愛着品紹介008-定番三種「鉛筆」「消しゴム」「ナイフ」-

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※数名の方へ。愛着品のメーカー名を間違えるというあり得ないミスしてごめんなさい。

手を使って考えるときには必ず使う3つの道具があります。
「鉛筆」・「消しゴム」・「ナイフ」です。

鉛筆は三菱鉛筆社のuniシリーズの末弟(一番安い)「uni star」を。消しゴムはトンボ鉛筆社の「MONO消しゴム」を。ナイフは会社では「肥後守」、家では「OPINEL No.8」を使っています。

鉛筆の究極は「6Bの黒さで9Hの硬さで滑らか」なものだそうです。つまり、深みのあるしっかりとした黒色と折れにくい硬い芯を両立させ、且つ滑らかな書き心地のものが究極。言うのは簡単ですが、これが非常に難しいのことなのだそうです。三菱鉛筆社はこの究極を追求し、究極に限りなく近い製品を生み出した数少ない会社の1つです。

また、三菱鉛筆の鉛筆は、どことなく日本の伝統を感じさせつつ高級感を醸し出す、茶色とも臙脂色ともつかない不思議な塗り色をしています。(あれは何色というんだろう?)あの独特の色は、ステッドラーのブルー、ファーバー・カステルのグリーンと並んでも全く遜色ありません。

また、商品名の「uni」というネーミング。英語の“unique”に由来し、フランス語では「滑らかな」という意味も合わせ持つ言葉を選択するというこだわり。少し丸みを帯びた優しい印象のロゴデザインも秀逸です。

黒芯の開発以外は日本屈指の工業デザイナー秋岡芳夫氏が手がけた仕事なのだそうです。工業デザイナーでありながら大量生産、大量消費社会に疑問を呈し続け「暮らしのためのデザイン」を信条とした秋岡氏の作品の中でも、渾身の作品のひとつと言って良いだろうと私は勝手ながら思っています。ファーバー・カステルやステッドラーは雑誌などに良く取り上げられますが、暮らしに完全に溶け込んでいるuniが取り上げられることはあまりありません。これぞ「暮らしのためのデザイン」たる証しだと思います。

uniシリーズと双璧をなす製品としてトンボ鉛筆社のMONOシリーズがあります。甲乙付けがたいのですが、単純に秋岡氏が手がけたという一点に於いて、どちらかと言えば私は三菱鉛筆社を支持しています。

鉛筆では私に選ばれなかったトンボ鉛筆社ですが、消しゴムはトンボ鉛筆社の「MONO消しゴム」が最高だと私は思っています。欧米の消しゴムはたとえ有名メーカーのものであっても、とにかく「消えない」のですが、MONO消しゴムであれば「消える」からです。これは、塩化ビニール製のプラスチック消しゴムというのは日本発の技術であり、欧米では今も昔ながらの天然ゴムを主な素材とする消しゴムが作られているからでしょう。日本製の消しゴムと比べて欧米製の消しゴムが驚くほど消えない(日本語の用法正しいですよね?)のは、素材そのものも製造方法も根本的に違うということです。だから消しゴムは日本のものに限ります。MONO消しゴムはその代表格。何よりMONOというロゴを見た瞬間、消しゴムを連想するまでに「暮らしに溶け込んだデザイン」となっていることはスゴイことです。

最後にナイフ。鉛筆削りでゴリゴリ削るのもラクだし好きなのですが、亡き祖父から私が小学校に入学したときに「鉛筆はこれで削りなさい。刃物が正しく使えない男は男じゃない」と肥後守をもらった影響です。鉛筆はナイフで削るものだと結構長い間思い込んでいました。「クラスのみんなの鉛筆はすっごい綺麗に削れてる。みんなナイフの使い方が上手いんだなぁ。練習しなきゃ!」と思ったものです(^^;)

バタフライナイフの事件が起こるまでは、別に持ち込み禁止でも問題でもなく普通に学校でもナイフで削っていました。メンドクサイなァとも思った頃もあるのですが、シャッシャッっと無心で削っている時間を豊かな時間だといつの頃からか思い始めました。あの削られた木と黒芯の、ほのかな香りも好きで何かホッとするのです。まぁカッコイイこと言っても、鉛筆削りの腕前が特別に良いわけでもないことは写真の通りですけどね(^^;)

祖父からもらった肥後守はもう手元にはありませんが、今は少し大振りなものを会社では使っています。オピネルNo.8は元々はアウトドア用に買ったのですが、「フランスの肥後守」と言われるだけあって、安価なのに使い勝手が良いし、デザインもグリップが木製で、日本の肥後守よりずっと家庭的な印象なので、自宅用にしています。ただし刃の付き方が日本の肥後守とは違うので削るのにコツを要するのが難点です。

文具に関する本は良く見かけますが、パッと見はカッコ良くてもいざとなると使えないものも中にはあるのが残念ながら事実でしょう。その点、ロングセラー製品、定番製品というのは一見地味でも、確実に使えるものしか残らないはずですから、実戦で必ず使える信用のおける製品と言い換えることもできると思います。

どうやら私は「お主、地味だが、なかなかちゃんとやりおるの~」という感じの生活に溶け込んだ製品が大好きのようです(笑)

枠だけの真っ白なキャンバスのような時間

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昨晩、ライフハック心理学セミナーで、佐々木正悟さんのタスク管理の一端を教えていただいたきました。自分の行動内容とそれに要する行動時間を見積り、その通りに実行していくというもので(実際奥様を起こすには7分かかると見積もってありました!)非常に合理的だし正論だしスゲーなぁ!と思ったのですが、聞いているうちに、ものすごい違和感を覚えたのです。何故か?

「自分の行動全てに対し、要する時間を見積って、ToodleDo等で管理する」

というのは、「デートの時間」とかそれこそ「夜の営み」とかも時間を見積って、見積りどおりに終わらせるの?という非常に邪で、底意地の悪い疑問が生じてしまったのです(笑)ごめんなさい。

私の場合、就業時間中、つまりは「仕事のタスク」は佐々木さんには遠く及ばないないものの、GTDのワークフローに沿って、大きなトラブル無く、そこそこ順調に短期タスクも中長期タスクも処理できています。(この記事もたまたま職場でのINBOXがゼロになったので、空き時間で書いてます)

しかし自宅に帰ってきてからは全く別。帰宅後の30分こそ「家のタスク処理」として ー スーツと靴の手入れ、床をクイックルワイパーで拭く、洗濯物の取り込み、愛犬のトイレ掃除、DMの処理、レシートの整理、トイレ掃除など ー に充てていますが、それ以降、寝るまでは完全自由時間です。読書するも良し、妄想するも良し、DVDを観るも良し、家内との会話を楽しむのも良し、愛犬を散歩に連れて行くのも良し、ブログを書くのも良し等々。ルーティンなことは何もないし、何をやらなきゃいけないわけでもない時間なので、ざっくり「フリータイム」と呼んでいます。

このフリータイムにやることを細分化してタスク化して時間を見積り、管理するというのが今ひとつわからないのです。それは絵画に例えれば、余白を管理するってことでしょう?自宅でやることって(多少、仕事も)そんな何もかも全部管理するべきなのかなァ?という疑問があります。

きっと自宅で仕事をしている方やSOHOみたいなワークスタイル、ノマドワークスタイルの人は、徹底管理しておかないと公私のケジメがつかないのだろうと思いますが、会社という組織に属していると、余白の無い生活は、真綿で首を絞められているような気分になるだろうと思うのは私だけでしょうか?こんなことをいうと恐らく「その自由な時間を確保するためにタスク管理が必要なんだろ!それでみんな悪戦苦闘しているんだろ!」と言われると思うのですが、時間の捻出法ではなく、時間との向き合い方の問題とでも言えば良いのでしょうか。

その時に「やるべきこと」じゃなくて、その時に「やりたくなったこと」を好きなだけ自由にやっていい寝るまでの時間。管理する時間じゃなくて、自分自身の為の”枠だけある真っ白なキャンバスのような時間”を設けてあげるだけで、ゆったりゆっくり「その時やりたくなったこと」を安心して楽しめるし、リラックスできるし、自分らしく居られるんじゃないかなぁ?そういう時間が重要じゃないのかなぁと思うのですがいかがでしょうか?

蛇足ですが、私の出勤前の時間は完全にルーティンワークです。愛犬2匹の全力タックルを受けて目覚めてからは自然と身体が動いています。(犬ってスゴイですよ。1分と違わないんです。問題はそれが体内時計なのか腹時計なのかです(^^;))考えなくても体調が良ければ7時32分に玄関のドアを開けるところまではいけますので基本的に管理は不要だと思っています。

どうも上手く言語化できず、歯切れの悪い記事でスミマセンm(_ _)m

芸術の効用と、豊かな人生を送る秘訣

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9年ぶりに恩師を訪ねてきました。ものすごく緊張しましたが、いざお会いしてみると何も変わらず朗らかな笑顔で出迎えていただき、一気にホッとしました。

沢山のお話をさせていただきました。9年分の思いの丈をぶつけたと言っても良いかもしれません。でもそれらは前置き。先生はしばらく私の話に耳を傾けた後、「なるほど。今の君に必要なものを教えてあげないといけないねぇ」と言って、書斎から幾つかの書籍や絵画などを持ってこられました。

洋画家、南大路一に師事していた先生は南先生の直筆の絵画や何と唯一という南先生の木版画、南先生に影響を与えたパウル・クレーの小品やレゾネ、浮世絵、小村雪岱の木版画、居間に置いてある彫刻の数々を、中学校の授業と同じように、「これが裏話があってね・・・」と一品一品丁寧に、面白おかしくエピソードを話して下さいました。特に南先生の作品に関しては署名が入っていない若かりし頃のデッサンから最後の最後に描かれたものまで所有していらっしゃるので、さながら美術論の講義を受けているようでした。

「私見をまとめるとね、芸術というのはね、忙しい心からは決して生まれない。貧しい心からも生まれない。それでは人を『感動』させることはできないんだ。たとえば美しい花が目の前にあってそれに気づけるかどうか。貧しく凝り固まった心では気づけないだろう。よしんば気づいたとしてその美しさを相手に伝えることができるかどうか。美しいものを「私はこれをこう美しく感じましたよ」ということを感動を持って、熱をもって伝えられれば立派な芸術活動と言えるんじゃないかな。さて、今の君の心の有り様はどうだろう?すぐそこにある花に気づけるかな?気づけたとして伝えられるかな?」

「君は他の人にはないユニークなものを持っているのに、本当にもったいない。この寄せ木細工を「良い品ですね」と言えるだけの審美眼があるのに、そういう心があるのに、その心を十分に慈しんであげていないように思う。大変な事態、想像を絶するものを見てきたことは痛いほど良く分かった。ただ、そのことに、その心にかけてあげる”言葉”は残念ながら持ち合わせていない。でも芸術は言葉を超越することは知っているから、オリジナルの作品を見せたんだ。一つ一つ丁寧に見てご覧なさい。」

「オリジナルを、本物を、実物を見るというのはとても大切なことだよ。特に痛んだ心にはね。テレビ画面でミケランジェロを見ても、ベルニーニを見ても、レンブラントを見ても、ダ・ヴィンチを見ても、北斎を見ても、広重を見ても、儚いかな、全て一緒だ。感動は得られない。いくらハイビジョンになっても実物とモニター越しに見るものとはやっぱり何か違うんだ。実際に足を運んで、じっくりと本物を見る。そこでの経験や感動が心を癒し、強くし豊かにする。だからしばらくの間でも良いから興味を惹かれた美術展などがあったら足を運んでみなさい。もっともっと心を手入れしてあげなさい。」

そして、最後に3つ秘訣を教えていただきました。

1.結婚生活を長く保つ秘訣。
「ごめんなさいと素直に相手より先に謝る習慣を身につけること」

2.人生を豊かにするための秘訣。
「お金がない。時間がない。忙しい。面倒くさい。この4つを禁句とすること」

3.周りの人も豊かにする秘訣。
「自分の身近な人には必ず感謝を。忘れがちだけど、自分自身にも感謝を。」

勇気を出してお会いして良かったです。何より恩師の笑顔を見られたことが何より心を癒してくれた感じがします。まだまだ教わることは沢山あります。不肖の教え子ながら成長の報告も兼ねて、年に1回くらいは、ちゃんと会いに行くようにしようと思いました。

(※)リンゴの形をした寄せ木細工。聞くところによれば箱根の名工の作とのこと。どうも『日々の100』で紹介されている寄せ木細工職人さんの傑作のようです。「売り物じゃない」というのを強引に買ってきたそうです(笑)本当に素晴らしい、見事なものでした。

愛着品紹介007-伊豆の貝殻-

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人生で初めて、親族以外の人からもらったプレゼントというのを覚えていますか?もしくはいまだに持っていますか?

幸運なことに私の手元には、生まれて初めて女の子からもらったプレゼントがあります。

それが写真の『貝殻』です。

綺麗な小箱の蓋の裏には几帳面に母がこう書いてくれています。

S55.8.20 早川陽子ちゃんからプレゼント
-伊豆の海でひろう。初めて女の子からもらったプレゼント-

昭和55年の誕生日前なので、わずか4歳で女の子からプレゼントをもらったことになります。マセガキですね(笑)父の仕事の関係で引っ越しばかりしていたので、こう書いてくれていても、どこに住んでいた時のことなのかわかりませんし、プレゼントしてくれた早川陽子さんの顔も声も記憶にありません。

しかし、29年経った今も、貝殻はちゃんと貝殻の形のまま、貝殻が割れないようにと敷いてくれたティッシュペーパーも色染みはありますがそのまま、母の書いた鉛筆の文字もそのまま、私の手元に在ります。

幾度となく引っ越しをしているにも関わらず、不思議と無くさず、今も私の手元にあり、小箱の中にちょこんと入っているこの貝殻は私の宝物です。

たまにパカッと箱を開けてみて「どんな子だったんだろうなぁ?」とか「伊豆のどの海でどういう風にプレゼントされたんだろう?」とか、一人であれこれ空想(妄想?)してしまいます。そしてひとしきりそういう空想をした後は、何とも心がぽかぽかしてあったかい気持ちになれます。肩の力が抜けて、ホッとしたなぁと実感できるのです。

子どもの頃の持ち物が手元に残っている人は少ないかもしれませんが、もしランドセルや、上履きや、体操着。道草ついでに拾った石や葉っぱ、少し大きくなってからの交換日記、ラブレター等がもし手元にあれば、たまにで良いので触れてあげることをオススメします。ちょっと触れるだけで、心は過去へフッと旅に出ます。ひとしきりして今に戻ってきた時には、天気の良い日に干した布団を嗅いだときのような、ほんのりあたたかいパワーに満ちた心になっていると思います。

持ち物を大切に。持ち物が帯びている物語を大切に。自分だけのアンティークを持っているというのはとても贅沢で幸せなことだと思います。

『指導死』に思う、教師の仕事とは何か?

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恥ずかしながら、つい先ほどのNHKのニュースで『指導死』という言葉を初めて知りました。指導死とは聞き慣れない言葉ですが、これは教師の不適切な指導により生徒が突発的に自殺するということだそうです。

私は、中学の時に1回、高校の時に3回自殺を試みたことがあります。高校の時は病院に担ぎ込まれたこともあります。家庭環境はヒドイものでした。一時期は「完全自殺マニュアル」が愛読書でした。でもね、自殺という作業は本当に大変な作業です。リストカットでは相当に深くまで刃先を入れないと死ねません。首つりも上手くやらないと単に意識を失って終わりということになります。睡眠薬を多量に飲むというのも、尋常ではない量を飲まないといけませんから、入手から全部の飲む作業までの工程はとても大変です。飛び降りが唯一、手っ取り早い方法でしょうが、いざとなると勇気が出ないし、6階からでは死ねませんでした。そう、これらは全て私が取った方法です。

しかし、私は、学校で、警察で、指導は受けたことはあれど、「死導」を受けたことはありません。むしろ私は多くの教師に、大人たちに指導を受け、救われた人間です。報道された少年が一体指導室で何をされたのか、何が起こったのか、教師が沈黙している以上、知るよしもありませんが、もし教師の一言が少年の背中を押してしまったのであれば、「何を教えたんだよ!」と思わずにはいられません。

恩師や大勢の大人の人たちの影響もあり、一時期は真剣に教師になることを夢見ていました。大学時代、教育実習の現場で生徒に相対する前に、先のエントリーで書いた恩師の元を訪れ、質問したことがあります。「教師の仕事とは何ですか?」と。現場に出る前に心構えを知りたかったのです。恩師は即答しました。

「世の中の広さと深さを教えること」だと。

続けて、ボールペンを取り、私の目の前に差し出して、こうおっしゃいました。

「ボールペンでさえ、正面から見た時と、後ろから見たときでは形が違うだろう?自分の専門の教科で学問の深さを教えることも重要だが、色んな分野を広く知り、世界の広さを教えてあげることが何よりも重要だと思う。誤った方向に進んでいる者にはその逆の道の存在を教えてあげる。集中力が乏しいといわれる子は、実は色んなところに注意が向くスゴイ才能の持ち主なのかもしれない。古文が大好きな子だったら、西洋の古典を教えてあげて見聞を広めてあげるのも良いだろう。教師自らが常に多様な視点を持ち続け、世界は広く、思っているよりもずっとずっと多くの選択肢があるんだということを教えるのが教師の仕事だと私は思う。」

恩師の言葉が正しいのであれば、報道された教師は亡くなった少年に「死」というものをどう見せたのでしょう?その反対の「生」をどう教えたのでしょう?

「誰が善人で、誰が悪人か区別がつきづらくなったし、最近の不良は不良じゃないな。みんなどこか投げやりで可愛げがないんだよ」とは大変ご迷惑をおかけした少年課の刑事さんと5年前にお会いしたときの言葉です。家庭環境がどうであれ、教師は生徒を包み込み、多様な選択肢を教え、柔軟な発想を養い、その子が生き生きと「生きていられる」ように指導してあげて欲しいと切に思います。子どもを自殺に追い込む社会なんてやっぱりオカシイと思ってなりません。

愛着品紹介006-家宝、砧窯茶碗と恩師のこと-

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『恩師』と呼べる人は何人かいらっしゃいますが、私の人生で一番大きな影響を与えたのは中学1年の時の担任の先生です。中学の頃の記憶はもう朧気なものですが、この先生の一言一言は良く覚えています。私たちが先生の最後の教え子だったということも関係しているのかもしれません。私たちを1年間教えたら先生は定年退職されることになっていました。

一番最初の出会いはこうです。入学式が終わり、教室で緊張している私たちに向かい、身長180cmを超える背の高い先生が、教壇からにっこり微笑んでおっしゃったのは「小学生と中学生の違いはなんだと思う?」でした。皆戸惑っていると、笑って「電車の切符が大人料金になるんだよ。つまりもう君たちは大人だということだ」とおっしゃいました。大人への扉がギギっと開いたような気がしたのを良く覚えています。

先生の授業はいつも脱線の連続でした。不思議なことに脱線の内容の方が記憶に残るものです。事実、今思い出してもかなり際どい男女の関係について、怒りや暴力について、音楽や絵画、芸術の大切さについて、正しい行いとは何か。正しい事と悪事の境目はどこか。そして環境問題。あらゆる時代の先生の友人、教え子を例に取り、面白おかしく軽妙洒脱に本当に授業の時間が永遠に続けばいいとさえ思うくらいに楽しく教えて下さいました。理科の先生だったのですが事ある毎におっしゃっていたのは「理科は実用の学問である」でした。これは真実だと今になってようやく理解できるようになりました。しかし、とてもとても不思議なのですが、テスト前にノートを見ると、そこには教科書の内容が綺麗にまとめられているのです。あれだけ脱線して皆を笑わせておいて、どうしてノートができていたのかは今も謎です(笑)

テストも独特でした。「次の惑星直列が起こる日付を記せ」これが中1の1学期の期末テストの問題です。教科書に答えは書いていない、明らかに教育指導要領の枠組みを超えた問題です。さらに夏休みの宿題は「シダ植物を1ヶ月理科室に置いておいて世話しなくても育てられる仕組みを考えること。夏休み前にその仕組みを作り上げて理科室に設置すること」教職の単位を取る過程で(私は中学と高校の教員免許を一応持っています)シダ植物の教育が中学1年に盛り込まれているのは、性教育の側面があることを知りました。ですが、先生はそこから一歩踏み込んで、生命をどうしたら維持できるのか考えさせる問題としたのです。土、光、水、空気など、植物に必要なもの、生命を維持することの大変さ、命の尊さを学びました。そして先生の教師生活最後のテスト問題は「私の顔はどれでしょう?」と書いてあって音楽の先生、現代文の先生、数学の先生、体育の先生、校長先生らの顔写真がズラッと印刷してある中から、先生の顔を選んで丸を付けるという問題でした。テスト中に大笑いしたのはこれが最初で最後です。何たる粋で見事なフィナーレ!

一番私に影響を与えた一言は家庭訪問の時でした。当時1歳なるかならないかの弟がいたのですが、私の話はな〜んにもしないで、弟とばかり遊んでいるのです。母とは弟の育児について何やら話されていました。そして幾つか私の事に対する母からの質問に答えた後、先生はこうおっしゃいました「なぁ、kazumoto。君は将来嫁さんをもらいたいか?」「???ハイ。一応。」「じゃぁ、もっともっと勉強しないとダメだな」「何でですか?」「女性はね、良い遺伝子を持つ相手を伴侶に選ぶ。いいか男が選ぶんじゃない。女性が選ぶんだ。じゃぁ、良い遺伝子って何だ?見た目も重要かもしれない。腕力も一つの魅力だろう。でも、人間の最大の能力は『知力』だ。これが無ければ子孫を守り育てることができないからね。だからモテる為には、伸ばせる能力の中で一番有効な『知力』を伸ばすことが大切だ。つまり勉強することが重要なんだ。モテたいだろ?可愛い彼女が欲しいだろ?可愛い嫁さん欲しいだろ?だったらもっと勉強しなきゃダメだ」そう、私はモテたいが為に、この一言から勉強するようになったのです。なんと不謹慎なアドバイスだと思われるかもしれませんが、今思えば、反抗期で異性を意識し出すこの時期の子どもを勉強するようにさせるにはコレしかないと思えるアドバイスだと思います。この一言が、私の人生を変えた一言です。

先生が退職される時、私が生徒を代表して作文を朗読しました。もうその文章は記憶していませんし残ってもいませんが、当時の私は1ヶ月ほど、どういう言葉で恩師を送り出したら良いか、全力で考え、七転八倒して書き上げました。朗読が終わると、先生はマイクを通して全生徒に、「どうもありがとう」とおっしゃってから、私をぎゅっと抱きしめて「素晴らしい言葉たちだった。どんな境遇にあっても学び続けなさい。本を読み続けなさい」と耳元でおっしゃいました。思えば本を一生の友とするように導いていただいたのも先生でした。

卒業後も先生には節目節目で導いていただきました。

高校時代、先生に呼び出されたことがありました。後で知ったのですが、私のあまりの奇行・悪行ぶりに悩んだ母が、先生の言葉なら耳を貸すだろうとヘルプを求めたのだそうです。多摩川の川縁で、爆発しそうな思いを全て先生にぶつけ、先生には私の若く稚拙な思いに全力で応えていただきました。

大学時代には、論文を書くため、画集を借りに行き、芸術・音楽・美術と文学の関係性などについて語り合ったこともあります。理科の先生なのに、芸術に対して非常に造形の深い先生との話しは本当に知的好奇心を駆り立てる楽しいものでした。この時は「勉強しているじゃないか。前に会った時よりも大きく成長しているのが良く分かって安心した。」とおっしゃっていただきました。

最後に先生とお会いしたのは、家内と結婚する時。結婚前に挨拶・報告をしに行った時です。突然の訪問にも関わらず、最初にお会いしたのと全く変わらない朗らかな笑顔で「おめでとう。な、勉強はしておくモノだろ?良かったなぁ!」とおっしゃっていただきました。

先生から唯一をもらった「モノ」があります。先生が退職金で自宅に作られた窯で焼かれた『砧窯茶碗』という銘の茶椀です。我が家には家宝が2つありますが、その内の一つがこの茶椀です。平成9年のことです。いつもの笑顔で「形見分けだ」と笑って託してくださったこのお椀。このお椀は見る度に教師人生最後の1年を懸けて何を私たちに伝えたかったのか?卒業後、事ある毎に、先生はどういう思いで未熟な私に相対し、言葉をかけてくれたのか?いつでも胸を張って先生にお会いできるような生き方をしているか?と言ったことを無言で問いかけてきます。

私は非常に筆無精ですし、何よりとても先生にお会いできる生き方ができていないことから、結婚の報告後、全く連絡をしていません。が、昨晩、茶碗を見ていたら、何だか『会いに行け』と言われている気がしました。魂を込めて作られたモノには何かしらの力があると言います。「命に関わる問題が起こったら、起こらなくても、いつでもおいで」とおっしゃっていただいた先生。もう80歳を超えられていらっしゃいます。嫌な予感もしなかったわけではありませんが、勇気を振り絞って先ほどお電話をしたところ何ともお元気そうでした。来週お会いしてくる予定です。

報告すること相談すること話したいことが山ほどありますが、純粋にお元気な先生のお顔を拝見できるということにワクワク・ドキドキしています。私の人生の節目に必ず居合わせてくれた先生。最後の教え子が私のような不肖な者で本当に申し訳ないという気持ちの一方で、人と出会うという奇蹟の中でも、心の底から尊敬できる師に出会えたことは特別な奇蹟だと改めて思いました。さて、あと1週間、家宝の茶碗とにらめっこしながら、お会いして何を話そうか良く考えておくことにしようと思います。

愛着品紹介005ー時を柔らかくしてくれる砂時計ー

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GTDで提唱されているワークフローに「2分ルール」というものがあります。Inboxに入ってきたタスクが行動を起こすべきもので、且つ次に取るべき行動は1つであり、2分以内でできるものなら今やろうというルールです。

基本的に先延ばしをすることに奇妙な罪悪感を感じてしまう性格なので、入ってきたタスクの見極めをせず、「すぐ」取りかかっていたのですが、このルールを学んでからは、「これは何か?」という質問をする時間、段取りを考える時間を設けるようになってきました。

しかし、「これは何か?」を自問し、段取る時間についてGTDでは時間制限を特に設けていません。そのためヘタをすると延々と考えてしまい、「なんでこれは私がやらないといけないのかなぁ?」とか「これ意味のある作業なのかなぁ?」とか妙な方向に思考が行ってしまうことが間々あることに気がつきました。

これはマズイと思い「段取りは最大3分以内」という自分ルールを課して、タイマーを使ってみたのですが、タイマーのデジタル表示がピッピッと減っていくの様子に、すごく急かされている気がしてしまい、そっちがどうしても気になって、考えが上手くまとまらないという欠点があることがわかりました。

「DavidAllenさんはどうやっているのだろう?」と彼のオフィスを撮影した動画を繰り返し見ていて、彼のデスクに砂時計があることを発見しました。「これだ!」と思い、デスクに置いておいてもカッコ良くて、重厚なものではなく、見ていても焦らない愛らしいデザインの砂時計を探したところ、新宿のFrancfrancでこの砂時計を発見しました。計れる時間は丁度3分。カジュアルスタイリッシュをコンセプトとするFrancfrancらしく、この砂時計もスタイリッシュな仕掛けがあります。単に青い砂だけが入っているのではなく、ラメのような砂も入っているので落ちていく砂が時折キラキラと煌めき、見ていてとても綺麗なのです。

次から次へ押し潰さんばかりに降り注ぐタスク。まるでタスクが主人であるかのようです。それを管理する時間も、タイマーも、何というか”鋭利な時間”に感じます。しかし、この煌めく砂の落ちている間は違います。私が主人で、タスクを良く見て吟味する時間。謂わば”柔軟な時間”です。

時間に追い立てられているような気がしたとき、タイマーのカウントダウンが苦痛に思える時、是非、砂時計を使ってみて下さい。この古くからあるアナログな道具ひとつで、ぐっと時間が柔らかく感じられるようになると思います。落ちていく砂に見とれてしまう時があるのが玉に傷ですが(^^;)