ルールが変わったんじゃない、競技が変わったんだ。

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毎日更新記録を更新し続けている、@shimoyamaさん主宰のブログ「When you were young」ですが、今日もまたとても興味深いモチベーションをテーマにした記事をアップされておられました。読み進める内にちょっと思うところがあったので、触発されて記事にします(^^)/

@shimoyamaさんがおっしゃるとおり、現代は熾烈な競争社会という側面を厳然と持っています。何を争っているかと言えば単刀直入に「金」でしょう。昔、学校で、もしくは家庭でこうは教わりませんでしたか?
 

みんなと同じように、一生懸命勉強して、良い大学に入って、大きい会社に入って、努力してお金持ちになれば幸せに暮らせる

もはやこれは全て破綻していることは全国民、百も承知でしょうが、どうも「みんなと一緒」「一生懸命」「お金持ち」というのが髄まで刷り込まれてしまっているのではないかと思います。

しかし「みんなと一緒」ではダメらしい。「単に一生懸命」でもダメっぽい。「お金持ち」がゴールではないみたいだ。とみんなわかっていても、刷り込みから脱出できないので、未だにモチベーションは「金」ということになっているのではないでしょうか。

ではなぜ、昔教わった「成功の道標」が使えなくなってしまったのか?良くルールが変わったと言われますが、私はルールではなく、「競技そのもの」が変わったのだと思います。何から何に変わったのか?ズバリ「野球」から「サッカー」に変わったのだと思います。

「野球」の時のルールはこうです。特にゲームに時間制限はありません。役割はほぼ固定。ピッチャーがキャッチャーをやったり、ショートがライトを守ったりはありません。打者は打者です。監督の指示通り動けばOKです。重視されるのはみんなと上手くやっていく協調性。「管理野球」というのが象徴的な言葉でしょう。

会社で例えれば、上司が働きぶりを管理します。時間制限なく残業した方が好印象を与えられます。みんな残業しているところ「お先に」とはとても言えません。上司の言うことは絶対です。打者は営業部。守備は総務部や経理部といった部署。打者だったら、ホームラン打ったり、コンスタントにヒットを打ち続けていれば生活は安泰。守備も堅実にポジションを守りきれば出世できます。会社に属してみんなと一緒にできれば良かったわけです。

しかし私が考えるに、今は「サッカー」なのだと思います。時間制限があります。大まかな監督の指示はあるでしょうが、基本的にはピッチに立っているメンバーが状況に合わせて、臨機応変な対応をせねばなりません。キーパー以外のポジションはかなり流動的です。FWがディフェンスに回ったり、ディフェンスが上がって点を取るなんてしょっちゅうです。攻守の切り替えは目まぐるしく変わり続けます。

「野球」の頃のルールであった、「上司の指示が絶対」という基準は崩壊。現場の一人一人が考え、適宜対応せねばなりません。時間制限があるので、無制限に残業というのもできません。常にゲーム全体=会社全体のことを一人一人が考えていないといけないので、営業だけできればOKとか、経理だけできればOKというのは通用しません。求められるのは、一人で多様な役割ができる「オールラウンダー」もしくは「ファンタジスタ」です。協調性より「自主性」や「独自性」が求められているように思うのです。
(「野球」より「サッカー」の方が競技人口が圧倒的に多いことも、グローバル化という現代社会に適した例えなのではないかと思います)

そしてもうひとつ。@shimoyamaさんの記事では、Harvard Business Reviewの記事を引き合いに出されていましたが、これは「宗教観」の違いもあるのではないかと私は思います。Google日本法人名誉会長でいらっしゃる村上憲郎氏の『村上式シンプル仕事術』にはこうあります。
 

彼ら(注:キリスト教信者)の価値観では「背が高い」とか「学歴が高い」「収入が多い」ということは ー評価基準ではないとは言いませんがー 第一義的な価値ではない。(中略)本当の価値の基準は「神様と直面したときにどうなるのか、どうするのか」にあるのです。

つまりは神の前に歩み出た時"progress"(前進・進展・上達)している状態でいたいという思いがあるから、モチベーションに影響する要素としてProgressが上がってくるのではないかと思うのです。他方、日本人は神をキリスト教のようには捉えていない人が大多数だと思います。しかも高度成長期に「収入が上がる」=「豊かになった」という考え方がすっかり定着してしまったので、バブルがはじけるまで「金こそ絶対の基準」だったのだと思います。そして不幸なことにその基準を信じる世代から教育を受けてしまった今現役で働き盛りの世代が、この呪縛から逃れることは容易なことではないでしょう。

今すぐ会社を辞めて徒手空拳で世間の荒波を乗り切れる力を有している人なんて極少数でしょうし、それなりの「技術」「経験」を会社で得てきたとしても、会社という後ろ盾が無くなった途端、途方に暮れる人が多いことはニュースでも耳にします。ですから、別に全員が全員フリーランスになろう!みんな起業しようぜ!と言っているわけではありません。会社組織の中でも部署を横断できる、会社全体を見渡せる能力を身につける努力をし、組織の中で凛とした独自性を発揮し続けていれば、十分対応できているということになるのではないかと思います。いずれにせよ、競技自体が変わってしまっているわけですから、孤立することを怖がらずに「拝金」の呪縛から逃れる必要が有るのだろうと思います。


とは言え・・・私は「お金降ってこないかなぁ」とか毎日のように思っていますが(^^;)

2 コメント:

匿名 さんのコメント...

Gmail開発チームはプロマネが1名で後30名は皆エンジニアだったとのこと。競技場からはみ出さないように、ルール違反しないようにだけ見守っていれば、それぞれのプレーヤーは創造性を発揮して共同します。日本の会社でもバーチャルな組織・プロジェクトをたくさん作って、真の仕事をしたいんですが、縦割り組織の中で、上司の監視のもと、ずっと席に座ってないとだめなんですよね~。

hiroshimo さんのコメント...

ブログ記事取り上げてくださってありがとうございます。キリスト教の価値観との関連でProgressを考察されている点、大変興味深かったです。宗教についても考えるところはたくさんあったので「なるほど!」という感じです。村上氏の本にも記述があったのですね。シンプル仕事術は未読なので今度読んでみることにします。