エディターシップという付加価値

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細々と自分勝手なことを書き綴っているこのブログですが、これでも一応、辞書に当たるべきは当たり、不明な点は事典等で調べてから書くように心がけています。

日々、多種多様な情報が飛び交っていますが、その情報の真偽を調べるというのはことのほか大変です。Wikipediaは便利ですが、100%正しいわけではないことは多くの人に頷いていただけるでしょう。ネットに溢れている情報は玉石混淆ですから、丸々そのまま受け入れるわけにもいきません。どうしても裏を取る、真偽を調べることに耐えうるだけの信頼できる参考図書が欠かせません。辞書、事典、便覧、年鑑、図録、白書、統計集、さらには教科書のようなものがやっぱり必要です。個人的には、これらの参考図書が必要だからこそ、やはりオフィスなり書斎なりが必要であり、所謂ノマドワークはいずれ無理が生じるのではないかと思っています。特に文筆のプロになればなるほど正確な情報をあたるべく「参考図書を引ける」技術の差は、そのまま文章の質の差になり、プロと素人の差として顕著になるだろうと思っています。それはともかく、何十人(モノによっては何百人?)もの人の手によって編集・校閲される「書籍」は現在も一番信頼のできるものだと私は信じています。平たく言うと、情報を深掘りしていくにあたって、TVやラジオやネットではなく、私は活字媒体に信頼を置いているということです。

しかし、この書籍に対する信頼を根底から揺るがしかねないような事態も間々見られます。さすがに辞書や事典にはないと思いますが、一般に売られている書籍の中には、明らかな間違いがそのまま掲載されていることがあるのです。それも私のような素人にでも突っ込めるような間違いがです。

具体例で見ていくことにしましょう。「知の巨人」と言って誰を思い浮かべるでしょうか?沢山いらっしゃいますが、立花隆氏はメディアでそのまま知の巨人と呼ばれていますから、立花氏のお名前が浮かんだ方も多いと思います。文系理系問わず博識で骨太なジャーナリストというイメージでしょうか。私も立花氏の仕事に、その勉強熱心さに驚嘆する一人です。猫ビルみたいに本に囲まれて生活してみたいものだと思います(無理ですけどね)いささか立花氏のファンの方には申し訳ありませんが、ちょっと引き合いにだせていただきます。立花氏の著作を何冊か読むと、ガチ文系の私が読んでもすぐ間違いだとわかる間違いがそのまま掲載されているのです。例えば、

・・・ガン遺伝子は、遺伝子が病気を起こしたようなものなのである。その原因としては、いわゆる発ガン物質の化学作用、放射能、確率的コピーミスなどが考えられるが十分わかっていない。(『21世紀 知の挑戦』)

間違い見つかりましたか?「放射能」ではなくて正しくは「放射線」です。「放射線」とは「電磁波や粒子線」のことで、「放射能」とは「放射線を出す性質(能力)」のことですから文脈からすると、放射線であるべきです。

量子力学への言及が極端に少なく、相対性理論びいきとも思える立花氏ですが、得意なはずの相対性理論もいささか怪しいのです。

つまり、相対性理論というのは、純粋な理論であって、現実的には検証不可能な理論ということになるのです。

と言った矢先に、

しかし実は、相対性理論は、全く検証されなかったわけではなくて、1919年に事実上の検証がなされているのです (両引用とも『脳を鍛える』)

と書かれています。これは誰が読んでもいただけません。「知の巨人」ではなくて「知の虚人」になってしまいます。検証されたのかされていないのかどっちなんでしょうね?もちろん「検証可能」が正しいのですが、これも甚だオカシナ言い回しでしょう?(ちなみに・・・この文章の前に相対性理論の説明-ウラシマ効果-の言及がありますが、この説明も間違いです)立花氏の著作はこういった間違いが沢山ありますから、間違い探しをするという意味合いでは確かに『脳を鍛える』ものではあります。特に「インターネット」「環境ホルモン」「遺伝子」「人工知能」などどちらかというと理系の分野は執筆当時との時代差を考慮して読んでも、思わず突っ込んでしまう間違いがわんさかあります。

しかし、これは笑っていられる事態ではありません。著者はともかく、編集の方々はちゃんと原稿を読み、裏を取っていたのでしょうか?やっていてもやっていなくても問題ですが、もし「「知の巨人」の言うことだから間違いないだろう」とそのまま書籍にしたのであれば、エディターシップが疑わしくなり、一体何を参考図書としたら良いのか、参考図書をチェックする参考図書が必要になり、もはや素人には「調べる」ことができないということにもなってきます。これは本当に怖いことだと思います。

特に『脳を鍛える』という書籍は「東大でおこなった講義をベースに大幅に改編し、かなり再構成されたうえで一冊にまとめた本」だと著者の説明として書かれています。講義録をそのまま載せたのであれば、口にする際にちょろっと言い間違うことはあるだろうと思えるわけですが、改編・再構成されたというのが気になります。何人もの手によるチェック機能があるはずの改編・再構成を行っていながら、何故このような素人にも突っ込める間違いがそのまま書籍になるのでしょう?ちなみにこの本、Amazonのレビューでは大絶賛されています。不思議です。

人のやることですから、間違いもあるでしょう。しかしネットで誰もが手軽にカンタンに情報を発信でき、e-Bookとして売ることすらも、やろうと思えばできるようになりつつある今、私は「信頼の置けるエディターシップ」こそが書籍の「付加価値」ではないかと考えています。レファレンスとして座右にある辞書や事典等までもが、編集・校閲を間引いて出版されるような事態にはなって欲しくないとつくづく思います。万が一にもそうなってしまったならば、それは即ち『知』の崩壊を意味するのかも知れません。

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