憧れの食卓

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サマーウォーズのDVDを一人で観ていて、子供の頃からず〜っと憧れていたモノと対峙せざるを得ず、色々考えさせられました。
この映画は非常に面白いですし、仮想空間<OZ>と現実世界のリンクっぷりも、いつの日かあんな世界になるのかなぁなんぞとワクワクさせられるものです。大好きなアニメTop10に確実に入る作品です。

恐らくこの映画で泣けるシーンは「栄おばあちゃんの死」のシーン、「栄おばちゃんの遺言書」のシーン、「花札バトルでの世界中からの応援」のシーンなどではないかと思うのですが、私はまったく違うシーンで、映像を一時停止しました。それは、

「陣内家全員で食卓を囲むシーン」です。

サマーウォーズの主人公(?)小磯健二と同様、私もああいう風に大勢で食卓を囲むという豊かさを知らないのです。

私の父方の家族は陣内家のような大家族でした。しかし、全員が揃ったのは叔父が交通事故で亡くなった時だけと記憶しています。全員で食卓を囲んだ記憶はありません。父親の兄弟の正確な人数も知りませんし、名前も知りません。

母方の家族は祖父・祖母・叔母・母の4人ですが、父や叔父、従兄弟を交えて全員で食卓を囲んだことはありません。祖父・祖母の兄弟の人数、名前も私は知りません。

自宅では、平日父が帰宅するのは決まって深夜2時か3時頃でしたし、休日は接待などで居なかったので、全員で食卓を囲んだ記憶が殆どありません。外食の記憶はありますが、家で家族で食卓を囲むという思い出がないのです。

以前の記事で、「私の成功の定義は「円満な自分の家庭を持つこと」でした。」と書きました。確かに家内というパートナーを得て、自分の家庭を手にすることはできました。しかし、それでも、私の「家族」はもう集まることはできません。妹がこの世にいない今、もう「家族の食卓」を再現することはできない。そして実現不可能なそれこそが私が子供の頃から憧れ続けていたものなのだと思わざるを得ませんでした。

栄おばあちゃんの遺言書にはこうあります。

家族同士、手を離さぬように。人生に負けないように。もし辛いときや苦しいときがあっても、いつもと変わらず家族みんなそろってご飯を食べること。一番いけないのはお腹が空いていることと、一人で居ることだから。

私の家族は全員が全員、手を離してしまいました。つなぎ直したくても、もうつなぎ直すことはできなくなりました。

今の私にできることは、家内と2人だけの小さな食卓であっても、できるだけ一緒に食べるようにすること。(愛犬も一緒に食べるから、2人+2匹の食卓かな?)そして絶対に家内の手を離さないようにすることでしょう。憧れ続けた食卓はもう不可能ですが、せめてこの「私たちの小さな食卓」の豊かさを大事にしたいと改めて思いました。

1993年のグラミー賞、レジェンド・アワード受賞の際、Michel Jacksonはこんな言葉を残しています。

(注釈:今日の世界の様々な問題)これらは、私たちが子供から楽しい時代を奪った結果です。

何気ない「家族の食卓」それが楽しい子供時代の象徴なのかもしれません。お子さんがいらっしゃる方々には是非、幸福で豊かな家族の食卓の時間をお子さんに日々プレゼントし続けて欲しいと思います。家族の食卓の記憶がないというのは、大人になって振り返った時、とても寂しいものですから。

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