Time is Moneyの真の意味

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偉そうなタイトルですが、内容は実に当たり前なことです。「時間の無駄だった」と文句も言いたくなると思います。そう思ってもどうかご容赦ねがいます(笑)

現代社会はとにかく何でも便利なものがある時代です。所謂「三種の神器」の変遷を見てもそれは間違いなさそうです。しかし、そんなこの世の中で2つだけ、いつもみんなが「ない、ない」とボヤかれているものがあります。それは「時間」と「お金」です。この2つはいろいろな見方があり、私などの脳では考えれば考えるほどわからなくなるのですが、時間とお金はMIXすると時間というものがよりクリアに見えてくることに気がつきました。

生まれてから仮に寿命を85年とした場合、85年=約31,025日。時間であらわすと744,600時間。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれですが、ともあれこれだけの持ち時間があるわけです。そこから睡眠や食事など"使用不可"時間を10時間と仮定した場合、生まれてから死ぬまでの稼動可能時間は1日14時間ですから、単純計算で434,350時間となります。私でもできるくらいの簡単な計算ですが、このままだと数字が大きすぎて実感がわきづらいですね。しかしこれをですね、お金で考えると途端にわかりやすくなると思うのです。つまり私達は生まれて最初にこう宣告されているのです。

「ハイ。誕生おめでとう!あなたの所持金は434,350円です。そして一日経つごとに14円(14時間)を有無を言わさず必ず徴収されます。所持金は1円たりとも増えることはありません。では幸多からんことを!」

平均寿命の差を無視すればこれが世界共通のルールです。手持ちの43万円を減らすことが、生きるということに他なりません。俄然時間のありがたみが実感出来るようになりませんか?Time is Moneyとは良く言ったものだと改めて思います。

私たちは家電製品からITツール、交通機関の発達等々によって、この43万円を少しでも効率的に長く有意義に使えるよう工夫をしてきたわけです。しかしまだ「時間がない」と言っているのです。数々の便利な製品のおかげで相当の時間を余らせることができているはずなのに。いったいどれくらいあれば「時間がある」と思える状態になるのでしょうか?

安くて高品質な洋服。スーパーには山積みにされた食料。高いけれど一生を賭せば買えない金額ではない(と思う)住宅。衣食住全てが満ち足りて、日々最新の便利な製品が次々出てくるこの日本で、いったいあと何を減らせば、何を満たせば時間があると私たちは思えるのでしょうか?

現在34歳の私は残り260,610円しかありません。これが私に残された命の全額です。さて、こうして具体的に残り金額が見えれば「時間がある・ない」と考えるよりも、残された時間をどう過ごすべきか考えてみる方が有意義だと感じませんか?ちょっとしたことですが、この可視化は人生をレビューする際、座標軸として使えるのではないかと私は思います。

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