内容よりAPPに感動!『もしドラ』アプリに未来を見た!

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク

前々から激しく気になっていたのです。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』という書籍は。

しかし・・・いかんせん、装丁が装丁が・・・「これください」ってレジに持って行ったら、周りのお姉さんやレジのお姉さんに「ぷぷっ」ってされちゃうようなこの装丁はいただけない!!一応真面目なサラリーメンという表の顔を持つ身としては、そんなプレイを楽しむわけには(ん?何か違うような)・・・ということで手に取らずにいたのです。Amazonはって?Amazonで買ったら、それこそTopページが一面アニメキャラに埋め尽くされそうでしょ!?それを会社で開いてしまったらと考えるとリスク高すぎます。と、勝手に曰く付きの本としていた、『もしドラ』ですがiPhoneアプリになっていて、それも800円と書籍より安い!これなら羞恥プレイをせずに済むし、オススメ品がエライことにはならない!ということで早速購入して、先ほど一気に読み終えました。

もう内容はタイトルそのまんま「JK meets Drucker!!」ということで、ドラッガーの名著『マネジメント』を弱小野球部に応用、適用して甲子園目指して成長していく青春感動物語。「ドラッガー?はぁ?何それ?ラリってる人?」という甚だしい勘違いを素でしてくれちゃうような人にも、軽く読めるように随所に工夫が見られます。ハルヒとタッチを足して2.5で割ったような感じとでもいいましょうかね。感想としては・・・良書だろうなぁ。JKとDruckerをカクテルするなんて大変な作業をよくぞ成し遂げた!と思います。勿論大人が読んだら、十分勉強になります。というか幾つも思い当たる節があって時折考え込んでしまいました(^^;)

そんな感動青春無理矢理ビジネス小説の内容はどうでも良いのです(<良くないけど)そんなことより、このアプリが異常に読みやすいということに私は感動しました!!

画面が小さいから読みにくい?ノンノン!絶対コッチの方が読みやすい!これ「今後の電子書籍はみんなこうなっていくんじゃね?」と思わせるくらい秀逸な出来です。まだ『もしドラ』を読まれていなくて、iPhoneを持っている方は断然コチラをオススメします!






 感動しません?この動き!
 紙の裏写りまで再現!
 タップするだけでめくれます。













どの頁からでも
目次としおりと設定に
アクセスできます。














 目次はこんな。










 フォントサイズ、行数
背景の色とかも変更できる!














goo辞書や大辞林で、
単語を調べられます!
(この本には不要だろうけど)








決して、Discover 21さんや理想書店さんのアプリも悪いわけではないのですが、それでも正直コチラの方が読みやすいし使いやすい。他の電子書籍もこういう読みやすさの工夫を凝らしたものが増えてくるのかなぁというのが正直な感想です。電子書籍の可能性を感じる一冊でした。

会社という村社会

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
一部のちょっとヤンチャな方々にご好評いただいて、私自身のストレス発散にもなっている、毒気たっぷりな不定期腹黒連載「反逆児の仕事術シリーズ」ですが、当然私の実体験を書いています。私はいくつかの会社を渡り歩き、様々な会社の内部に潜入してきましたが、日本の会社には気になることがあります。

それは「会社」と「村社会」の構造が酷似しているということです。

Wikipediaに載っている「村社会」の説明を見てみます。

村は本来、道切りなどにより外部と区別される空間で、村の成員は生業を行い生活に必要な資源を供給する環境を共有し、寄合を行い祭礼や年中行事を共同で行うことにより統一された意思のもと秩序維持を行っていた。村社会は相互互助的な性質を持つ一方で、内部には経済的階層や家柄による家格などが存在し、村の秩序維持のための青年組織などが存在した。特徴としては古くからの仕来りを遵守する傾向があり、それに異を唱えるものや遵守しない者に対しては本人や肉親、更にその者に関わったものまで異端者扱いし、差別を行なうことがある。これにより新たにその地域に移住してきた者や流行にとらわれやすい若者が反発し、古くから住んできた者とのトラブルが後を絶えない。

なるほど。さて、これをですね、こう弄ったらどうでしょう?

会社は本来、社名や建て屋などにより外部と区別される空間で、会社の成員は与えられた仕事を行い、人・物・金などの資源を供給する環境を共有し、組合を作り春闘や、花見や忘年会などの年中行事を行うことにより統一された意思のもと規律維持を行っていた。会社では相互互助的な性質を持つ一方で、内部では派閥や役職などが存在し、会社の秩序維持のための研修プログラムなどが存在した。特徴としては古くからの暗黙のルールや前例を遵守する傾向があり、それに異を唱えるものや遵守しない者に対しては、本人やその上司、更にその者に関わった者まで異端者扱いし、差別を行うことがある。これにより新たにその会社に中途採用者や流行にとらわれやすい若者が反発し、古くから勤めている者とのトラブルが後を絶えない。

どうでしょう?驚くくらい一致すると思いませんか?言葉遊びにしては良く日本の会社の姿を表していると思います。

こうした閉塞的な村の中で生活するのに欠かせないのは「協調性」「空気を読む」「長いものに巻かれまくる姿勢」です。秩序維持を第一に考えれば皆同じ方向を見て、同じ思考で、同じ事を、同じように感じる方が楽ですし、そう育てられるのですから当然と言えます。
 

ただし、特殊技能を有する人は除外されていたかもしれません。刀鍛冶や、医者などは、その人がどんなに変な人でも容認されたと思います。しかしこれらの人は決して村のヒエラルキーの頂点にはなれなかったでしょう。もしまかり間違って一般人が『個性を出したり』『秩序に反旗を翻したり』した場合は出る杭は打たれ、「村八分」という強烈な処罰が待っているわけです。

これらも、そのまま日本の会社に当てはまります。画一的というか「社員総平均化」とでも言いましょうか、突出した個性を持つ人や、突出した仕事を成し遂げる人、若しくは私みたいな単なるへそ曲りは非常に邪険に扱われるわけです。そしていくら一所懸命、声を上げてみても上には届かず、生かさず殺さず『生殺し』という処罰を受けることになり、次第に声を上げる力も無くなったところで、「ヨシヨシわかれば良いんだよ」と優しく受け入れられるというシステムです。無謀にも戦略戦術を持たず、ひたすら声を上げ続けた人は窓際や肩たたきというところに着陸するのが相場でしょう。

画一的な組織の全てが悪いとは言いません。完全なるヒエラルキーの元、一糸乱れぬ動きが要求される軍隊などでは、むしろ画一的で無ければ困ることでしょう。作戦を展開する際にいくら戦況が即時変化するとは言え、各人の判断でバラバラに攻めるなんてことは考えられません。(ただ、現在のアメリカの苦戦は、個別の意思を持つ大勢のゲリラたちに画一的な組織としての軍隊では対処できない様を露呈しているという見方もできそうですが)そういう意味では敵が明確で、管理が必要な場合は、管理の容易さにおいてこの仕組みは使い勝手がよさそうではあります。

また、こうした社会体質・風土の形成に私たちが加担してしまっているとも言えそうなのも問題です。いろいろ文句を言いつつも何だかんだでその実、村(会社)での生活に染まっていて、居心地良く感じている時はありませんか?もしくは一見安全に思える村を出る!と腹を括れる人はどれくらいいるでしょうか?腹を括れない理由は?村を出たら経済的にどうなるかわかりませんし、出た瞬間からどんな脅威が待ち受けているともわかりません。村にいたころはピンチの時には村人に助けてもらえたかもしれませんが、村を出た瞬間から援軍は望めません。どう検討しても、村を出るということはリスキーであることに変わりはないと思います。

何度か転職をした私はこのリスキーさを肌で分かっています。今の会社には「恩がある」ということを抜きにして、何故、会社に勤めているのかと問われれば、やはり「賃金を得ること」を理由のトップに挙げます。どんなに薄給であっても、食べるために働くという図式は如何ともし難いものがあります。かといって再び村を出て、フリーとしてサバイブしていくだけの自信も実力もあるとはちょっと思えないわけです。

では、「村の外に出る勇気はないけど、村がもっと風通しの良い場所になってくれれば良いなぁ」と思っている、私のような都合の良い軟弱者はどうしていけば良いのでしょうか?

ハッキリとした答えは私は持ち合わせていません。このままではヤバイということだけを朧気に感じるのみです。ただどうやら個人が会社に「雇われている」という認識は改める必要がありそうだとは感じます。人生の羅針盤を自分の元に取り戻す必要があるといったところでしょうか。
個として会社と伍していく為には最低限の土台として仕事が出来ることは当然ですが、「身だしなみに気をつける」とか「挨拶をする」とか「約束は守る」とか「味方同士で争わない」とか「味方同士で足を引っ張るような真似はしない」など、当たり前過ぎてついつい思考が「茹で蛙」の状態になってしまいがちなことを、意識的にレビューし、注意を払う習慣づけが、もしかしたら大きな変化へとつながる第一歩なのかもしれません。

反逆児の仕事術003-反逆児流コミュニケーション

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
実に残念な事ですが、仕事をする上で他人と一切絡まずに遂行できることは極端に少なくなってしまいました。仕事完了までの道程には「コミュニケーション」というとてつもなく厄介でストレスの溜まるメンドクサイ山脈を通る必要があります。

反逆児は普段から何かと理由を付けて反抗しているので、こういう時に寄って集って叩かれるという可能性が普通の人より格段に高いので注意が必要です。事前に対抗策を練っておくべきです。転ばぬ先の杖ってヤツです。

私が幾つか策を実践してみて、これは効くというものをご紹介しましょう。

1.会議室にお菓子を準備しておく
 「会議」というと皆、身構えて「どこを貶してやろうか」とか「どうやって虐めてやろうか」とか何故か負のオーラ満載&喧嘩腰で乗り込んできます。上の方の人がこの傾向は高いように思えます。ですので、まずはその負のオーラを消し去ることに注力しましょう。自分が招集した会議であれば、お菓子を用意しておいて、アジェンダもカラフルにさも楽しげなように、ホワイトボードに書いておいて、プロジェクターで「机のお菓子を一個でも食べてからご着席下さい」と書いておくのです。すると、毒付いてやろうと身構えて来た人の出鼻を挫けます。「へー、お菓子なんて気が利くじゃないか」な〜んて言われたらその瞬間、勝ちは決まったようなものです。ついでにチョコなどを用意しておき「会議は脳をフル回転させるから甘い物が欠かせないとこの間読んだ本に書いてありましたよ」などと知ったかの蘊蓄をかましておくと、出鼻を挫いた上で主導権を握れます。え?お菓子代ですか?当然自腹ですよ。でないと意味ありません。反逆児の仕事術を貫く為には、これくらいの自己投資は必要です。大丈夫です、すぐ回収できます。安い物だと割り切りましょう。

2.会議室に電子ダーツを設置する
 ブレストを行うときに、でかいテーブルに向かい合わせで4人づつ腰を下ろし、只単にああでもない、こうでもないと議論していき、書記が一人議事録を付けているという不毛な構図は、「時間の無駄づかい確定フラグ」が即時、立ちますから絶対に止めましょう。その代わりに使うのはゲームです。当社では(コレ私の自腹です)電子ダーツを使っています。普通のダーツだと、思わずムカツク奴に投げつけるという失投にかこつけた「未必の故意」の可能性が飛躍的に高まるので、安全性を考慮し、電子ダーツにしています。コレを使って例えば・・・負けたら一個でもアイデアを出さなければならないとか、高得点の人の
アイ デアは粗探しせず、良いところを探すことにするとか、決めておいた部分の標的に当たった人は優先的に予算を確保できるとか。そんなゲームを盛り込みながらブレストする_私はこれを"ワイガヤブレスト"と呼んでいますが_険悪な空気はダーツで発散して、前向きな要素だけを会議に持ち込むということが可能です。

3.密室ではなくオープンスペースで話す
 会議室というのは大体が「部屋」です。ドアを閉められたら密室です。密室になると普段出てこない裏の顔が出てくる確立が高くなります。他の人の目がないから余計なのでしょう。ということで、密室に連れ込まれる=袋だたきに遭う可能性が高いので、コレは何としてでも回避するべきです。ではどうすれば良いのか?ドアを開けておくでも良いですし、オープンな場所で立ち話でもOK。良い会社でしたら簡易ミーティングコーナーみたいなものがあるでしょうからその場所を利用するのも有効です。他の人の目が気になりだすと、相手ははそうそう強気には出てこないものです。勿論こちらは反逆児ですから、人の目があることを利用して多少強引でもOKをもらうことに注力しましょう。「皆あなたの発言に耳を傾けているんですよ」とプレッシャーをかけつつ、「オカシナことを言ったとしたら皆が証人になるんですよ」と暗に臭わせておくというのはかなり有効です。間違っても密室に連れ込まれることの無いように注意しましょう。

4.ホワイトボードを全力で活用する
 いくら言葉でああでもない、こうでもないと話していても埒があかないことは多々あります。特に年配の人になればなるほど、一切メモも取らず一方的に1ビットもこちらの情報が増えないご大層でご立派で型どおりな意見だけを長々と言うどうしようもない人の出現率が高まるから厄介です。そこで活躍するのがホワイトボードです。会議室に据え付けられているホワイトボードでも良いのですが、出来れば昨日UPした記事の「クリアファイルホワイトボード」の方が有効です。これを人数分用意し、座席に置いておくようし、図表を書き込みながら話すのです。自分の席に簡易ホワイトボードが置いてあるというのはまず意外性があります。面白がって使ってくれる可能性が飛躍的に高まるのです。普段から大して脳みそを使っていないご老人たちの為にもこういう機会に「脳トレ」として手書きで自分の話を相手にわかりやすく伝えるというトレーニングをしてもらいましょう。大抵自分の話していることは論理的に破綻していることに気づき、黙りこみ大人しくなります。こうした"気づき"を与えてあげるのも反逆児だからこそできる優しさです。こうして言葉を図に置き換えながら有意義な議論ができる人とだけ話ができるように工夫すると良いでしょう。ちなみに・・・このテクニックは展示会などでも使えます。出展するようなことがあれば、クリアファイルホワイトボードを用意しておきましょう。アンケートだと書き込みませんが、”消せる”もので、日頃使い慣れているものなので、お客さんは書き込んでくれます。お客さんにドンドン書き入れてもらえればそれがそのまま資料だったりネタだったりになります。見込み顧客かどうかも容易に推察可能ですよ。
 

反逆児のコミュニケーションのコツは、相手の出鼻を挫き、自分の土俵に引きこみ、自分が決めたルールの中で勝負することにあります。しかも相手にそれを悟られないようにさりげなくやるというのがポイントです。「アイツが招集をかけた会議は何だか面白い」とでも思ってもらえるようになればOKです。こうなったら余程内容が酷くないかぎり負け戦にはなり得ません。100戦100勝も夢ではなくなります。出鼻を挫くアイデアは幾らあっても困らないので、思いついたらドシドシ、コメントをお寄せください(笑)

クリアファイルHack!!

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
イキナリ告白ですが、私ホワイトボード大好き野郎でして、もうホワイトボードLoveな人なのです。ですから当然、自宅の書斎コーナーにもホワイトボードが欲しいのです!が、これまた当然お値段と場所の問題で却下されます。

何とかホワイトボードをと願い続けて幾星霜、漸く辿り着いたのは「クリアファイル」を使うということでした。そう、あの書類を挟んで入れておくクリアファイルです。あれの材質は大抵ポリプロピレン(PP)。PPであればホワイトボードマーカーで書いても消せるのです!!



 
こういう事!











簡易ホワイトボードの特徴は以下の通り。
1.軽量
2.安価
3.A3サイズまで対応可(短辺を切る)
4.何処でも広げられる
5.使い回せてeco!

透明なクリアファイルは白い紙を挟んで使うとGoodです!個人的にはグレーとかイエロー、もちろん白のクリアフォルダが見やすくてオススメです。消すときはティッシュでも指でもOKです。

使い終わったら、写真を撮ってEvernote行きでもOKですし、TurboScanなどのScanアプリを使って読み込んでもOKでしょう。コピーを取るときはもう一枚透明のクリアファイルを被せると、コピー機のガラス面を汚さずに済みます。

このHack、営業職の方は活用しがいがあると思います。コレは私の経験ですが、お客様先と面談していて、余りにも要求が複雑でメモしづらいという体験をした方は多いと思います。ぶっちゃっけ一番早くて確実なのは、お客様ご自身に書いてもらうことなのですが、ノートを出しても書いてくれないものです。しかし何故かクリアファイルとホワイトボードマーカーを渡すと「へぇ〜!書けるんだぁ!」と面白がって書いてくれるのです!これで何度救われたことか・・・。

何しろ軽量で身近にあって、場所も取らず、いつでも鞄に入っているような代物であるクリアファイルですが、短辺を切ったA3サイズ対応型を1枚用意しておくけば、それこそ居酒屋やカラオケボックスでブレインストーミングなんてことも可能です。もしもの為に、クリアファイルはホワイトボードにもなると覚えておいて損は無いと思いますヨ!

反逆児の仕事術002-ルールは常に都合良く解釈する

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
人間の脳が一番良く活動してくれる時間帯は午前中であるということは脳科学を扱ったどの本にも書かれていますし、知の巨人、外山滋比古氏に至っては、著書『思考の整理学』の中でこう述べられています。
 

朝の仕事が自然なのである。朝食前の仕事こそ、本道を行くもので、夜、灯をつけてする仕事は自然に逆らっているのだ。

そう、朝仕事をするのは「本道」なのです。朝の脳は能率的、午後になると覿面に能率は落ちる。そうであれば朝仕事をするのが一番理に適ったワークスタイルだということになります。何しろ「本道」ですしね。

そこで・・・当社の始業は9時ですが、私はここ1ヶ月、7時には到着し、7時5分には仕事を開始しています。もちろん私が一番早いので、オフィスには誰もいません。電話も鳴りません。つまり昨日書いた「職場騒音」に悩まされることも無く、誰にも邪魔されることもないゴールデンタイムなのです。
この7時~9時でその日の6割方の仕事は片付けられます。片付けられずとも目処は立てられます。何しろ邪魔されないので存分に脳に汗をかくような仕事に取り組めます。

そして9時~12時は目処が付いた仕事を形にする時間。午後は明日の仕込みをする時間。そして定時で帰る。こうすると、脳の働きからして非常に理に適った時間割ができます。

しかし・・・朝7時に出社しているというのは、2時間余分に仕事をしている、つまり2時間残業していることと同義です。これは由々しきことです。反逆児たるもの何とかせねばなりません。会社が決めている就業時間というものが脳の働きにあっていないにも関わらず、自主的に脳の働きにあった就業時間を実行してみたら、2時間"も"多く会社に時間を取られているというのは承伏しかねるところです。


ということで、朝7時から仕事を開始したら、定時の2時間前には「帰りマース!」と言って自宅に帰ってこれるように持って行くのが反逆児の理想とする時間術です。当社だと17:30が定時ですから、15:30には「おつかれっしたー」と会社を出ることができれば理想です。1日の業務時間9時~17:30と同じだけの時間を会社で過ごしているんだから問題ないだろうに、と思うのですが、未だこれは実現できずにいます。何故か定時までは自席にいろと言われるのです。

しかしこちらは反逆児。間違っても「ハイそうですか」とは答えてはいけません。抜け道探しを始めましょう。「定時までは自席にいろ」というのであれば、良いでしょう自席にはいましょう。しかし15:30以降は仕事以外のことをするというのはどうでしょう?つまりこういう屁理屈です。「ええ、言われたとおり、自席にはいますよ、ただやっている事は仕事じゃないことですけどね。何か文句が?」ってなもんです。

この発想の転換により、私は15:30以降定時までは、自席にはいるけど、仕事ではないことをしています。ブログの草稿を書いたり、RSSの未読フィードを読んでみたり、Evernoteのタグ付けを変更してみたり、iPhoneの新しいAPPを試してみたり、Twitterを見てみたり、Someday/Maybeリストを更新してみたり、全くもって仕事とは関係のないことをしてます。これなら自席にいるというルールを遵守しながら、その実仕事をしないことで、まぁ半分は帰ったも同然ということができます。勿論会社に拘束される時間は就業規則通りの時間を差し出していますし、前業した分は夕刻から仕事をしないことにより相殺しているので、就業時間内で全ての仕事を終わらせていることになるわけです。

反逆児たるもの、ルールを自分の味方に付ける手段と方法を常に模索し続けましょう。ルールとは都合良く解釈しようと思えば幾らでもできるものです。高い生産性を保ちつつ、シラっと「お先!」とやるのが反逆児の粋の見せ所でしょう。


ちなみに・・・これも会社で書いて会社からUPしています(^^)/

反逆児の仕事術001ー職場騒音というテロに立ち向かえ!

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
仕事術系のネタも少しづつ溜まってきているところなのですが、先般書いた「中小企業で仕事を絞り込む方法と、日本的ワークスタイルの壁」というエントリーに対し、@rashita2さん主宰のPosterousブログR-style待合室にて、「変人だ」と言う評価をいただきました。ありがたいことです。じゃぁどうせ変人なら変人らしく、変人らしい仕事術の記事を書いてみるか、ということで「反逆児の仕事術」と題して、シリーズ化(できれば)してみようと思います。

まず、皆さんの職場を思い出して下さい。職場はどんな「音」が鳴っていますか?電話の音、人を呼ぶ声、プリンタの印刷音、コピー機が印刷している音、FAXの通信音、クラシック音楽のBGM、外の道路から聞こえる車の音、人が歩き回る音、モノをドスンと置く音・・・etc・・・すごい数の音が鳴っていることと思います。

さて、そんな色んな音が鳴っている職場であなたは毎日8時間程度勤務しなければならないわけです。仮にあなたが今30歳だったとしましょう。定年退職は60歳とします。30年働くわけですね。1年は365日、年間休日日数が120日と仮定して、1年に働く日数は245日。30年で7,350日。1日8時間勤務だとその時間たるや約58,800時間!!1万時間の法則に則れば、5種類のプロになれる可能性がある膨大な時間です。(私は34歳なので、ざっくり50,960時間しかありません)

その58,800時間という有限で貴重な持ち時間の中で、何とか仕事を成し遂げたいのに、それを色々なものが邪魔してきます。その邪魔もののひとつが「騒音」です。その騒音の中でも3大巨頭が「電話」と「呼びかけ」と「BGM」です。まず反逆者はこの「騒音」に立ち向かいましょう。

電話は相手の都合による、一方的な暴力です。反逆児であればケーブルを引っこ抜いて鳴らないようにするか、他のデスクに移動させちゃいましょう。できることなら、いっそのこと電話がかかってきたら着信音が鳴る前に「大変恐れ入りますが、当社では電話でのお問い合わせは全てお断りさせていただいております。次に申し上げる弊社代表のメールアドレス宛に、Eメールでご連絡をいただけますようお願いします。担当の者より折り返しご連絡申し上げます」とでも自動応答にしてしまっても良いのではないかと思います。代表メールであれば、担当の人が確認しているでしょうから、社内アウトソーシングが可能です。知らない間に人に電話という暴力への対処を任せてしまいましょう。大体電話で話さなければならないような超至急の重大な事案など、命に関わる仕事でも無い限りそうは起こりません。それと携帯電話の番号を顧客に教えるなどという愚を犯さないようにご注意を。その顧客はひっきりなしに携帯電話に電話してくる困った客へとスグ変貌すること請け合いです。

次に一番腹立たしい「お〜い、XX君、あの件どうなってる?」とか「ちょっとココを教えてくれ」とか「ちょっとこれ手伝ってくれ」などという、上司や管理職からの超一方的な呼びかけという騒音です。大体コレは仕事がノッているときに来るというマーフィーの法則があるから余計にタチが悪いものです。これは自衛するしか手立てがありません。私はイヤホンを耳に突っ込み排除しています。最初はもの凄く険悪になりますが、「自分はこの方が生産性がこれだけ上がる」という説明を用意しておいて、何か文句を言われてもその説明を水戸黄門の印籠のように使って黙らせましょう。どういう説明かって?簡単で良いんですよ「私が助言や指示を求めるときのみお力を貸して下さい。進捗報告は毎日日報(日報が無ければEメール)で提出します。何か問題がありますか?」と言えばOKです。これだけで「毎日報告・連絡していること」「相談があればこちらから行くこと」が伝わっているわけです。報告・連絡・相談という所謂ホウレンソウは守っているんだから黙ってろってワケですね。たいてい、こちらが忙しいときにその空気を読めずに言葉をかけてくる上司は生産性向上に関する勉強をしていません。反逆者としては、躊躇することなく、きついカウンターパンチをくれてやりましょう。

最後にBGMです。皆さんの仕事場はBGMが流れていますか?当社はUSENでクラシック音楽が一日中エンドレスで流れされています。当社の社長曰く「適度なBGMがあったほうが能率が上がる」とのこと。しかし・・・私はこの主張には納得いきません。車の運転のように数をこなし慣れた動作・作業であれば、脳は特に注意を払うことだとは認識しないので眠くなります。その為、覚醒レベルを上げる手段としてラジオを聴いたりした方が良いという理屈は良く分かります。しかし仕事の場合は話しが別。私は基本的に仕事は、5感を総動員してひとつのことしかやらないという超シングルタスクでやるほうが生産性が上がると思っています。シングルタスクがベストであることは多くの書籍に書いてあることです。私は基本的に完全無音状態が一番集中できるので、常にイヤホンを耳に突っ込みホワイトノイズを流しっぱなしにして遮音しています。唯一音楽の力を借りる時があるとすれば、何となくノッてきた時に、後押ししてくれるアップテンポの曲を聴くというのは有効でしょう。つまりダラダラ流れている音楽と自分の仕事のテンポが合うことは少ないでしょうから、その時に合う曲を自分で選曲できるようにしましょうということです。音楽は味方に付ければ心強い相棒となってくれます。

何故か日本の職場は、あちこちで聞こえる話し声(大体が無駄話)や電話がジャンジャン鳴っている様子が「活気がある職場」であり「良い職場・良い会社」とされる向きがありますが、これは大間違いだと私は思います。限りある集中力・創造力・思考力というエネルギーを、電話や上司の戯れ言、仕事のリズムに合わないBGMというテロに邪魔されてはなりません。反逆児たるもの、自分を他人に無理に合わせる「協調性」なるものを重視する日本的仲良しこよしワークスタイル、馴れ合いワークスタイルにはキッパリ決別しましょう。むしろ他人に多少嫌われてでも「自分の生産性を最大限に上げる道」を選びましょう。変人だと思われていたとしても、そのワークスタイルが、生産性向上に繋がり会社に貢献していさえすれば、周りは納得せざるを得ません。勇気を持って実行してみてはいかがでしょうか?
(多分、次回もあると思います・・・)

愛着品紹介013ー長い友だちでいたいから。『薩摩柘植のヘアブラシ』

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
「髪」という漢字の正確な字源は知りませんが、この漢字を覚える時、私は「髪は長い友だち」と覚えました。髟(かみづくり・かみかんむり)は「かみのけのたれた様を表す」と『漢字源』改訂新版に載っていますので、あながち間違いでもなさそうです。ともあれ、髪の毛とは一日も長く良好な関係を保っておきたいと思うことには男女問わず多くの方に同意いただけると思います(^^;)

さて、写真のヘアブラシのお値段、幾らくらいだと思われますか?
・・・・・
・・・・
・・・
・・

正解は、28,350円です!

「高っけー!」と思われたと思います。しかし価格に見合うだけの価値と理由がちゃんとこのブラシにはあるのです。

薩摩柘植で作られた櫛は江戸時代から「櫛になりたや薩摩の櫛に諸国娘の手に渡ろ」とうたわれ全国にその名を知られるほどに有名です。柘植は緻密で固い木なので櫛の歯が折れにくく、色の艶が美しいことが魅力です。黄色くてなめらかなその肌は黒髪に染まるごとに渋みを増し、年を重ねるに従って見事な光沢が出てくると言います。櫛の場合、日本女性の長い黒髪に艶のある黄色の櫛がスーッと通っていく様は実に美しい一瞬だと思います。

というわけで、柘植の"櫛"は結構見かけると思うのですが、これは"ブラシ"です。櫛とブラシは何が違うのか?それは「櫛は髪を美しくするもの。ブラシは髪を育てるもの」と言い、このブラシは最初こそあたりが強いものの、地肌を優しくマッサージしてくれ、頭皮の汚れを掻き出してくれます。また、柘植素材の最大の特徴として、静電気が殆ど生じないので、頭皮にほどよい刺激を与え、枝毛や抜け毛、切れ毛が少なくなるのです!つまりこのブラシは立派なヘアケア用品なのです!!

残念ながら長い友だちになれず、カツラ君とか発毛君いう友だちを作ると、ん百万円というお金が必要だと言います。となれば、カツラ君と友だちにならないで済むようにしてくれる道具が28,350円で手に入ると思えば安いものだと思います。

私が所有しているのは、歯はもちろん柄の部分も薩摩柘植の品です。柄を他の材質にしたものもあり、それであればもっとお安くなるのですが、やはり銘木薩摩柘植の木目の美しさ、手触り、質感、重さの魅力には抗えずこれを買い求めました。もちろん天然物ですので、同じモノは二つとありません。柄の長さ、厚さ、重み、歯の数によってお値段は変わってきますし、柄の部分人それぞれ使いやすいと感じる形が違うというのも選ぶ楽しみが味わえる製品です。

使い心地が良いことは言うまでもありません。コレ本当に気持ち良いんです。耳の上の当たりを、顔から首にかけて少し力を込めて梳くと、嘘か誠か停滞したリンパが流れると言います。実際、何度か梳くだけで頭が軽くなり、軽い頭痛程度であればこれで治ってしまうくらいですから、本当なんだろうと私は思っています。

手入れも椿油を月1回くらいのペースで綿棒に染みこませて拭くだけですし、普段の手入れは、たこ糸を束ねた専用のブラシクリーナーゴシゴシこすりつけるだけでOKという手間いらずなところも嬉しいところです。歯が取れたり折れたりした場合はちゃんと修理してくれますから将に一生モノです。そして、なんとこのブラシ実用新案登録されているので、こういう製品にありがちな「本当に〜?」という疑念を払拭してくれ、安心して購入できます。

そんな素敵なブラシを作られているのは「喜多つげ製作所」さん。ネット通販もしていらっしゃいますが、全国のデパートで催される物産展にも積極的に出展されていらっしゃいますので、是非ホームページでチェックして、実際に手にとってご覧になられることをオススメします。

最近髪が細くなったような・・・最近枕に抜け毛が・・・とか寂しいことを言う前に、悪いことは言いません。是非このブラシを一度お手に取られてはいかがでしょうか?(別に喜多つげ製作所さんの回し者ではありませんヨ(^^;))

シンプルライフと殺風景の境界線

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
一昨日の名古屋遠征の際、ビジネスホテルに一泊しました。ホテルの部屋はまさにシンプルライフの王道といえる空間かもしれません。ベッド、ライティングデスクとチェア、TV、小さい冷蔵庫、ユニットバス、照明、鏡、カーテン、以上!という感じで、一切の無駄がありません。お金が沢山あったらどんな家を買う?という話しになると、いつも義母は「ホテル住まいをする」と答えます。理由は食事は作らなくて良いし、洗濯もお願いできるし、家事の一切をしなくて済むからだと言います。なるほど確かにホテルにずっと暮らすことができたらこれ以上身軽なライフスタイルもないのかもしれません。

少々話しは逸れますが、『THIS IS IT』のDVD特典映像の中で、公演を50回に増やすオファーをした時のエピソードが紹介されています。Michael Jacksonは2つの条件を出したそうです。ひとつは「ギネスに申請して欲しい」ということ、もうひとつは「家族と過ごせる家を確保して欲しい」ということです。この条件は私にとってはとても意外な条件に思えました。MJほどの人になれば、食事から洗濯まで身の回りのことは全て、その専門の人がやってくれるでしょうし、ホテルであれば最上階の超ゴージャスなお部屋でしょうし、当然プライバシーは守られ、セキュリティも最高レベル。寝具から調度品、アメニティに至るまで全て洗練された無駄のない空間に身を置くことができたはずです。しかしMJはホテル暮らしを嫌い、「家」を要求したというのは少々違和感を覚えずにはいられませんでした。

今回私が泊まった部屋は極々普通のシンプルな部屋でした。キチンと清掃が行き届いていて清潔でしたし、色合いもシックに纏められていて結構良い感じでした。しかし始めはどこか余所余所しく、何というか私を歓待してくれているようには思えず、どうにも落ち着けなかったのですが、部屋に荷物を置き、ジャケットを壁にかけたところで漸く部屋が私に馴染んだ印象を受けました。着慣れた愛用のジャケットを壁にかけて、それを見て初めてホッとできた自分を発見したのです。これは何だ?としばし考え込みました。

生活に必要な最低限のモノしか所有せず、シンプルに生きる。身軽で清潔で潔いとても素晴らしいライフスタイルだと私も思います。ヘンリー・D・ソローも「シンプル」に関しては、このような言葉を残しています。

 
シンプルに、シンプルに、生きよう。すべきことは百や千ではなく、二つか三つでいいのだ。


僕は確信している。もし人がすべて僕のようにシンプルに暮らせば、盗みや強盗なんて耳にしなくなるに違いない。そういった犯罪は、必要以上に所有する人が一方で、十分にものをもたない人がいる社会でのみ起こるのだ。

しかし、今回私が気づいたのは、必要最低限しかモノが無い生活では「心」は安らげないのではないかということでした。モノを沢山持っていることが=豊かであるとは私も全く思いませんが、どうやらモノを単に減らせば万事解決といくようなそれこそシンプルな問題でもなさそうです。でなければ極限にシンプルなホテルの空間で最初から存分に寛げなければオカシイでしょう?

私が思うに、必要最低限のモノしか所有しない生活とは「殺風景」と紙一重と言えそうです。そして殺風景の「殺」という字の相手は、私たちの心なのではないかと思います。故に、必要最低限+毎日愛でることができるだけの愛着品を持つこと。これが一般人にできる一番シンプルな生き方と言うことになるのではないかと思います。愛用品みたいなものがあるだけで、まるでそれがお守りのようにもなり、その場を自分の居場所だと特定してくれるような気がします。今回の私のジャケットがそうであったようにです。そんな生活必需品ではないけれど、大切にしているモノが全くなければ、心が寛げるだけの空間にはならないのかもしれません。どんなに楽しい旅から帰ってきても「やっぱり家が一番だ」というのは、家にあるモノたちが心をマッサージしてくれているのかもしれないなと思いました。

ちなみに・・・ソローはこんな言葉を残しています。が、私はどうやら前者のようです(^^;) たとえ前者であっても少しでも後者に近づけるよう研鑽していく道程こそがその人のライフスタイルであり、そのゴールのひとつがシンプルライフなのかもしれませんね。

粗野な人がシンプルに暮らすのは、無知と戯れているか、または怠惰によるものだ。しかし、物事を深く考える人がシンプルに生活するのは、そこで得られる知恵によるものである。

ちなみに・・・写真は「森の家」でソローが使っていたデスクのレプリカだそうです。あんなに多くの著作を残した人の机とはちょっと思えないくらい小さく、部屋もシンプルそのものです。これぞ知恵ある人の成せるシンプルライフなのでしょう。

リアルで会う力〜名古屋ライフハック研究会感想〜

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
4月17日の名古屋ライフハック研究会主催「ライトニングトーク練習会」に「Hacks for Creative Life!」のBeck1240さん(以下Beckさん)と弾丸遠征してきました!私は一泊しましたが、「お嫁さんを大事にする」をポリシーとしている(決して尻に引かれているワケじゃないらしいヨ)Beckさんは終電新幹線で帰って行かれました(若さってすごいね・・・)

いままでTwitterやBlogでの交流しかなかったLifehack界のゴッドファーザー@nijinochichiさん(Blog「IDEAS 4 LIFE」主宰)、そのゴッドファーザーを影で操る名参謀@shinrin
さん(Blog「Blog Forest」主宰)、先日Lifehacking.jpで行われたライフハック・ブログ賞で第一位をかっさらっていっただけに飽きたらず、流し目だけで女を落とすHackをあみ出したと巷で噂のイケメン@kosstyleさん(以下コウスケさん。言わずと知れた「KO'S STYLE」主宰)を始め、先般このブログでも引き合いに出させていただいた、結婚しちゃったら泣く男の数が全国津々浦々に増殖中のLifehack界切っての小悪魔アイドル深希さん(Blog「*ever blue*」主宰)やメガネの奥に覗く潤んだ眼差しを武器に秒殺で男を落とすと噂の@SENOBIDOUさん(Blog「せのび道」主宰)などなど、多才なメンバーとご一緒できて、とても楽しい時間を過ごすことができました。(注:女性2名の紹介文は私の勝手なイメージです)

LTも皆さん本当に上手く、やっつけで作ったスライドを適当トークでごまかした私のものとは作りが違いました(^^;)ホント手抜きでゴメンナサイゴメンナサイ。特にゴッドファーザー@nijinochichiさんのトークはホントにお見事。最後のオチ?に向けての話しの展開方法はとても勉強になりました。さらにシゴタノ!主宰の大橋悦夫さんをして「詐欺の手口みたいで良かったよ」というホメ言葉(?)をいただいたというイケメンコウスケさんのLTも5分という短時間でもワークを突っ込むことができるという目から鱗のテクを教わって、コレに磨きをかけたら、一瞬で会議の主導権をかっさらっていくようなテクニックに昇華させられそうだと感じました。他にも、@SENOBIDOUさんのLTもよ〜く練り込まれた笑いは最高に面白かったですし、@yuttyさんの図書館ハックも参考になりましたし、(次は国会図書館Hackをお願いします)イラストレーター@kou2bさん(Blog「妖艶美女の描き方」は必見)の意地でも最後はエロに持って行く姿勢が最高でしたww(今後は「メンドクサイから脱がしちゃえ」が流行りそうですなww)いや〜とにかく短時間に集中的に勉強できて本当に参考になりました。即実践可能なものは、早速明日から取り組もうと思います。紹介しだしたらとまらないのでこの辺で(他の方々スミマセン)

今回心底よっくわかったのは、やっぱりリアルで会うというのは凄いなということ。そしてそんな繋がりを作るBLOGとTwitterって凄いなぁというのが実感です。もし私がBLOGを書いていなかったらきっと出会えなかったでしょうし、Twitterがなかったら名古屋まで行こうなんて話しにはならなかったと思います。また、求心力のあるBLOGLifehacking.jpで@mehoriさんがライフハック・ブログ賞を開催してくれたおかげで、外野がこれだけ盛り上がれたわけですから、BLOGの力はやっぱり侮れないと思います。これはホントにスゴイことです。

ビジネスの世界ではFace To Faceは最低限で、あとはネットを使えばいいじゃんという風潮が強いですが、やっぱり実際に会ってみると世界が一気に大きく変わります。コミュニケーションの根幹はやっぱりFace To Faceだなとしみじみ思いました。例えば・・・@nijinochichiさんや@shinrin
さんはもうTwitterやBLOGの通り、人生を楽しむというオーラが全身から出ていて、その姿勢には圧倒されました。こういう人がお父さんだったらどんなに幸せだろうと思わずにはいられません。コウスケさんはTwitterのアイコンのイメージを完全に裏切ってくれました(笑)イケメンとは聞いていましたが、なんだあれ?反則でしょ?レッドカードです。レッドカードですよ!みなさん!アイコンに騙されてはいけません!っとまぁそれはともかく、コウスケさんも「楽しみながらLifehackを見つける姿勢」がにじみ出ていて、会えて本当に刺激的でした。でもあのイケメンがサラッとLifehackを量産しているのかと思うとちょいとジェラシーですな。東のイケメンBeckさんに期待しようww。さらにさらに、懇親会からご参加いただいた@stiloさんともお会いできてホント良かった!年下なのに「兄貴」と呼びたくなるあのオーラは一体何なんだ?

とにかく名古屋ライフハック研究会に参加されている方々は皆さんとても素敵です。みんな陽気でいつも笑顔で、苦しいことがあっても(なくても)とにかく人生楽しく行こうぜ!というオーラを発している人ばかりで、何というか刺激を受けたのはもちろんですが、元気をもらいました!本当にありがとうございます。TwitterやBlogを読んでいて「この人はどういう人なんだろうな?」と思っても実際に会うのはなかなか難しいですよね。それなのに、忙しい仕事の合間を縫って、楽しみながらこのような研究会を続け、実際に会う場を作り続けている名古屋ライフハック研究会のみなさんの姿勢には本当に感激しました。

さて、となると、「東京(近郊)ライフハック研究会」は立ち上がるのか?という話しになるわけですが、名古屋帰りに、Beckさんが声をかけられていた「iPhone&Macで遊ぼう会?〜BeckさんのMac自慢大会〜」に参加してきましたが、どうやらBeckさんや@kaitafjさん、@drakontiaさんや、@matubizさん@Sayobsさんが中心となって立ち上がる可能性はありそうです<と勝手に煽ってみるww(私は参謀役なので表には出ませんよ。あしからず。) 

実際に会って会話するだけで、メールやネットでのやり取りの何倍もの勉強量になるということを学べたことが今回最大の収穫ではないかと思います。というより会わないと勉強できないことが多いと言うべきでしょうか?とにかく今回、体調悪くても強行して行って本当に良かったです。

名古屋でお世話になった皆様、ありがとうございました!

分業化という退化

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
東京駅を降り丸の内中央口を出ると、目の前には新丸ビルがそびえ立っています。1999年に旧丸ビルが取り壊され、2002年に新たに立て直されたものです。

解体当時、旧丸ビルには数社顧客が入っており、仮移転から、できあがってからの戻しの作業などの仕事をいくつか手伝わせていただきました。その仮移転を進めている際、興味深い話しを聞いたことがあります。

この「丸の内ビルヂング」は1923年、日本人初の英国公認建築士である、桜井小太郎氏の設計で、アメリカの会社と三菱が合弁で建てられました。地上8階地下1階の昭和戦前期最大のビルでもあり、当時は「東洋一のビル」と言われた、名建築物です。「舶来」「ハイカラ」「重厚」「荘厳」「モダン」そんな単語がイメージされるビル。柱に使われた石にはアンモナイトが埋まっていたりもしましたので、そういう意味では知的好奇心もかきたてるようなビルでもありました。(これは今も保存されているようです)

私は、仕事上、その奥の奥まで入ることが出来たのですが、その作りは実に見事なものでした。裏方の部分にも妥協がないというのが素人目にもわかる作りです。勿論配線などは時代の進化に無理やり合わせたことがバレバレの酷いことになっていましたが、建築そのものは美麗で頑強なものでした。当時仕事で手伝わせていただいていたお客様からは、「知ってる?丸ビルのドアノブは世界一頑丈なんだよ。これだけ経っているのにガタひとつないんだよ」と言われました。他のビル、所謂”木が3つ”の貸しビルなんかですと、数年でがたついたりしますので、コレは驚異的なことです。ノブはアメリカの会社のものだとのことでした。

また、地下配電盤の確認をしていた際には、「こういう建築物は今ではもう出来ないって知っているか?」と職人さんに言われました。材料とかの問題なのかと思いきや、さにあらず「当時このビルを造った職人の多くは会社に属していた人ではなく、腕一本で食っていた人たちだったらしい。要は作ろうと思えば何でも一人で作れる人たちが集まったわけだ。ひとりでそれだけの高度な技術を持っている職人が、もういないんだよ」と言われました。

突っ込んで聞くと、真実か否かはわかりませんが、皆大きい建築会社から合理化を求められ、仕事は徹底的に分業化し、オールラウンダーというような人はどんどん少なくなってしまったとのことでした。今のこのご時世で、オールラウンダーが良いのか、スペシャリストが良いのか、一言では断じられませんが、恐らく当時の職人さんは徹底的に現場主義で、基礎から装飾、竣工まで全てをこなせる技術と現場で磨かれた確かな腕を持っていたのでしょう。

合理化・分業化は現代社会を牽引してきた重要なワークスタイルだったのかもしれませんが、それ故退化してしまった、亡びてしまった技術やワークスタイルがあるのかもしれません。

ちなみに・・・現在の新丸ビルは低層部分をわざわざ旧丸ビル風に仕立てあげていますが、どうにも違和感が拭えません。かといって、現代最先端の大規模高層建築に美を感じるかというと全然そんなことはないのですが。もう用途に忠実に無駄なく作られ環境に調和した、旧丸ビルのような圧倒的な美しい建築物は造れないのかも知れません。

昼の残酷さ、夜の優しさ。そして魅力探し。

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
ちょっと独白を。どんな感想を持たれるでしょうか?

私は、中学2年の時から、夜中、家族が寝静まってから、終電で渋谷まで行き、始発で家に帰ってくるという生活を始めました。世はバブル全盛期。センター街もまだチーマーなる人もおらず、中学生が夜中に一人でぷらぷらしているのは非常に目立ちます。すると「何でこんな時間に中坊が!?」という大人たちが声をかけてきて、面白がって一緒に遊んでくれるようになりました。これが私と夜の街との接点の始まりです。

昼間は生徒会長を勤め、しらっと優等生を演じていましたが、学校で教わることに意味を見いだせずにいました。特にこの頃の話しは下ネタ祭りです。同級生があの子が可愛いだの、胸が大きいだの、下着が透けただのと、盛り上がって話しているのにもウンザリしていました。私自身は小学生の時に初体験を済ませていたから尚更です。普通の人であれば、思春期の性衝動や良く分からない怒りにも似た衝動をどうにか抑え込んだり、折り合いをつけたりするのだと思いますが、私は夜の街に繰り出すという行動に移しました。結果、本当に色んな人に遊んでもらい色んな世界を自由に出入りさせてもらいました。かなりレアな経験も沢山しました。当然普通の人が見てはいけない世界も沢山見ました。

昼間の肩書きは一流企業のお偉いさんという人には銀座の超一流クラブや芸者さんとの遊び方を教えてもらいましたし、クラブのママさん達にも可愛がってもらいました。浮浪者さんには都会のサバイバル術を(これは後年非常に役立ちました)、ヤクザ屋さんには特に可愛がってもらい、警察との癒着の構造や"しのぎ"のこと、拘置所の生活、ヤクザの哲学などを教わり、この日本でマジチャカを何回も撃たせてもらいました(笑)売れてない役者さん、売れてない自称芸術家さんには教科書には載っていない視点からの美術作品の見方、音楽の聴き方を学びました。
他にも、不法入国ながら懸命に働いて本国へ送金している外国の人、そういう外国の人を食い物にしているブローカー。ニューハーフの人、性転換手術を受けた人、風俗で働く人、個人で性欲処理業と称してヘンなビジネスしている人、サンドウィッチマンを長年やっている年配の人、麻薬中毒者、完璧な変態性欲者などなど、昼間の学校では決して教えてくれないリアルがそこにはあったように今思います。最後はまぁバカなミスをして警察のご用となり発覚するのですが(^^;)

先般、「対人恐怖症?克服訓練中」というエントリーをUPした際、実に多くの人から暖かいコメントやメールをいただきました。本当にありがとうございます。その中で@shinyaさんに「その人の素敵だなと思うところを1つ探してみて下さい」とアドバイスいただきましたが、おっしゃるとおりだと思います。この@shinyaさんのコメントを読んでいてハタと気づいたことがあったので、こんなエントリーを書いてみたわけです。

上記のような話しをすると聞き手は真っ二つに別れるのです。「何てダメで汚いやつだ」と切って捨てる人と「何て面白い経験をしているやつだ」と拾い上げてくれる人です。これはビジネスでも同じだと思います。ひとつの成果物を「ダメなモノ」として粗探しを始める人と、「面白いから、もっと面白くする方法を考えよう」と魅力探しを始める人です。

個人的に、どんな変態であろうと、どんなに堅気とはほど遠い生活をしている人でも、何かしら光る魅力があると思います。「変態の魅力って何だよ?」と言われると・・・うーん、私が会ってきた変態の人の言を借りると「インテリにしか変態はできない」というくらい、皆、知識豊富で美的センスに溢れた人が多かったですね。これは立派な魅力でしょう?

当時、一緒に遊んでくれた大人たちは口を揃えて「昼は残酷、夜は優しい」と言っていました。太陽は全てを見えるようにしてしまうから残酷、反面、夜は仮面を剥がすような真似はしない、みんな包み隠してくれて、自由に光ることができると。
全てが見えてしまえば、必然粗が目に付きます。どんな美人だって良く見たら皺の一本や二本あるものです。でも、欠点には目をつぶり、その人の、その仕事の光る部分は何処か探せるようにしたらもっと上手くいくことってあるのではないでしょうか?

「ここ直して」とか「あの人のココがダメだ」とか切って捨てるのは簡単ですが、それを言う前に、その仕事の、その人の魅力を見つけ出して、「ココをもっと良くしていこう」とか「あの人のココが魅力的だ」と魅力探しができるようになりたいものだと強く思いました。

さて、ドン引きされることを覚悟で書いたこのエントリー、何か拾い上げてもらえる面白いところはあったでしょうか?(あってくれることを祈ります(^^;))

その近道、獣道だったりしません?

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
私が、新卒で入った会社で、最初に部署異動を経験したのは2年半経ったときでした。当然上司も変わったのですが、この人は徹底的に手順と細部にこだわる人でした。この細かさは尋常ではなく、その会社の中で「一緒に仕事をしたくない人ランキングベスト5」に常に名を連ねる、悪い意味で有名な人でもありました。例えば伝票にトナー1本と書くか、トナー1個と書くか、本と個の違いで怒られるのです。某社のは筒状だから本で良くて、某社のは筒状ではないから個だと。いやマジです。
今までの上司はどちらかというと放任主義で、責任は取るから自由にやれという人だったので、このギャップに随分悩んだものです。

あまりに細かく小うるさいので、一回飲みに誘い出し、膝をつき合わせて面と向かって文句を言った事があります。じっくり私の意見を聞いた後、その小うるさい上司が言った言葉はとても意外なものでした。

俺は今、お前には仕事の正しい手順を覚えてもらいたいんだ。お前は伝票ひとつ丁寧に書いていないだろう?その適当に書いたモノを次の人が受け取ったあとのことを考えていないだろう?モノと一緒に動く伝票をいい加減に書いていたことがミスに直結する場面だってある。正しい手順を知らないと、飛ばしてはいけない大事な手順を無駄だ、近道だと勘違いする危険性があるんだ。近道を探しスピードアップする事は、歳を取っても出来る。むしろ経験を重ねた年寄りだからできる技なんだろうと思う。お前くらいの時は、ウサギじゃなくてカメのように地道な歩みが必要だと、俺は思うんだ。

この時の私は営業で実績も作り、とにかく「売る」ことばかりに目を向け、事務作業を舐めていたところがありました。報告書や社内で回す伝票、小口精算書類の類は邪魔なものだと決めつけていましたので、これには反省させられました。以来、この人がいう「正しい手順」を身につけるべくとにかく丁寧に仕事をするようにし、ようやく売るばかりではなく、会社全体の人の動き、モノの流れ、伝票の流れ、お金の流れなどに目を向けることができるようになりました。このことは営業の最前線を退き、補給兵や伝達兵のような裏方仕事についた今、実に役にたっています。営業目線で裏方仕事が出来る人はあまり居ませんので、これは私のちょっと変わった武器になりつつあります。

私はまだ長時間働けるだけの馬力が回復してないので、とにかく定時にあがって、身体と頭を休める為に、近道を見つけ、効率化を図るようにしていますが、最近この上司の言葉を思い出し、週次レビューの際に必ずこう問いかけるようにしています。

「これ、省いたらどんな影響があるかな?」

大した影響はないように見えても、意外に省いたらヤバイ作業というのもあります。「近道みーっけ!」と突き進む前に、その道がどうなっているか、地図で調べる余裕が必要なのかもしれません。スピードアップは歳をとったからこそできるという言葉も、なかなか興味深いと今になって思います。経験から見つけ出された近道と、ひょんなことから見つけた近道では、安全度が違うのかもしれません。

とにかく早く!最短距離を!より効率的に!といったかけ声が大声で叫ばれていますが、効率化した先に何をするのか意識せず、無闇矢鱈に近道を探し全速力でばかり走っていると、その近道には何か罠が仕掛けられているかも知れません。勿論カット出来る作業、無駄な作業はあるでしょうが、一見無駄に思えるその作業がゴールまでのプロセスの何に関与しているのか、良く考える時間も必要ではないかと思います。近道だと思って進んだら、獣道に迷い込んでいたなんてことにならないよう、ちょっとスピードを落として、じっくりプロセスを見直すような週次レビューをたまにしてみてはいかがでしょうか?

対人恐怖症?克服訓練中

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
社会人になってずっと営業畑を歩んできましたのですが、鬱病になってからというもの、人とスムーズに話すことが苦手になってしまい、最早コンプレックスになりつつあります。

具体的には、名刺交換などの際、笑顔になれず、ムリをして笑顔を作ろうとしても、顔がピクピク引きつってしまったり、人と話をしている中で目を見て話せなくなってしまったり、手の震えがあったり、会話を続けられなくなってしまったりという以前からは考えられないような症状があるのです。

これがですね、過去の自分からは想像だにできないことでして、実に情けないやら、恥ずかしいやらでどうしようもないのです。ですからできるだけ見知らぬ人には会わないよう、会ってもミスをしないよう、注意深く接し、できるだけ人の機嫌を損なわない程度に避けるようにしていました。

しかし、ようやくこれを何とかしたいと思い始め、主治医に克服方法を尋ねたところ、「その反応は心や身体の自然な感情や表現なのだから、無理に排除しようとするのではなく、そのまま自然にしておく、あるがままにしておく態度を養うようになさい」と言われました。

要は「気にしないで、人といっぱい会って練習しろ」というワケです。「アドバイスになってね~!」と思うのですが、この手の症状の対処法をネットで調べてもなかなか具体的な体験記みたいのは見つかりません。(それを売ろうというサイトはいくつも見つかるのですが・・・)
 

とりあえず現状を打破する手段として、少しでも興味を持ったことには、勇気を振り絞って、飛び込んでみようと仕事・プライベート問わず、アチコチに顔を出すようにしています。が、これはなかなか難しくて上手いこと軌道に乗せられず悪戦苦闘中です。どなたか、こういった対人恐怖症に近い症状を克服するハックをご存じのかたは、是非とも教えていただけたら幸いです!

鬱病キャリアに最適な仕事術は「GTD」だと思う理由

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
鬱病キャリアであることをウリにしている気は特になくて、単に私という人間の構成要素の一部として公表しているのですが、たまにいただくメールの中で「私も鬱を抱えているので、仕事が上手く行かない。どう仕事をこなしているのか?」とか「仕事中、急に落ち込んだらどう対処しているか?」などの質問をいただくことがあります。私は医者やカウンセラーではありませんから安易な返信をしないようにさせていただいていますが、このところこういったお問い合わせを頂くことが増えてきました。何かの参考になるかもしれないので、今もクスリを服用している鬱病キャリアの一人として、どうやってこの病気と関わりつつ、仕事をこなしているのかを紹介します。

結論から言うと、私は鬱病など精神疾患を抱えている人こそ「GTD」という仕事のやり方が一番適していると考えます。2度目の休職から、復職するにあたってやはり色々心配になりました。できなくなってしまったことも沢山あるし、仕事に復帰したところで、会社に、社会に貢献できるか、社会の中で自分が立脚できるかどうかものすごく不安でした。そこで、今まではあまり意識しなかった所謂仕事術系の本を乱読して、何か今の自分でもできそうな仕事術、自分の不安を取り払ってくれる魔法の仕事術は無いのか、懸命に探しましたが、まあ、そんな魔法のやり方はありませんよね(^^;)

しかし、一冊の本が私に与えたインパクトはとても大きいものでした。それが『ストレスフリーの仕事術』です。まさにストレスを抱えないで、仕事ができる方法を探していたわけですから、当然といえば当然です(GTDのシステムそのものは『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』をご一読下さい。)

何がそんなにインパクトがあったかといえば、「頭の中にあることを全て書き出せ・気になるものを全て集めろ」ということです。自分の頭はどうなってしまったのか?という不安を抱えているわけですから、一回それを全部ぶちまけてみろと言われたのは、ガツンときました。

そして言われるがまま、まっさらなノートに向かい書き始めてみました。不安に思っていること、できなくなったこと、最初出てくることは全てネガティブなものでした。「頭の中の全て」ですから、幼少期の思い出から友達の名前、付き合ってきた人との記憶、とにかく何から何まで頭に浮かんだものを丸2日寝ずに書き続けて(これ冗談抜きでホントに寝ずにやりました)ちっちゃい文字でびっしりノート2冊に、私の頭の中身の「全て」を書き出して、頭からそれを読み直してみると、時折ポツポツと「~したい」という言葉が出てきて、ページを追うごとに徐々にこういった前向きな言葉が増えているのを見つけて楽になれました。

不安ばかりではないということを見つけられた効果は計り知れないほど大きいものです。少なくとも「~したい」という言葉は、鬱で何もできない、やりたくない、やる気が起きない、死ぬことばかり考えている、かつての自分からは出てくるはずの無い言葉だからです。「少なくとも良くなってきていることは間違いない!」そう確信が持てたのです。そうして漸く物理的に気になるものを集め始めるというアクションが取れるようになりました。

GTDは仕事のやり方ですから、記憶までぶちまける必要はなくて、気にかかっている仕事を書き出せば良いわけですが、私は気分や記憶まであらゆることを全て書き出しました。多分、鬱病などを患っている人は仕事だけでなく、もういっそのこと半生記を綴るくらいの勢いで、自分自身を全て書き付ける方が良いと思います。精神の棚卸しをする効果は絶大だと実感として思います。GTDの最初のステップである「収集」だけでもこの仕事術がもたらす効果は大きいと私は思います。

そして、仕事に復帰してからは、とにかく一つ一つ丁寧にタスクを紙に書き付けてから、取り掛かるという習慣づけを行いました。「自分が何をするか、メモをしてから取り掛かる」たったこれだけのことで、気分の落ち込みに対抗できました。不思議ですが、軽く沈んだとしても「どうあれ今はこれをやっていれば間違いはないんだ」と自分を説得できるようになったとでも言いましょうか、そんな感じです。

今も「メモしてから取り掛かる」ことは続けています。もはや書かないで取り掛かるということはちょっと考えられない状態です。PCで入力するのではなく、裏紙で良いから直筆でメモをする。「●●をコピー」とかそんな「書く前にやれよ」ということも書いてからやります。走り書きのようなものでも、これが有ると無いとは大違いだからです。最初はリーガルパットに綺麗にリスト化していましたが、今はA4コピー用紙の裏紙に殴り書きのように書き付けています。終わったら上から線を書いて消すだけです。残りは次の日にやるタスクとなります。

そしてGTD実践者が何故か躓く週次レビューですが、この作業、実は私は好きなんです。何故か?少なくとも私のSomeday/Maybeリストは「欲望リスト」です。一つも前に進めることができないリストですが、「ああ、これだけ「~したい」と思えるようになったんだなぁ」と具合が良くなっていることを実感するのが楽しいからです。楽しいことだから意識せず続けられているのだろうと思います。
勿論あんまり愉快じゃない終わっていない仕事の事柄も書き出しますし、自宅でやらねばならない作業も書きます、愛犬の予防注射とか、トイレ掃除なんてのも全部です。やり方は色々だと思うのですが、私は手でノートに書き出しています。それからMacに向かい、RTMやGoogleカレンダーやEvernoteに書き写しています。二度手間だと我ながら思うのですが、何故か直接キーボードで入力していくより、私は、手で書き出したほうが、気になっていることの棚卸しがし易いからです。

あとの変わったコツとして、普通の勤め人であれば、月〜金まで実働5日あるわけですが、必ず実働4日で出来る範囲の仕事量に留めるようにしています。理由は急な仕事を振られた時の対処の為の予備時間であるとともに、具合が悪くて出社できない場合に備えてです。「最悪1日休んでも大丈夫。仕事に何ら支障は無い」と思えるだけで、精神的に楽だからです。休憩や余裕の時間を確保することは必要だと思います。

GTDが他の仕事術と違うのは「いま何をやるか」というアテンションを管理する仕事術だということです。どこまで一つの作業を細かくするかは人それぞれですが、一例として・・・10枚の書類のコピーを5部取るというタスクがあったとして、

  1. 10枚の並びが正しいか調べる
  2. コピー機の前に持って行く
  3. コピー機の「コピー」を押す
  4. 原稿をADFにセットする(裏表注意)
  5. 「片面・A4・5部」とコピー機に入力する
  6. スタートボタンを押す
  7. キチンとコピーされているか確かめる
などとするか、単に「コピーを5部」としてアクションとするかはそれぞれという意味合いです。ともかくそのタスクを終わらせるにあたり、何らかのアクションを取って、前に進めていることは間違いないわけです。私は鬱になったとき段取りが組めなくなったことが一番ショックなことだったので、上のようにコピーを取るという行為でも細かく書き出してから、とりかかるようにしていました。まどろっこしいけど、この手順で間違いないという確証を得たかったからです。

そして、小さな小さなタスクを問題なく処理できるということが積み重なって行くと自信になりました。週次レビューで今抱えている案件の量は自分でこなせる量か否かを毎週確認でき、無理なら前もって誰かに振るなり、断るなり、のアクションを取って間違いないと確信を得ることができます。「いまやっていることに確信が持てれば」間違いなく仕事は前に進められます。ですから、私は鬱病等、精神疾患を抱えている人に、最適な仕事術は「GTD」だと私は思っています。


追記:上記は月曜日に書き上げていたのですが、火曜日に急に墜落しまして、漸く水曜日の今になって盛り返してきました。今回わかったコツ。墜落したときは、何かひとつみっともなくて良いから、ジタバタしてでも、とにかく"仕上げる"ことを繰り返す。何かスグに片付きそうなタスクを見つけてやっつけていくとテンション上がる。モグラ叩きしてテンション上がるのと同じイメージ。

歳相応になれない自分

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
深希さん主宰のブログ『*ever blue*』の「年齢」というエントリーを読みました。「全く同感」と思ったので、感じたことを。
 
このエントリーを読み終えた時、真っ先に浮かんだのは父の背中でした。私は両親が23歳の時に生まれたのですが、34歳になった今、考えてみると、34歳の時点で父は、母と、11歳の私、5歳の妹、そして母のお腹には弟がいたことになります。 当時の父の背中を思い出すと、やはりとてつもなくでかかったし、超えられない壁でした。妹の葬儀の時数十年ぶりに会った父の背中は大分小さくなってしまっていましたが、じゃぁ、今の私が当時の父と同じように威厳のある大きな背中をしているかと考えれば、暗澹たる気持ちになります。私が悪戦苦闘している頑張りなど、高卒で上京し、家族を養い、日々仕事に明け暮れた父の頑張りには、とても遠く及ぶモノではありません。

社会に出たら、年齢なんて関係ないとは思っていますが、それは虚勢なのかもしれません。やはり同年齢の人が起業していたり、雑誌や書籍を出しているのを見ると、「嗚呼、何て俺ってちっちゃいんだろうなぁ・・・」と思います。

3〜4年ほど年上の『Lifehacking.jp』の@mehoriさんや、『ライフハック心理学』の@nokibaさんの背中を見ても、とても追いつける気がしません。ましてや、身近なお手本たる営業本部長の大きな背中に至っては遙か彼方の頂です。

そして、年下を見ても、『R-style』の@rashita2さんや、『Hacks for Creative Life!』の@beck1240さんの知性や感性、努力、発想力、行動力、どれを取っても完敗だなぁと思うことばかりです。

特に得意な分野やスキルがあるわけでもなく、広大な知識を持っているわけでも、深い洞察力や、鋭い文章力もあるわけでもないことは、ず〜んと落ち込みますが、それでも、今何とかかんとか生きているし、もう少し生きていたいし、生きている以上はまぁきっと私にもどこかしら伸び代があると信じて、今置かれているフィールドで悪戦苦闘・七転八倒するしかないのだろうなぁと思いました。

しかし・・・何でみんなスゴイんだろう?やっぱり私がサボっていたせいなんだろうなぁ。中学は2年生くらいの頃からサボってたし、高校は半ば教師公認でサボっていたし、大学でも勉強した記憶ないし、殆どの授業サボってたもんなぁ・・・。ヤクザ屋さんとのパイプを持つことの威力とか、歌舞伎町の裏とか、夜の山手通りの人間模様とか、ホストクラブの裏話とか、クラブのママさん達の苦労話とか、ホームレスの暮らしぶりとか、そんな知識しかないもんなぁ。どれも使えない知識ばっかりだ(笑)やっぱり全科目、もう一度、勉強しなおそうかなぁ(-_-)

必要なのは・・・「死ぬ権利」ではないか?

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
NHKの「無縁社会」という番組を漸く見ました。以前放送された時は特殊清掃人の作業風景が妹の事件現場とダブりフラッシュバックとパニック障害の併発を食らったので、今日はかなり覚悟して、準備して見ました。見た結果、うん、やっぱり色々考えてしまいました。

無縁とは言え、字面通りに何処にもつながっていない人は極めて稀だと思います。ホームレスでもクチコミネットワークがありますから、本名は知らずともその人が居ることは知っている状況です。仮名を名乗っている人ほど身分証明書となるものを肌身離さず持っているものですし。

しかし、私は妹の事件を不動産屋さんと警察から連絡を受けるまで気づきませんでしたし、夢にも思いませんでした。最後に妹と会ったのは彼女が殺される3ヶ月前。最後に妹と話したのも多分、同じ日なはずです。要は3ヶ月電話等の連絡を取っていなかったわけです。結果、妹と甥っ子は夏場に1週間、密室の室内で居たので、「異臭」で隣人が気づいてくれましたが、冬場だったら、3ヶ月前に殺されていたとしても、3ヶ月間全く気づかないこともありえたわけです。実体験として、家族という繋がりが希薄化していることは確かだろうと思います。

どれくらい繋がりがあるか考えてみると、私には故郷はありませんので、故郷との繋がりはありません。地域社会との繋がりは、同じマンションにああいう人が居るという程度には数名に知ってもらっているくらいです。個人情報規制法とやらを気にして、マンション住民の名簿すら作れませんから、私たちの顔は知っていても名前まで知っている人は数える程度でしょう。会社との繋がりはまだありますね。現役で働いてますし。家族との繋がりは家内が居ることの他には、弟と繋がっています。家内の親族との繋がりもありますね。ネットにも繋がりは有していますね。

それでも・・・例は悪いですが、私が家内を殺して私も自殺したとして、いつ発見されるかと問われれば、結構怖いものがあります。金曜日の夜に実行すれば、翌週の月曜若しくは火曜には『会社の人』が来てくれる"かも"しれません。GW前に実行すれば当然休みの間は誰もわからないでしょうから、最大2週間程度気づかれないことも考えられます。現役で働いていてもです。弟や家内の親族と毎日連絡があるわけではありませんから、現時点で、私たち夫婦に取って一番強い繋がりは『会社の人』ということになりそうです。

そして、今、家内が何かで死亡したとして、その遺骨をどうすれば良いのか?私たちは自分たちの墓を持っているわけではありませんし、お墓ってスゴイ高価なものらしいですから、遺骨のまま自宅に持っているしかないのかもしれません。夫婦揃って死んだ場合、弟が処分の一切合切をするなんてことはまだ無理でしょうから、ホント弟に迷惑かけない方法を考えないとなぁと思います。

この問題自体は色んな観点から考察できると思います。ネットでザッと見た限り、多くは経済的な観点からの考察だったり、共同体だとかコミュニティだとかの問題だとかの切り口が多いようですね。解決法としてはそれこそ昔のような人の「縁」を再建する工夫が必要だとする人もいるようです。でもこの解決法は無理だろうと思います。『プライバシー』や『個人情報』の名の元に本名やら何やらを皆必死に隠して守っているわけですから、そりゃ人と繋がる機会は減る一方ですよ。昔のように人の家にズカズカ入ってくるようなご近所さんとの「縁」なんてもう再建できるわけないとおもいます。

そこで、極論で即物的で、浅薄な意見ですが、この問題を解決するには、私は「死の選択の自由を認める」ことが一番良いのではないかと思います。

会社に属すか属さないかは自由に選択可能。
家族との交流の密度は自由に選択可能。
結婚するかしないかも当然自由に選択可能。
地域社会に関わるか関わらないかも選択可能。
その他で知り合いを作っておくか否かも選択可能。
しかし、「死ぬ選択の自由」がないのは何故だ?と思うのです。

死ぬ選択の権利があれば、本人の意志で、本人の希望で「安楽死」を選択する自由があっても良いんじゃないかと思うんです。持ち物は自分で処分しておけますし、死んだ後、献体として欲しいのか、どこかの業者さんに火葬を依頼するのか、親族に依頼するのか、どこの墓に入れてもらうのか、もしくは散骨して欲しいのか、共同墓地か等のことを決め、必要経費を払い終え、諸手続を全て済ませておいた上で「○月○日xx病院で安楽死させてもらうから、後は打ち合わせ通りヨロシク」とした方がよっぽど良いのではないかと思うのです。

番組内で放送された人は皆「いつ死ぬかわからない不安」と戦っています。NPOと生前に契約して、遺品の処分等を頼むという人が紹介されていましたが、あれはあくまでも「後始末を頼む」ということであって、いつ死ぬかはわからないわけです。最悪、自分が死ぬより先にNPOが破綻することだってあり得ないことではないわけですから、何かヘンな契約だと感じました。そんなことをするくらいだったら、「いつ死ぬのか」を自分で決められれば、全ての見通しが立つわけだし、そういう選択肢があるとわかっていれば、この不安は解消できるのではないかと思うわけです。

若い人が希望したらどうするのか?という疑問もあるでしょうが、たとえば権利行使の対象年齢を60歳以上として、その年齢に達していない人はカウンセリングを受けて、1年~2年経過を観察し、それでも希望したら認めるとか、セイフティーネットを張っておけば良いと思います。カウンセラーが全力でサポートして、「それでも」というならちゃんと認めて、死の権利を行使させてあげるべきだと思いますし、それで良いじゃないかと思います。

不慮の事故や、脳梗塞とか心筋梗塞とか突発的な事態は別としても、自分の最期を自分で決められないのは不自然だと私は感じます。

我が家では、お互いに「脳死状態・重度の介護が必要な状態・目を背けたくなるような痛みに襲われている場合は、(家内の・私の)判断で安楽死させて良い」と効力はないでしょうが、そんな事態になった時、判断を誤らないように、契約書を交わしています。介護疲れ、老々介護等、何故そこまでして生かせておかねばならないのかと考えるからです。私も家内も痛いのは嫌ですし、色んな管を付けてまで生きていたいとは思っていません。お互いがお互いの負担になるようなら、遠慮無く死なせてくれて良いと私たちは決めています。

あの放送を見ていると、自分の死の後始末をしてもらうために、親族・結婚・会社・地域等と無理にでも繋がっておかないといけないかのように、私には写りました。でも人との縁や繋がりって、本来、そんな歪なものではないでしょう?だったら、繋がるも繋がらないも自由、いつ死ぬ、いつまで死なないのかも自由とした方が私には自然だと思うのです。

人生の幕引き、ファイナルカーテンコールの有り様は自分で決めたいし、闇雲にどんな姿でも生きていたいとは私は思いません。モノは何でもあるけど希望がないこの国で、希望が持てなくても生きていなければならないこと。「死の選択の権利」が認められていないことが、人生全般を覆っている暗雲なのではないかと思います。

雑感-スーパーニッチe-雑誌の可能性

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
今日、家内の洋服を買いにデパートへ行っていました。これが…果てしなく長いんです。毎回毎回。

そこで今日に備えて、前々から「欲しいもののイメージとか、質感とかを、雑誌やネットでチェックしてその切り抜きを持って買い物に行こう」と提案していまして、家内も了承し、あれこれ研究に励んでいたのです。ですから、期待していたわけですよ。サクっと買い物を終えて、家に帰ってこれるだろうと。

しかし・・・デパートの端から端まで1フロアー2往復するのは基本。複数のデパートを何回か往復するのも同じ。要は今回もいつもと全く同じなのです_| ̄|○ ナンデ?ナンデ?と思って「事前調査はどうなってるの?」と聞いたところとても意外な答えが返ってきました。

家内曰く。「だ〜って、”雑誌は参考にならない”って確信しちゃったんだもん。最初はこの記事みたいなジャケットを探して、似たようなのを試着したけど似合わなかったでしょ?だから、私は確信したわけ。雑誌に載っている洋服は、モデルさんが着ているから素敵なの。私が着たら違うモノになっちゃうの。だから地道にローラー作戦で探すしかないの」

ウチの家内ですが・・・身長は152cmと小さく、横幅には矢口真里さんをもう少しふくよかにしたような体型なので、確かに雑誌のモデルさんとは誰が見ても間違いようの無いくらい、全く違います。そして、家内のような「身長の低い人向けの雑誌は無いのだ」と言うのです。

Googleで色々検索しても、知りたい情報である「家内自身が着たらどうなるのか、どう見えるのか」というのはわからなかったのだそうです。

妙に納得してしまったので、諦めて家内の地道なローラー作戦につき合いテクテクテクテク歩きながら個人レベルで作る、e-Bookの可能性に思いを馳せていました。

例えばウチの家内に色んな洋服を着せて写真を取り、クビから上は無い状態の写真がダーッと並んでいる雑誌を作る。読者は自分のクビから上の写真を撮って、クビ無し写真雑誌に、自分の顔を重ねていくことで、同じ身長152cmの自分が着たらこんな感じになるというイメージが掴めるニッチな雑誌が作れるんじゃないか。とか、ウエストサイズ別、ヒップサイズ別なんて切り口で、流行のスカートを着たらどういうシルエットになるかとか、スーパーニッチな"e-雑誌"を個人レベルで作れたら、そういう雑誌を欲しいという人はいるんじゃないかな?と思ったりしました。

男性でも同じような情報を必要としているかもしれませんね。身長別、ウエスト別「ユニクロ+無印良品で勝負服をコーディネート」とか、「ラペル幅やゴージラインの違い」等を実際自分の顔を合わせて、どういう印象になるか確かめられるものなどを作ったら意外にウケるかもしれません(^^;)

12,000歩以上歩き、徐々にしかし確実に増えていく荷物を黙々と持ち続けながら、ブログではちょっと難しいけれど、雑誌には出来ていること。そんなことを個人レベルでちょっとデザインして体裁整えるだけで作れて、iPadで見られるような世界が来たら、普通の雑誌ではカバーしきれない、スーパーニッチだけど、「それ待ってた!」という日常に密接した情報っていっぱいあるかもしれないなぁと思いつつ、でも洋服はコーディネートアプリみたいのがあれば良いのかなぁ等、最後の方は朦朧とした意識で考えていました。

取り急ぎ、どなたか152cmの女性向けの洋服雑誌を作って下さい。ホント疲れた・・・。

コミュニケーションの「過剰」とその「質」について

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
このところ、大分気持ちの浮き沈みの波が安定してきていて、普通に仕事をこなした後も、消耗しきってしまうということも減ってきました。そうなると不思議なもので少し欲が出てきます。私の目下の欲は「円滑に必要なだけのコミュニケーションを取れるようになること」です。従って、書店でもその手のジャンルの本を手に取り、日常のあらゆることを、その視点で見るようになっているのですが、その過程で、何だか違和感を覚えました。

私が感じる違和感は「現代の日本人は饒舌に過ぎ、不要なコミュニケーションに翻弄されているのではないか」という事です。そしてインターネットと携帯電話の普及が、饒舌さを加速させ、不要かもしれないコミュニケーションを増幅させているように感じてしまうのです。

同じマンションに住むお母さんネットワークを通じて聞いた話しですと、今時の小学生や中学生は、毎日何十、何百通もメールを打つそうで、それも即時返信が最早当たり前であり、マナーになってしまっているそうです。食事中もケータイは手放さず、電源を切ることなんてありえないことらしいです。さらにMixiやプロフ(ってのがあるんですか?)では読み逃げ厳禁だそうで、「足あと返し」だとか「コメント返し」をしなければ瞬時にイジメのターゲットになってしまうのだそうです。

さらに、愚弟の話によれば、今時の恋人の間で交わされるメールの量は尋常ではないらしく、まるでお互いがお互いを24時間体勢で監視し、万が一にも連絡がつかないと、それはそれは大変な揉め事に発展するというカップルも多いのだそうです。(愚弟には彼女が居そうにもないので、当事者になったことはなさそうですが)

普通のビジネスパーソンを考えても、仕事で百通前後のメールを送受信し、何十という電話に対応し、上司や部下、同僚との会話はしなければならないし、顧客や協力会社との面談・商談はあるし、加えて、セミナーや勉強会にも行っている人もいるわけですから、それはそれは膨大な数の言葉のやり取りを毎日行っているわけです。

もう、コミュニケーションの『量』は十分。お腹いっぱい。これ以上食べたら吐いちゃうよと言いたいところです。しかも今の言葉のやり取りはファストフードのような言葉ばかりじゃないでしょうか?ジャンクフードならぬ、ジャンクコミュニケーションとでも言いたくなるような。

ちょっと今日交わした言葉のやり取りの『質』に目を向けてみてください。今日話したものの中で、ハッとする言葉はありましたか?琴線に触れる言葉はありましたか?目から鱗の言葉はありましたか?逆に相手に気づきを与えるような言葉を投げかけましたか?あなただからこそ言える言葉を発しましたか?・・・意外にないと思うのです。何と言うか、じっくり手間暇かけて作られた手作り料理のような『上質』なコミュニケーションが少ないのではないかと思うのです。

とは言え、残念ながら、私は『質』を上げる秘策を持ち合わせているわけではありません。ただ会話には、「情報の伝達」という機能だけではなく、「関心」という「心理的資源」の交換としての機能があるのではないかと思います。よって相手にちゃんと関心を持って接すること、相手の話を関心を持って聴くこと。この2つを心がけてみようと思っています。量を減らすことは本当に難しいことですが、メールは重要なもの以外返信しないとか、会議を短くするとか、無駄話はしないし乗らないとか、商談内容を長さではなく密度で考え直してみるとか、地道なことをやるしかなさそうですね。

ちなみに、ヘンリー・D・ソローは著書『森の生活』の中でこんな言葉を残しています。

私たちは、わざわざ寄り集まって暮らし、邪魔し合い、ぶつかり合い、躓き合います。私の考えでは、私たちは社交のために互いに尊敬できなくなっています。社交を少なくすれば、大切なことを伝え合う、心をこめたコミュニケーションができるでしょう。


ほんの一瞬でも、お互いの立場から世界を見ることができれば奇跡が起こるだろう。