けることなく、キッチリできると思います。何しろ根は真面目な人なのですから。

誤解10:やさしい言葉で接しなければならない
 職場復帰から数ヶ月間は、疲れやすかったりストレスを感じやすかったりします。だからといって、接触を避けたり、過保護になったりする必要はありません。「大変な病気を経験し、不安を抱えながらも、職場復帰をがんばっている同僚」に対して、普段どおりに接すればOKです。ただし、ぶっきらぼうな口調やきつい言い方はストレスに感じることも多いため、避けた方がよいでしょう。

過保護な必要は無いと思います。ただ、一番キツイのは「無視」です。腫れ物に触るかのような必要はないけど、面倒だから無視というのだけは、しないで欲しいと思います。また、キツイ言い方をしなければならないシーンであれば、フォロー役を同席させるなど、過度に追い込まないような配慮はしてあげて欲しいと思います。他人と話すということに不慣れになっている場合が多いと思うので、話すこと=ストレスではあります。以前より言葉を選ぶ時間がかかったりはすると思います。

と、まぁ、100%私見を書いて見ました。鬱というと厄介だと思われると思いますが、一番厄介に思っているのは他ならぬ本人です。真面目で不器用な人が多いんだと思います。「適当に手を抜く」「ちょっとサボってみる」「今日は怠けてみよう」なんてことができない人たちの割合の方が多いだろうと私は思っています。「逃げ場がない」、「逃げ方がわからない」から、鬱になってしまうのであろうと思います。

また、何をもって仕事力とするかは兎も角、医者からOKをもらって復職した人は、普通の社員と等しく「戦力」としてカウントして欲しいと思います。どのくらいの「戦力」かは、新入社員が入ってきた時、皆さん遠目で観察して推し量るでしょ?あれと同じで良いと思うんですよ。但し、新卒採用の人と比べて、基礎仕事力は絶対に上ですから、1ヶ月もすればすぐに立派な戦力となるでしょう。

幸いにも私の会社は、とってもこの病気に理解のある会社だったので、色々優遇処置を取ってくれたのは、本当にラッキーだったと思っています。鬱病というだけで、スゴイ偏見を持っている人、会社も多いと聞きますが、それは大間違い。「鬱病になったことがあります=根は真面目で几帳面な人間です」と肯定的に捉えて欲しいと切に思います。一回鬱病になった人は、底力が違います。ちょっとだけ気をつけてもらえれば、スゴイ戦力になるヤツらなんだぜ!って声を大にして言いたいですね!

「いい加減」で「良い加減」な人の魅力

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たまにTwitterの私のつぶやきに出てくる「部長」(仮にAさんとします)ですが、この人がホント魅力的なのです。

まず、部長としてのAさんの魅力。リーダーに必要なスキルというのは、メンタルタフネス・傾聴・誠実・コミュニケーション等、多々あろうかと思いますが、Aさんはリーダーに備えていてもらいたいと下の者が思うスキルの多くを持ち合わせている希有な人です。2009年11月30日、Twitterでこうつぶやいたことがあります。

いやー何か燃えてきたよ俺!わくわくするぜ!沈うつな職場の空気が一変。リーダーの言葉ってスゴイ!

「ルフィか悟空みたいだ」と言われましたが、この見事な対応で、追加受注という土産を持って帰ってきました!土下座必至の状態を「ワクワクしてきた!」と言えるメンタルタフネス、すぐ顧客の元へ行くという誠実さ、同行するという行動で、「責任は俺が取る」という暗黙のコミュニケーションが部下にもたらしたであろう絶大なる安心感。いや、スゴイ人だと感動した出来事でした。

一見、完璧なAさんですが、実はヌケたところも結構あります。そんなちょっとヌケてるけど、皆が頼りにするリーダーであるAさんを観察していると、魅力的な人は「いい加減」というスパイスを加えて「良い加減」に熟成されて魅力になるのではないかと思えてきました。

Aさんは興味の赴くままに、趣味の世界を広げるのと、ヌケ具合は「いい加減」。だけど、そのことが、人としてのAさんの魅力の深みを増すスパイスとなって「良い加減」になっているんじゃないかと思うのです。勿論仕事のデキが良いことは言うまでも無いですが。

これは「仕事ができるからつき合いたい人」なのか「損得抜きにつき合いたい人」なのかの違いに通じると思います。私が鬱になった時、それまでつき合っていた人に助けを求めても、9割方の人が私の側から去って行きました。こういう人は「仕事人としての私」とつき合っていた人。残った1割は「人としての私」とつき合ってくれていた人。残った1割は大事にしなければならない人間関係なのは言うまでもありません。

仕事を介してつき合う人はスゴイ数に上ると思います。手元に有る名刺を見てみてください。スゴイ数になりませんか?じゃぁ、その名刺の中で、損得抜きで、友だちになりたいなぁ。もっと知ってみたいなぁと思わせる人って何人いますか?会社名とか、肩書きとか抜きですよ。もっと膝をつき合わせて、こちらが場所をセッティングしたり、食事代は持ったりと苦労や損をしたとしても、じっくりこの人の話しを聞きたいなぁと思わせる人です。意外に少なくなると思います。ヘタをしたら一人もいないということもあり得る話しでしょう。

このブログは私にとっては「いい加減」な動機で始めたものでしたが、損得抜きでTwitterで絡んでくれる人や、多くのブロガーと話しをし、関わり合う内に、Lifehacking.jpで開催されていた【ライフハックブログ賞】で3位という結果を得られたことを考えると、すこ〜しは「良い加減」になってきたということなのかなぁと勝手に解釈しています(^^;)
 
投票頂いた皆様、本当にどうもありがとうございました!!


さて、私自身としては、幸運にもせっかく身近にAさんというお手本が居ますので、良いところは出来るだけ盗んで、「いい加減」だけど「良い加減」にブレンドされた魅力的な人に成長したいと思います。

「能率」と「効率」どっちを重視すれば良いのか?

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今回の疑問もR-styleの倉下さんに見事に解決していただけました。いつもありがとうございます!

他人と仕事の話をしていても、どうも噛み合わないという経験はありませんか?それは概ね使っている言葉の定義のズレに原因があることが多いように感じます。例えば「返却日」という言葉を考えて見ましょう。これを倉庫に着荷する日とするのか、倉庫へ発送する日とするのか、たったこれだけの捉え方の違いで「1日」ズレてしまい、大いにもめる場合もあるわけです。ですから、私は「どうも噛み合わないなぁ」と感じたら、すぐに図に描いて定義を共有するように、心がけています。

さて、そういった言葉の定義ですが、ちょっと悩ましい問題があります。それはタイトルどおり「能率」と「効率」とは何が違うのか?という問題です。「どっちだっていいじゃん!そんなの!?」と言われてしまえばそれまでなのですが、「効率を上げろ!」と言われるのと「能率を上げろ!」と言われるのでは感じ方が違うと思いませんか?
辞書を引く前に、私のイメージでは「能率」は、より頭を使った業務に、「効率」は、作業そのものと言う感じ、今風に言えば「能率=知的労働」「効率=単純作業」みたいなイメージを持ちます。

もうちょっと、論理的?に、帰納法的に言葉の意味を考えてみると、「日本能率協会」「産業能率大学」「能率手帳」などは有名ですが、「日本効率協会」「産業効率大学」「効率手帳」などは聞いたことがありません。一方、「エネルギー効率」「業務の効率化」「効率アップ」とは言うけれど、「エネルギー能率」とは言わないし、能率をここで使う例はゼロではないけど、検索してもヒット数は全然違うでしょう。そういう意味では、何となく似ているので、どちらも使う事もあるし、混同されている事もあるし、違った意味で使う事もあるということになりそうです。

帰納法がきたら、演繹法ということで、演繹法的に考えた場合、そもそも効率も能率も「率」という物理で使われている言葉が使われているので、物理的用語なのでしょう。ただ、「率」というからには、分母と分子があるのだろうと思われます。

さて正解を見てみましょう。手元の国語辞典(旺文社 国語辞典[第八版])で引いてみますと…

「効率」
①得られた成果に対して費やした労力や時間の割合。
②機会によってなされた仕事の量と、それに使われたエネルギー量との比。

なるほど。物理学的に言えば、「入力と出力との比率」ということでしょうか。使った労力に対して、どれほどのアウトプットがあったかという事が、効率の一般的な定義と言ってよいでしょう。

「能率」
①一定の時間内にすることのできる仕事の割合。仕事のはかどり具合。
②〔物〕モーメント

とのことです。はぁ?モーメントってなんだろ?で、理系出身者に聞いてみたところ、モーメントとは、『定点に関するある量の効果を示すために、定点からその量までの距離をその量に掛けたもの。力の回転の効果は力のモーメント、運動量の効果は運動量のモーメント(角運動量)などで表す』だそうです。

文系にわかるか!ボケ!ということで、「もっとわかりやすく!」を連発して聞いて理解できた範囲では、とどのつまりは、距離×力のことで角運動量のこと。私には角というのが良くわかんないから、大雑把に「運動量」のことであって、「比率」に関する用語ではないとのこと。

じゃぁ、なんで比率に関する用語ではないのに「能率」と「率」とされているのかは依然として不明です。ご存じの方があれば教えてください。

少なくとも「効率」と「能率」は何かが違うようです。しかし、英語ではどうなんだろ?と思ったので、手元の三省堂「EXCEED和英辞典」で調べてみると、どちらも「efficiency」となっています。どういうことなのでしょうか?

勝間和代さんのベストセラー本『効率が10倍アップする新・知的生産術』は何故「能率が10倍アップする新・知的生産術」ではないのでしょうか?なぜ『能率手帳』は「効率手帳」ではないのでしょうか?

仕事を達成する為に重視すべきは「効率」なのでしょうか?「能率」なのでしょうか?人生の目的を達成する為だとしたらどちらを重視すべきなのでしょうか?これ微妙な違いですけど、意外と重要なことかもしれません。勘ですけどww

皆さんは「能率」と「効率」どちらに力点を置いて、仕事をしていますか?人生の力点をどちらに置いていますか?

私のような者にもわかる解説ができる方!コメント欄でも、Twitterでも結構です、是非教えてください!!

Lifehacking.jpで絶賛開催中の【ライフハックブログ賞】 ですが、いよいよ本日が最終日!現時点で3位につけているようです!!ありがとうございます!ライフハック界の盛り上げに少しは貢献できていると良いなぁと思います。このお祭りも今日で終わりですから、是非一度、 Lifehacking.jpを訪れていただき、右サイドのノミネート一覧からこのブログのボタンを、ポチッと!お願いしますm(_ _)m

ホームレスのおじちゃんから学んだ真理

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「私はホームレスだったことがあります」と言ったら驚かれるでしょうか?19歳の初夏のことですが、2ヶ月あまりホームレス生活を送っていたことがあります。事情が様々重なり、半ばヤケになって、新宿の中央公園、新宿駅西口で過ごしたことがあります。

ホームレスがどういう生活をしているのか、気にとめたことの有る方は少ないと思いますので、ちょっとホームレスのサバイバル術を公開します。実はホームレスも結構大変です。普通の生活より大変だと私は思っています。 
(今とは違うと思います。良い方向に変わっていて欲しいのですが)
まず寝床の確保。中央公園には主みたいなお爺ちゃんが居て、この人の許可が無いと場所をもらえません。無断で寝ていると怒られて叩き出されてしまいます。西口も同様。指定席みたいに寝場所が決まっていて、知らずに寝ていると本気で怒られます。ちなみに夏場は地べたに直接段ボールを敷いて寝ると熱いので、数枚の段ボールをハニカム構造みたいに組み合わせて簡易ベッドを作ると快適です。


食事の確保は一筋縄ではいきません。コンビニのゴミを漁るのは王道として、お店のあまりものとかをもらえたら超ラッキー。たまたま知り合ったおじちゃんが若い新入りに同情してか、色々と割の良い店を教えてくれたので、何とか食いつなぐことができました。ちなみに歌舞伎町の寿司店には良い人が多く、閉店直後に行くと良物が手に入る確立が高く、おじちゃんにあげて恩返ししていました。

収入源は日雇い労働が主流だし、一番高額な仕事になるのですが、意外とバカにならないのは雑誌の路上販売。少年ジャンプや少年マガジンなんてコンビニのゴミ箱から拾ってきたのを100円って書いて並べて置けばマジで売れていきます。必ずやらなきゃいけないのが、ページのチェック。切り取られてたり、ガムがくっついているのは除外しないといけません。エロ本の類も他の雑誌の表紙を貼り付けて、「ワケアリ品」と書いておくと買っていくサラリーマンは結構いましたねww

あとは、炊き出しの情報とか、そういうのは完全にクチコミ。ホームレス同士のクチコミネットワークは命綱とも言うべきものでした。特に衣類は炊き出しの時にもらえたりするから結構重要。寒くなるとより良い衣類を沢山重ね着する必要があるので、夏からせっせと溜めておく人もいました。

結局ホームレスも衣食住は必須だし、経済活動は必要なわけです。但しそれが世間一般で言うところの「普通」より下に見られているだけなんです。銭湯には欠かさず通っている人も多くいますから、みんながみんな垢まみれってわけでもないのです。

さて、何でこんなことを書き出したかと言えば、私のことを親身になって話しを聞いてくれて、食事の情報、炊き出しの情報、快適な寝床の作り方、挨拶しておいた方が良い人、最後はこの状況からの脱出方法まで、何から何までお世話になった、おじちゃんがこう言っていたことを、思い出したからです。

「なーんにも、知らなきゃ今の生活で充分満足なもんだよ。知らないってのは幸せなもんだよ」

石庭の素晴らしさで知られる京都の龍安寺に写真の蹲踞(つくばい)があります。あまりにも有名なのでご存じの方が多いと思いますが、真ん中のお水を入れる四角を共有すると、上から時計回りに「吾唯足知」(われ ただ たるを しる)と読めます。

元は禅問答で用いられた言葉ですから、本来は一生を賭しても悟ることは難しい深遠な言葉だと思いますが、解説には「満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である」と解釈するとあります。

古今東西の賢人も同じようなことを言っています。
老子は「禍は足るを知らざるより大なるは無い」「足るを知るの足るは恒に足る」「足るを知る者は富む」と言っていますし、アリストテレスは「幸福はみずから足れりとする人のものである」と言っています。預言者ムハンマドも「まことの豊かさは物資の潤沢さからのものではなく、心の豊かさからのものである」と言っています。


周りを見渡すと、常に不平不満ばかり言っている人がいませんか?足るを知らない人は一つ満たされても次から次へと新たな不平不満を見つけ出してくるようです。なぜ不平不満が出てくるのでしょう?ひとつには、それは人と比べるところにありそうです。自分が持っていないものを人が持っているとき、人を妬み羨む気持ちが起こり、人と比べて自分の現状に満足できず足りないと感じるところからくるのかもしれません。また、物事が自分の思い通りにならなかったり、自分の気持ちを勝手に人に期待し、人がそれに応えられなかったりすると不平不満が出てきがちです。いずれにせよ、要するに我執であり、自己中心的な状態のときに不平不満が出てくるものだと言えるのではないでしょうか。

そう考えると、おじちゃんの言葉は真理を突いていたんだなぁと今になって思い至りました。新しい製品、新しいサービス、流行の洋服等々、今や情報があふれかえっていますが、おじちゃんの言うとおり、そんなものの存在を知らなければ、今の状態で「満足することを知る」ことが出来るのです。私たちは極めて相対的なことで幸せや不幸せを感じているに過ぎないとも言えます。

人の欲には際限がありません。欲を追い求め続けてもきっと全ては手に入らないと知っているだけでも、楽になれるかもしれません。スーパーマン・スーパーウーマンではない、普通の人であれば、余計にどこかで折り合いをつけて満足することを知っておいたほうが良いでしょう。もっともっとと求め続けていては、決して「幸せ」にはなれないのかもしれないのですから。

私は、あの頃に比べたら夢の様な生活を今、手にしています。風雨を避けられる快適な家があります。職業があります。お給料をいただけています。お腹いっぱい食べられます。洋服もあります。大好きな家内が傍にいます。何かと和ませてくれる愛犬が2匹います。一体何の不満があるでしょうか!?

ホームレス生活最後の日、別れ際、おじちゃんに「お前にはまだまだ先がある。ココの生活に戻ってきては駄目だ!いいか!絶対に駄目だぞ!ココにも出来るだけ近づくんじゃないぞ!」と肩をガタガタ揺さぶられ、真剣な眼差しで言われた言葉が、今日は何だかとても重く感じました。

あなたは「満足を知って」いますか?

EvernoteやDropbox、現在愛用中のサービス一覧

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Evernote・Dropbox・Flickr!・FacebookにTwitterに4SQ・GoogleBuzz等々・・・次々出現する便利なサービスたち。大した知識もないくせに、流行り物好きな私としては、当然知ったらすぐ登録はするものの、イマイチ活用し切れていないサービスもあれば、もうとても手放せない、無くなったら困る、「1軍登録」しているサービスもあります。本当に次から次に魅力的な製品、魅力的なサービスが出るので、だんだん自分でも把握しきれなくなってきた感じが否めなくなりました。

本日は、そんな事情から、どんなサービスを使っているのか、ちょっとに図式化してみたので、各サービスをどんな風に使っているのかご紹介したいと思います。



[使用環境]
会社はLet'snote(WinXP)・自宅はMacbook・そしてiPhone3GS


[1軍登録のサービス]
■Input系1軍・・・Gmail・GoogleReader・Twitter
■集約系1軍・・・Evernote・Dropbox・Posterous・Flikr・Amazon・メディアマーカー・Youtube
■Output系1軍…Blogger・Mindmister
■お楽しみ系1軍…Youtube・Foursquare(書き忘れた...) 


[集約系サービスの使い分け]
●Evernote…Webクリップから、気になったもの、雑多なメモまで何でも集約。日々の気分の記録、集中力の持続時間の記録、クスリの内容など、病気のメモはもちろん、所有品の蘊蓄なんぞも入れてます。仕事の情報は少しだけにしてます (一回まとめて記事にしたいなぁ。)
●Dropbox…主にMicrosoftOfficeで作成された仕事のファイルを集約。こっちはほぼ仕事用。
●Posterous…気に入った動画を集約。ちなみに超気に入った動画はDLするようにしてます(出来ないのも有るけど)
●Flickr…プライベートの写真関係は全部ココ。
 ※BloggerはPicasaに写真をUPして表示するので、ブログ記事に使われているのはPicasaにあります。
●Amazon…欲しいものリストの集約地として使用中。ポチッとするだけなので、面倒が無くて良い。
●メディアマーカー…まだまだ使い込めていないけど、蔵書を徐々に登録していく予定。有料版だったとしても使いたいサービスです。

●Youtube・・・愛犬の動画なんぞがあるので、今後UPしていく予定。

[2軍登録のサービス(点線で囲ってるもの)]
■はてブ・・・いじってるけど、どうも理解できず苦戦中。
■Facebook・・・SNSサービスはコイツに集約しようと画策中。何しろ世界一らしいしね。mixiはもう撤退かなぁ。

■Cliqset・・・TwitterのつぶやきとかをEvernoteに集約できるというので最近登録。試用中。
■feedmyinbox・・・GoogleReaderでスターをつけたものをまとめてEvernoteに集めてくれるので便利。1軍昇格間近なサービスだけど、もうちょっと使ってみないと判断つかない点もあり。
■Dailymotion・・・Youtubeにはない動画があるので、たまに使う程度。DLしたいのがあるけどやり方が良くわかんない…(^^;)
■Googleのサービス全般・・・まだ全然使い切れてない...Google様からしたらお前が2軍扱いだって言われそうww
精進せねば!

図に書き忘れましたが重要なのが『Remember the milk』これはもう必須サービスです。ちょっとしたタスク管理より、長期タスクの管理に向いているんじゃないか?と最近思い始めているので、もうちょっと使いこなせるようになったらまとめてみたいとは考えています。

この他にもFriendFeedとか色々あるけれど、ひとまずこんな所かな?情報収集の部分をもうちょっと拡大したいのと、音楽ファイルを預けるのは何処が良いのか迷っています。別に会社で聞ける必要はないので、Dropboxというのは避けたいし、Sugursyncは同期が遅いって聞くし・・・何か旬なサービス、便利なサービスがあったら是非教えてください!

Lifehacking.jpで絶賛開催中の【ライフハックブログ賞】 ですが、いよいよ〆切が近づいてきました。本当にありがたいことにこのブログ、かなり上位へ食い込んでおります。ホントに嬉しいことですし、応援してくださる皆様には心から感謝です!ありがとうございます!引き続き応援いただけますよう宜しくお願いいたします。もしよろしければ、 Lifehacking.jp 右サイドのノミネート一覧からこのブログのボタンを、ポチッと!お願いしますm(_ _)m

『菜根譚』に見る『減らす技術』の源流

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菜根譚』という書物をご存じでしょうか?中国明代末期、洪自誠(別名:洪応明、還初道人)が書いた随筆集です。前集222項、後集135項からなる書物なのですが、日本では禅僧の間で愛読され、今では漫画版まで出ているのでご存知の方も多いことと思われます。

特に後集2項の『不如省事(事を省くにしかず)』の部分がつとに有名で、政治家の椎名悦三郎はここから『省事』、つまり物事は些細で煩雑なことはなるべく切り捨てて、根幹を成す部分を簡単明瞭に掴むことが肝要。枝葉末節にこだわるあまり、大切な根本をおろそかにしないようにということを人生訓としたとのことで、今も『省事』を心に刻む政治家、経営者は多く、菜根譚の愛読者も多いと聞きます。野村克也氏も愛読していると聞いたことがあります。

私は多少、漢文を読む心得はあるので、たまに原文こちらでも原文が読めます)をつまみ読みしてみるのですが、ついさっき、後集131項がとても興味深い内容であることに気づきました。

後集131項
<原文>
人生減省一分、便超脱一分。如交遊減便免紛擾、言語減便寡愆尤、思慮減則精神不耗、聡明減則混沌可完。彼不求日減而求日増者、真桎梏此生哉。

<書き下し文>
人生は、一分を減省(げんせい)すれば、便(すなわ)ち一分を超脱(ちょうだつ)す。
如(も)し交遊を減ずれば便ち紛擾(ふんじょう)を免(まぬが)れ、
言語を減ずれば、便ち愆尤(けんゆう)寡(すくな)く、
思慮を減ずれば、便ち精神を耗(こう)せず、
聡明を減ずれば、則(すなわ)ち混沌(こんとん)完(まったく)す。
彼(か)の日に減ずるを求めずして、日に増(ま)すを求むるは、
真に此(こ)の生(せい)を桎梏(しつこく)するかな。

<Kazumoto流かなり適当訳>
人生は、何かを少し減らせば、少し何かを越えてゆける。もし交遊関係を減らせば揉め事から解放され、
言葉を減らせば過失を少なくすることができ、
思案を減らせば精神的な消耗をせずに済み、
“聡明=かしこさ”を減らせば混沌の無い本来の心を取り戻せる。日々、何事かを減らそうとせず、逆に増やすことを求めたら、
それは真に、自分で自分の人生を束縛するようなものだと言える。

<解釈本による説明>
一日余計に生きれば、一日余分な垢がたまるのが俗人の人生で来る者拒まず去る者追わずならまだしも、
人間関係なるものを拡大しようとしている老いた俗人は多弁ゆえに陰口を言われ、下手な考えゆえに馬鹿にされ、結局は疎まれて終わっている。言い換えれば、達人の生き方は、正に現役時代に付着した垢を落として、本来の心を発現させてゆくべきものだろう。翻って言えば、達人たる者の人生は「捨ててこそ完成される」と肝に銘じておこう。

日々減ずることを考え求める、これはLeo Babauta著『減らす技術 The Power of LESS』に繋がる考え方じゃないかと思ったのです。明代末期となると1640年頃(明王朝は1644年まで)でしょう。日本では関ヶ原の戦いがあった頃。そんな昔から増やすのではなくて、減らすことの重要性を論じる人がいて、現代でも未だ言われ続けているというのは、人間って根本的な所は進歩してないんだなぁと思うとともに、何とも皮肉な話だと思います。

菜根譚の解釈本が言う「俗人と達人」を現代風にアレンジするとこんな感じでしょうか?

「人脈作り」などと称してパーティーやセミナー、勉強会に出まくり、名刺を配りまくる人は、少しでも自分を良く見せようと多くを語ることになる。多くを語ったがために、いつかボロが出て、陰口を言われる羽目になる。付け焼刃の知識を披露しても、底が知れてバカにされ、結局自分で自分の首を絞めるだけの結果になる。
達人は、日々の生活で出会った人、得た知識、得た知恵を取捨選択し、その多くをバッサリと捨てることができる。重要な人とのみ付き合い、不要な人脈の拡大はしない。自分を良く見せる必要も無いので、多弁になる必要も無い。故に人から疎まれることもない。人生を選択し価値あることに集中することで、達人は達人になるのである。


さて、明日は何を減らしましょうか?

プチマインドハック!落ち込んだ時には"バネ思考"!

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おみくじで悪いくじを引いてしまったとしても「今が底ということだから、これから上向くってことだよ!」なんて言われたことはありませんか?仕事でクレームの嵐に巻き込まれている時なども「今が堪えどころだ、もうすぐ浮上する!」なんてパッパをかけられるケースに心当たりはありませんか?

実は鬱病でも同じようなことを医者から言われることがあります。「落ちるところまで落ちて底を打てば、あとは浮上する」と言うのです。もちろん医者ですから、底を打つ前に自殺しないように予防線はあちこちに張り巡らせてくれるのですが、当人からするとものすごく見放された感じがするのは否めません。何しろこちらは「落ちたくない」んですから。落ちきる前に浮上する手立てを講じて欲しいのに、そうしてくれない、だからこの医者はヤブ医者だ。なんてツイてないんだろう、もう嫌だ、誰も救ってくれない、死にたいと一気に負の思考連鎖を起こしてしまう場合もあるのです。

私の主治医も論理療法より、精神療法を主にする医者なので、上記のようなことを最初の頃に言われました。しかし、この間の検診の際、私が最近考えついたことを伝えたところ、予想外にも納得され、「今後、そういう風に言うことにしよう」とまでおっしゃられたのでプチマインドハックとしてご紹介します。(前置き長い!ww)

このハックは、落ちるだけ落ちたら浮上するという考え方では、どこまで落ちればよいかわからないという不安がどこまでも付きまとってしまうということに端を発します。
しかも「落ちる」というのはどう考えても良いイメージが沸きません。私の中では暗く狭い井戸の底にジリジリと落ちていくといったイメージです。浮上するといっても、映画『リング』の貞子ではありませんが、暗い井戸の壁を苦しみながら這い上がるようなイメージしか沸かないのです。ですから、「落ちる」「浮上する」という言葉を使わずに、「今はバネを縮ませて、力を溜めている状態なんだ!」こう考えたらどうだろうと言ってみたのです。

バネに全体重を乗せて、バネの反発力を最大にする為に、体重はもとより"気持ちまで"乗せて、グイグイとバネを縮めているんだと考えれば、その力が解放された時「どっかーん!」とジャンプできるイメージが沸きます。その「どっかーん!」の時のための準備が、今の状態なんだと考えれば、妙な負の思考連鎖に陥ることもなく、「どかーん!」を楽しみに待つことができるんじゃないかと考えたわけです。

鬱だとしても「どかーん!」の準備期間だと肯定的に捉えられる可能性が出てきます。実は、ポジティブシンキングも鬱の人とってはちょっと危険なのです。何しろポジティブになりようがないんですから。「前向きに!絶対治るよ!頑張ろうよ!」といわれても、何を前向きにしたらよいのか、何を根拠に治るというのか、何を頑張ればよいのかと頭が混乱するだけ。最後はもう前向きになれないし、もう頑張れないし、もうダメだ、死のうとなるのです。だから「ガンバレ」は言わないほうが良いということになるわけです。
 

しかし、バネの例えであれば、頑張らなくて済みます。たとえもっともっと落ち込んだとしても、その分、反発力が強くなって、すごい「どかーん!」になるかもしれないと思うことができます。

もし、これを読んでくれた方で、「前向きに、ポジティブに、ガンバレ!」と言われて当惑するようであれば、是非この”バネ思考”を試して欲しいと思います。別に無理してまでポジティブシンキングにしがみつくことはないと私は思います。人間生きていれば嫌なことも沢山あるし、気分が落ち込むことも少なからずあるものです。全然無いという人の方が変だと私は思います。

落ち込んだ時、落ち込むに任せて、負の思考連鎖に巻き込まれないように、バネを縮めて縮めて最大の反発力を得るための準備中なんだ。そう思うだけでホンの少しかもしれませんが、気分的に楽になれる可能性があります。実際、鬱から復活すると「どかーん!」と感じるものです。私の場合は、大げさでも何でもなく普通の日が、普通のことができることが、とても楽しいものになりましたから、自信をもってそう言えます。

何か気分が乗らないなぁとか、今日はダメだなぁと一日の終りに思ったとしたら、今日はバネを縮めた日なんだと考えてみてはいかがでしょうか?苦しいとき、シンドい時は「どかーん!」はいつだろうなぁと、楽しみにしてみてはいかがでしょうか?気の持ちようなのかもしれませんが、少しは気が楽になるかもしれませんよ!

品質管理にみるLifehackの見つけ方

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製造業にお勤めの方は、骨の髄までこの考え方が浸透しているでしょうし、耳タコものだと思いますが、品質管理の手法のひとつに、6Sという考え方があります。整理・整頓・清潔・清掃・躾・習慣の6つのことです。ちょうど今、職場のワークフローの全工程の見直し改善作業という長期スパンのタスクを抱えているので、品質管理やら業務管理やら、会社のお金の流れなんて基礎的なところまで、全部再学習&適用の模索をしているのですが、ひょんなことから品質管理とLifehackに共通性があることを発見しました

トヨタ生産方式を研究し、それを一般化・再体系化した、マサチューセッツ工科大学のジェームズ・P・ウォマック(James P. Womack)、ダニエル・T・ジョーズ(Daniel T. Jones)両名による、リーン生産方式(LPS / lean product system)では上記6Sをさらに、このように分析しています。

  • 「選別する」ー材料と道具は必要なものとそうでないものに分類する
  • 「整える」ー道具やその他のものを使い易いように配置する
  • 「磨く」ー清潔を徹底する
  • 「標準化」ー上記の3つを実施するために、いつ何をするかを具体的に示した計画を作る
  • 「維持」ー各ステップ実施を、継続的から習慣に変える工夫をする

さて、職種によって必要な道具というものは大きく違ってくるとは思いますが、「私の仕事にはこれが必要だ!」という仕事の相棒を全て書き出したことはありますか?ちなみに私が書き出した結果はこうでした、

パソコン、マウス、マウスパット、電話、電源タップ、手帳、5x3インチカード、iPhone、3段トレイ、文具(4色ペン+鉛筆+製図用シャーペン+蛍光ペン3色+ナイフ)、ホチキス、ゼムクリップ、印鑑、朱肉、精密ドライバー、ピンセット、メンディングテープ、定規(30cmと三角スケール)、カッター(大・小)、カッティングボード、クリップボード、A4裏紙、昼寝用枕、複合機(共用)です。

また、資料の類も、当社 のカタログ、Excel マニュアル本、各種プリンタのドライバCD、MicrosftOfficeのライセンスCD、PCのリカバリーCD、多少の業務マニュアルくらいでした。

これは意外と少なくてイケる!と思ったので、上記を除いたものを、昨年末の仕事納めの時に、すべてダンボールに詰めて倉庫へ隠し、どれだけ困るかどうか1ヶ月ちょっと様子を見ているのですが、今のところ全く困ることはありません。これは「選別する」という作業を終えたと言って良いと思っています。

次に「整える」ですが、先般のエントリー「GTDの網をすり抜ける極小タスクの捌き方」でも書いた通り、自分が快適な環境は現時点ではコレだ!というのを決めていますので、それ以外は引き出しに取りやすいように配置してしまってあるのでOK。

「磨く」については、毎朝私は、自分のデスクを拭き掃除しますし、帰社する際にも乾拭きをしてから帰るようにしているので、クリア。

「標準化」ですが、複合機は共用資産なので別として、私は金曜日の4時30分頃から5時頃までを、これら最低限必要なもののメンテナンスにあてるようにしています。パソコンのキャッシュを消したり、といったところから、ペンのインクの減り具合の確認、ホチキスの針の補充、カッターの刃を折っておくなどを行っています。これは次の「維持」とともに最早習慣なので、これらもクリアでしょう。

つまり、なめらかに日々の仕事を行うにあたり、無駄と障害を特定し、減少させ、排除し、残った必要なものをメンテしていく絶え間ない手順である品質管理手法は、知的品質管理(?)にも十分当てはまる「普遍の仕事の手順」なのだと言えそうだと思うのです。

ジェームズ・P・ウォマックとダニエル・T・ジョーズは、このシステムを維持、向上させる重要な方法として、「どうすれば毎回仕事を、より手際よく、迅速に、簡単にこなせるだろうか?」こう自問して絶え間ない向上に努めることが重要だと述べています。

この言葉って、Lifehackと同じだと思いませんか?@mehoriさんも、@nokibaさんもライフハックとは「小さなことを繰り返すこと」「人間の頭のいい部分と、悪い部分をつなぐ近道」「人生を変えるための小さな習慣」だとおっしゃっています。これは少しづつ手際を良くしていく品質管理と同じじゃないか!?と気づいたわけです。

新しいLifehackを見つけようと身構えると全然思いつきませんが、毎日終わった仕事を少し振り返って、より楽に、簡単に、速くこなせるポイントはないか?と問い続けていれば、ガンガン見つかるかもしれません。それこそ、電話の角度は50°が一番ボタンを速く押せるというのも、MyLifehackでしょうし、私のようにあえてワゴンは使わないことで収納量を減らすというのもMyLifehackといえるでしょう。より少ないキーストロークで文章を書くようにするソフトを使うのもLifehackですね。

少しでも楽できるポイントをワクワク楽しみながら探す。Lifehackも品質管理も、家族を驚かす悪さを考えていた子どもの頃のような感じで、肩肘張らず気楽なスタンスでいる方が良い結果に結びつくのかもしれません。

欧米の仕事術から学ぶべきは「休み方」ではないか?

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このグローバル社会において、欧米人と日本人のような二項対立論は無粋な対立軸であり、意味をなさないのかもしれませんが、今回はあえてこの使い古された対立軸で「仕事」を考察してみたいと思います。
(※本記事では、「日本人」という言葉は、かなり幅広い年代を想定して書いています。必ずしも現役世代だけを指しているわけではないのでご了承ください。)
陶器を引き合いに出すのが一番早いと思うのですが、定規で引いたような直線的な美、写実的な美を好む欧米人と、歪みやいびつさに美を見る日本人という違いはあるように思います。これは性質的な違いにがあることを意味していると思います。

仕事に対する姿勢もこの例と同様に異なるように感じるのです。欧米人は仕事をなるべく早く片付け自宅に帰ることを優先し、効率的かつ集中的に仕事に取り組んでいると言います。そうであれば『GTD』も『7つの習慣』も『減らす技術』も、極論すれば「少しでも早く自宅に帰る為」に考案された仕事術とも言えるかもしれません。かたや日本人は(昨今はだいぶ事情が変わりましたが)長く会社にいることこそ美徳とでもいうか、欧米人ほど、早く家に帰るという衝動が希薄なように思います。故にスピードや効率より、居心地の良さのようなものを重視し、5Sや改善など、まずは自分たちの居場所を良くすることによって、品質を上げるという仕事法を開発したとも言えるかもしれません。
 
上記のような価値観を持つ欧米人には、意味もなく長時間会社に居る日本人は奇妙に映るのだと思いますが、長時間会社に居る人の大半は、その実「半分遊び」の要素も含んでいて、日本人にとって会社とは社交的なふれあいの中に、安心感を味わう一種のコミュニティとしての機能もあるのだと私は思っています。
従って、サービス残業といわれるものも、仕事の延長というよりも人間関係の延長線上という意味合いの方が強いのかもしれません。だからこそ、たとえやるべき仕事がなくても、家庭にいるよりも会社にいた方が落ち着くとさえ言う猛者もいるのでしょう。しかし欧米人にはこれは絶対に理解できないことだと思います。欧米では仕事は自分との戦いとであるとともに、他人との戦いでもあるわけです。詰まるところ欧米人にとって会社とは戦場なのですから。それは一刻も早く帰りたくなるわけですよね。


さて、こうした欧米と日本の仕事に対する姿勢の違いを見たところで、欧米人から日本人が学ぶべきポイントとはなんでしょうか?私はそれは「休むということの大切さ」だと思います。

日本では「休む」という義務どころか、その権利すら自覚している人は少ないのではないでしょうか?ご自分の有給休暇の日数、すぐわかりますか?休むことは恥ずかしいことだと思っている人も少なくないでしょう。仕事をしていることを誇りに思うのであり、休んでいる時を誇りに思うのではないのです。日本人は仕事こそ「聖」なるものであって、休みではありません。この考えは欧米人とは正反対です。

キリスト教では、休むことは最も「聖」なものですから、休日を英語で「holyday(聖なる日)」と呼ぶわけです。そして、休む人の邪魔をすることは大きな罪の一つとされています。仕事の邪魔はしても、寝ている人を起こすほど行儀の悪いことはない、というのが欧米人の考えです。欧米には「寝る人は罪を犯さない」という諺があるそうです。仕事は罪になっても休むことは罪にならないということですから、ずいぶんと徹底されたものです。

そこまで休日にこだわる、欧米人の休みの過ごし方は実に上手だと思います。家庭で美味しいお菓子を作ったり、ビーチで一日中日光浴をしていたり、庭の手入れをのんびりしていたり、日曜大工をしていたり、ホームパーティーで近所の人たちと交流したり。TVでそういう映像を見る度に「カッコいい」と私は思います。休日の過ごし方が上手な人は、とても素敵だと私は思います。

では、日本人はどうでしょうか?ちょっと想像してみてください。「丸一日、南国のビーチで好きに過ごしていいよ」と言われて島に降り立ちました。果たして何分デッキチェアに座ってのんびりしていられるでしょうか?「何かやることはないか?」と探し始め、海に入ってみたり、小枝で砂浜に落書きしてみたり、チョコチョコ慌ただしく動き回っているという結果になりはしないでしょうか?

あらゆる仕事術に関する本はどれも、効率的に、より速く、より正確に仕事を片付ける方法を教えてくれます。その本が欧米の本であれば「全ては休みの為に!」という思いが行間に込められているのかもしれません。しかし、私たちはそれを字面通りに受け取り、仕事術を駆使して、どうにかできた時間を「自己投資」に回し、さらに仕事を増やす結果になってはいないでしょうか?

先日の結婚記念日に家内と話しあって合意した今年の私たちの方針のひとつに「休日は王族のように過ごす」というものがあります。予算は超庶民でもね(笑)気持ちだけは王族の休日。王族は仕事の会話は一切しないでしょう。優雅に愛犬との散歩も自由なコースで行くようにする。料理の新メニューを開発してみたり(私に料理を仕込むという裏目的があるのでしょう…)、所有している品々を題材にイラストの練習をしてみたり…小さいかもしれませんが、丁寧に心を慈しむ日にしようと決めました。

作った時間をキャリアアップの為に使うのも一法でしょうが、心のキャリアアップということで、「休むことを練習する」ために使うのも良いのかもしれません。のんびり習い事(楽器とかペン習字とか?)でも初めて見るのも手かもしれませんね。

真に美しい物は沈黙を強いる-武相荘にて-

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先日、旧白州次郎邸「武相荘」を訪れてきました。勿論、私が白洲次郎という不世出の傑物の大ファンだということもあるのですが、実は、そのことよりも正子夫人が稀代の目利きであり、一般公開されている武相荘では、その愛蔵品から四季にあった品物を季節毎に展示しているので、そのお宝を直に観てみたかったというのが本音です。

母屋に入り、最初の部屋は洋間です。その部屋は完全に白洲次郎の部屋です。英国人より英国人らしいとまで言わしめた男の美意識が見て取れます。ソファにふわっとかけられたセーターですらカッコイイ。本棚の上に無造作に重ねられた100年前の辞書、ワイングラスと無造作に広げられた当時のイギリスの雑誌。「こんな部屋で暮らしたい」本当にそう思わせるかっこよさです。何しろあの白洲次郎の部屋を再現するのですから、展示するスタッフの方も大変ご苦労されていると思います。

その洋間を抜けると、和室が二間。片方に着物や反物、もう片方に漆器やお盆などが展示してありました。私は着物に関しては完全に素人ですし、磁器に関しても大した知識はありませんが、順路である廊下から右に振り返って展示品が目に入った瞬間、息を飲み、背筋がゾクゾクとするばかりで、しばし動けなくなりました。素人でもその品々の美しさに圧倒されるのです。

江戸時代の漆器、誰もが知る名工の碗、螺鈿のお盆、古墳から出土したガラスで作られた装身具、花器、書、着物・・・etc・・・そのジャンルは多岐にわたり、造詣の深さとその目利きにただただ圧倒されます。

そして脳裏を過ぎったのは世阿弥の『花伝書』の一節でした。

物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところを知るべし。美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。

花同様、「物の美しさ」については、如何様にも話すことができます。このブログの愛着品紹介なんて良い例でしょう。使いやすい、見た目が美しい、こういう材料を使ってる、こんな職人さんの技術で作られている・・・etc、でも、今まで紹介してきた愛着品たちには心苦しいのですが、これは格が違いすぎます。本当に、真に、美しい物はその姿形で充足している、もしくは完結しているので、言葉が入りこむ余地がありません。故に沈黙を強いるのだと強く感じました。(私の所有している物で唯一対抗できそうなものは鈴木りょうこさん作の茶碗くらいです)

またその美しさは、所有し、使って初めて、真の美を纏うのだと感じました。展示してあるもののどれもが絶対一度は日常生活で使ったであろう跡を観ることができたからです。ほんの少しの傷、かすれ、カケ、それすらも美の構成要素の一部なのです。
美とは、物とは、決して単に鑑賞するものではなく、本来は、共に過ごし、共に語らうことができる親友のような関係であるべきなのかもしれません。そう考えると、価格の多寡に関わらず私の愛着品たちも、ちゃんと毎日実生活で使い、生活に彩りをもたらしてくれていますから、徐々に美しさを纏うようになってくれると嬉しいなぁと思わずにはいられませんでした。

帰り道、運転をしながら先ほどの衝撃と感動を思い返していると、ふと恩師のことを思い出しました。恩師の自宅の客間には南大路一画伯の書いた『春』の原画が飾られています。この絵も初めて見た時にハッと息を飲み、微動だに出来なかったことがあります。その時、恩師にこう言われたことを思い出したのです。

へぇ。これを見て、動けなくなるか。感じることができるんだね。もっと沢山のものを見ていると、次第に物がハッキリと「見える」ようになる。何十年後かな?まぁ楽しみにしていなさい。

未だ「見える」ようになっているとはとっても思えませんが、少なくともまだ「感じる」感性は有していたようです。
美しい物を感じ続けると見えてくるもの、もしかしたらそれは何かしらの「理」もしくは「筋」なのかもしれません。

最後は武相荘の主、白洲次郎の言葉で締めることにします。

プリンシプルを持って生きていれば、人生に迷うことはない。
プリンシプルに沿って突き進んでいけばいいからだ。そこには後悔もないだろう。

5x3カードがあればノートは要らない

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少々過激なタイトルですが、私の生活(仕事もプライベートも)において5x3インチのカードがあれば、本当に、いわゆる「ノート」は必要なくなりました。
松浦弥太郎氏著『日々の100』の1番目のアイテムはレシピカードボックスと5x3インチのカードです。その最後はこう締め括られています。

5x3カードとスケジュール帳のみで、僕の仕事は充分足りている。

カードというと、私は名刺大のものか京大式のものばかりと思い込んでいたのですが、恥ずかしながら、この本を読んで始めて5x3インチ(127 mm x 76 mm)というサイズの存在を知りました。

このカードが本当に松浦氏の言うように便利なモノか確かめてみようと、昨年11月末頃より試用していたのですが、私にとっては、5x3インチカードがあれば、ノートは不要だという結論に至りました。今使っているのは入手しやすいコレクト情報カード5×3無地 C-531です。(Amazonでは100枚入りで338円)

このカードはかなりコシが強いので、クシャクシャになってしまうこともほぼありません。トランプより少し薄いくらいの感じと思っていただければ良いと思います。スーツの内ポケットに無造作に入れておいても問題ありません。
また、大きさが丁度良いのです。ミーティングのメモ程度であれば、かなり長時間の会議でもカードの両面とも使えば、2枚で充分に事足りてしまいますし、アイデア出しの時にも名刺大のサイズと比較してかなり大胆に書けるのでとても便利です。単体でTodoリストとしても使えるでしょうし、1枚をコンテクスト([@買い物カード][@連絡カード]等)として、そこに項目を書き付けていけば、GTDにも使えるでしょうし、何枚かまとめて持てば、HipsterPDAとしても使えるでしょう。もちろん、情報カードの積極的な活用法の一つである。PoIC(ポイク、Pile of Index Cards:情報カードの積み重ね)的に使えるのは言うまでもありません。

「ほんとにそんなに書けるの?」と思われると思いますので、具体例をあげると、1月の佐々木正悟さん@nokibaさん)のセミナーではEvernoteについてのメモで1枚(両面)、Toodledoについてのメモで1枚(両面)、ミニプレゼンで1枚(両面)、自分の感想や疑問点で1枚、と計4枚で足りました。その後、Scansnapで読み込み、Evernoteに入れておけば、iPhoneでいつでもメモを見直すことができます。

さらにこのカードサイズの最重要ポイントとして、このカード、Moleskinのポケットに収納するのに丁度良いのです!!手ぶらスタイルを基本とする私には、これはとっても重要なポイントです。

現在、私のこのカードの使い方は、Moleskinのポケットに5枚常備(ストックは自宅と会社に置いてあります)さらに1枚をユビキタス・キャプチャー(以下UC)用として、Moleskinの表紙裏の厚紙の部分にゼムクリップで常に止めてあります。こちらに写真をUPしてあります。Flickrへ飛びます)
1枚だけ別にセットしてあるのには理由があります。現在愛用の手帳はMOLESKINE スケジュール+ノート ハードカバー赤なのですが、左側は当然スケジュールなどを記入、当初の予定では、右のページにUC用と考えていたのですが、意外と仕事の記録が幅を利かせてきまして、右のページもほぼ仕事の内容一色になってしまいました。つまりUCを書き込むスペースが無くなってしまったのです。

そこで、5x3インチカードをUC用として活用することにして、後でScanSnapで取り込むことにより、手書きのものもEvernoteに集約させるように運用法を変更しました。いつでもiPhoneでEvernoteアプリを立ち上げ、メモできればよいのですが、本当に一瞬のことを書き留めるのには、まだまだ手書きの方が早いので、こういった対策をとっています。(フリック入力の修行が必要ですな)

ちなみに、UCのメモはEvernoteに取り込んだ後、[UC][5x3][2010][MM][DD]の5つのタグを付けることで引き出すことができるようにしています。Evernoteのタグは階層化できますので、予め2010年タグの下に01月〜12月のタグを構成を作っておき、その下に入れていくようにします。こうすることでUCの肝である日付で追えるようにしています。(ATTRIBUTES機能を使えば良いだけなのかもしれませんが・・・まだこの辺良く分かってませんので、今はタグで管理してます。)

多ノート派か1冊にまとめる派か等、ノートの活用法については色々な書籍、記事を目にしますし、どれにしてもメリットは大きいのだと思います。しかし、とにかく両手をフリーに、最低限の持ち物しか持たない、『ウルトラライトビジネススタイル』を標榜する私としては、iPhone+Moleskin+ペン+5x3カードさえあれば、仕事のスケジュールからタスク管理、UCまでをカバーすることができることがわかりました。カードであればノートのようにかさばることもありません。オフィスだったら複合機で、自宅だったらScanSnapで取り込み、Evernoteにで一元管理出来た方がノートに書き留めるよりも、何かと使い勝手が良いように感じています。もし書き留めた内容をEvernoteに集約するお考えであれば、ノートの代わりにカードを使うというのは結構良い手段だと思います。

GTDの網をすり抜ける極小タスクの捌き方

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先日、「ふ〜、今日の仕事はほとんど片付いたなぁ」と思いながら、手帳に貼り付けてあるGTDのワークフロー図を見ていたところ、「仕事の定義」について改めて考えさせられました。『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』では

仕事とは、現状を変えたいこと、変える必要があることという広い意味で用いている。P21

とあります。Lifehacking.jpを主宰されている@mehoriさんは「机の上に残された1枚の紙を片付けるのもタスクなのです」以前ブログで書かれています。つまり変える必要がある事柄全てが、仕事でありタスクであるわけです。

"すべて"の変える必要があることを仕事と捉えると、仕事量は必然膨大な量になります。今、この草稿を書いている会社の私のデスクでは、飲み終わった缶コーヒーの空き缶が1本あります、先ほど使った付箋が引き出しにしまわれず出たままです。少し前の作業で使った太い輪ゴムが2本デスクの上に出ています。あ、蛍光ペンも出しっぱなしです。これは片付けるという「変化」をさせなければならないことですから、GTDのシステムでは「仕事・タスク」ということになります。
また、GTDの最初のステップは「収集」つまり「気になることを"全て"書き出す」という手順です。手順通りにするのならば「空き缶を捨てる」というのも書き出して、頭を空っぽの状態に保たねばなりません。

しかし、一般的に言われる「仕事=業務」の内容は事細かに書き出していても、「空き缶を捨てる」という「仕事」を書き出せている人がどれだけいるでしょうか?もちろん原理・原則に則り、書き出すのが最善なのでしょうが、頭の外に書き出せない・書き出し忘れる・書くまでもないと思ってしまう、といった、GTDの「収集」の網をすり抜ける極小タスクは、どうしたら適切な対処が取れるのでしょうか?

私なりに色々試行錯誤した結果、整理術を駆使することで解決するのが手っ取り早いとわかりました。即ち、
  1. 自分が気持ちよく作業ができる環境(基準)を決める。
  2.  基準"以外の要素を排除する時間"を3分3セット計9分を作って一気に「実行」する
これだけです。3セットにしているのは、3回の必ず取るようにしている休憩時間に合体させて実行しているからです。書く気になれないけど、変えなければいけない極小タスク(=空き缶を捨てる等)は1日3回、予め時間を確保して、そこで一気に片付けちゃおう!というわけです。

この発想の元は佐藤可士和氏のオフィスとデスクです。佐藤可士和氏率いるSAMURAIのオフィスが"超"整理が行き届いた状態であることはつとに有名です。あのオフィス、デスクの状態が佐藤可士和さんにとって、最も仕事に適した快適な環境の基準であり、それ以外のモノは時間を取って整理しているからこそ維持できているのだろうと思ったのです。

では、実際に私が気持ちよく作業ができるデスクの状態とは何だろうと、あれこれ模索した結果、写真のような状態(Flikerに飛びます。詳細を載せてます!)であれば気が散ることが少なく、仕事に取り組めるとわかりました。

平机の上には
電話・電源タップ・ノートパソコン・マウス・マウスパット・iPhone・モレスキン手帳・コースター・カップ

右隣の脇机の上には
3段トレイ・クリップボードに挟んだA4裏紙・鉛筆

これが現状、私にとっての仕事に適した快適な状態のデスクの基準です。
つまりは、一番自分が業務に集中できる(気持ちの良い・快適な)状態を決めて、それ以外を時間を決めて定期的に排除することによって、GTDの網をすり抜ける極小タスクを書き出さずとも、一気にやっつけられるというわけです。

実はこれ、家庭でも同じように使えます。
・ダイニングテーブルの上には、ティッシュボックスとペントレイに乗る筆記具以外は乗せない。
・リラックスチェアとオットマンの上に、ブランケット以外は乗せない。
・テレビなどのリモコンは所定の引き出しにしまう。
などなど。幾らでも出てきますね。

帰宅したら、ダイニングテーブルにDMが出しっぱなしだったり、読みかけの雑誌が積んであったり、朝食の食器がそのままだったり、ソファに衣類が積んであったり等など、生活のほんの些細な乱れが及ぼす、ストレスの影響は想像以上の破壊力があります。また、何故かこういう極小タスクは1つあるだけで、他の極小タスクを次々に集める性質があるようですから定期的に退治することが肝要だと思います。

是非、まずは職場でも家庭でもターゲットを一箇所決めて、基準以外を定期的に排除するようにしてみてください。例え書き出さなくても、意外とストレスフリーな状態を保てるのではないかと思いますよ!

私の「声」について

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Lifehacking.jpで絶賛開催中の「ライフハックブログ賞」ですが、とてもありがたいことに、このブログ、随分と健闘しております。応援していただいている皆様には本当に感謝の毎日です。この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。すごく励みになっています!ありがとうございます。

そんな「ライフハックブログ賞」ですが、投票するにあたっての選び方として「そのブログはどんな独特の「声」を発信しているか」という視点での投票がルールに加わることになりました。さすがは@mehoriさん、このまま最終日まで行くとは思っていませんでしたが、まさかルールそのものを変えてくるとは(笑)

では、このブログ「Find the meaning of my life.」ではどんな「声」を発信しているのでしょう?私なりに過去の記事をざっと読み直して、今日一日考えてみました。
今、このブログの柱となる「声」は以下の4点です。


A.病を患っていても、生産性の高い仕事ができる方法の模索
 a.ITツールをロイター板のように使う方法の模索
 b.病気を個性にまで高める方法の模索
 c.精神的に安定した状態を維持する方法の模索
B.己の生き方(美学・流儀・プリンシプル)の模索
C.読書やセミナーで得た知識、実践した結果のシェア
D.愛着品紹介によるモノとの関わり方の模索


ちょっと欲張りすぎなのは否めませんが、どれもこれも私の中では密接に関わりあっています。ことさら病人なのを強調するようで、ご気分を害される方もいらっしゃるのは重々承知ですが(何卒ご容赦願います)、今の社会は、鬱に限らず何かしらの病を抱えていても尚、普通の元気な人と同様、若しくはそれ以上に成果を上げねば、職を失い、食べていけなくなる社会です。本当に悲しいことですが。

何らかしらのハンデを背負っていても、ITツールや様々なLifehack、Mindhackを駆使し、どうにかして「働"ける"喜び」「笑顔でいられる生活」を死守せねばなりません。病気を患っている人でも、「小さな技術」「小さな工夫」をあたかもロイター板のように使い、病という谷底からのジャンプでも地面を超え空まで達せる方法を探していきたいと思っています。それ故に読書やセミナーで得た知識を、私が実践した結果をシェアしたいと思っています。

また、私は他の人とは違う、相当に特殊な経験を多々しています。それ故、普通とはちょっと違った人間や社会の見方を提示すると共に、ブログタイトル名通り、私が私自身を知りたいと暗中模索・自問自答し続けそれをアウトプットすることにより、読者の皆様にも何かしら「へ〜こんな視点が!」「え!?こんな世界があるの?」みたいなものを持って帰っていてもらいたいなぁと思っています。

そして生きていく以上、モノが無い生活はあり得ませんから、溢れんばかりのモノとどうつき合っていけば良いのか、整理整頓や生活の見直しも織り交ぜつつ、書いていきたいと思っている次第です。

完全に単なる思いつきで始めたこのブログですが、大勢の皆様にご支援をいただき、Twitterやブログのコメント欄、他の方にブログの中で取り上げていただけるようになり、様々なご指摘、アドバイス、応援、をいただくことによって、このブログも、私自身も、少しずつ成長させていただいているなぁと感じています。

とりあえず、雑多ながらもそれなりに考えて書いている"ようです"ので、今後ともお付き合いのほど、宜しくお願いいたします。

ということで、「ふーん、面白そうな「声」出しているね」と思っていただけたら、ブログLifehacking.jpの右サイドバーでこのブログをポチっと投票お願いします(笑)