完全記憶(トータル・リコール)の切実な必要性

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既にシゴタノ!で佐々木正悟さんが「「ライフログ」が変える心」を、倉下忠憲さんが「完全記憶(トータル・リコール)がもたらすもの」という文を寄稿されていますので、『ライフログのすすめ』という書籍があることをご存じの方は多いことでしょう。私も倉下さんが主宰する読書勉強会 in Evernoteにも投稿しました。

ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! (ハヤカワ新書juice)ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! (ハヤカワ新書juice)
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実は昨晩、義母が倒れて救急車で病院に搬送されるという事件がありました。原因は脳卒中とのこと。命に別状がないというのは不幸中の幸いでしたが、軽い後遺症のようなものが出る可能性は否定できないというのが心配です。

当然家族としては「何故そのような状態になったのか?」が一番気になるところです。しかし、医師としては血圧の上昇だとか、ストレスだとか、食生活が重要だとか、アバウトな答えに終始するばかりです。義父は共に暮らしていても、義母がどういう生活を送っているのかまるで知らない様子ですし、義兄は当然仕事があるので、義母の日常生活は知りません。つまり日中の義母の生活はブラックボックスなのです。そこで、脳裏を過ぎったのが上記の本『ライフログのすすめ』です。

本書を一読しただけでは、ワクワクするけど何に直結するかイマイチわからなかった「ライフログ」というものが、今回の事件で一気に「これは今すぐ必要な物」だと認識せざるを得ないものになりました。
そう、まさに義母の日常生活を記録したログがあれば私たちが取れる選択肢はもっと広がり、多角的な分析ができ、正確な予防法を見つけられたかもしれないのです。ログがあれば、医師にもっと深く原因を分析するよう交渉できたでしょうし、血圧のログがあれば、ここ1年のデータをすぐさま見て、いつ頃から血圧に変化が現れたのかも一目瞭然だったはずです。食事も毎日の食事の写真を見ていけば、具体的に何の摂り過ぎなのかも一発だったはずなのです。ストレスレベルのログ(血圧?動悸?脈拍?)があれば、医師と互角に折衝できたかもしれません。

著者は何度も「すでにライフログは実現可能」であることを強調しています。そして病気を抱えている身として、私もライフログには強い魅力を感じます。正確には、スグにでも使いたい。なぜなら私の場合、例えば「頭痛がする」とか「胃が痛む」とか、「精神的な落ち込みの波はどうか」などをメモするのはとても難しいからです。どうあがいても言語化し共有できないのです。「刺すように痛い」と言っても多分、人それぞれ想像する痛みのイメージ、痛みの強さは違うでしょうし、頭痛や気分を言語化することなんて本当に難しいことです。

見聞きしたこと、位置情報、身体の状態、心理状態等など、自分の行動の全て、自分が体験したことの全て、人生のありとあらゆることを「自動的に」記録し保管し、それらを簡単に検索して取り出すことができる世界が目の前に来ているというのは、義母の例と、私の例を考えれば、病気を患ったときいかに重要かは想像できるでしょうし、そういうシーンでこそ、収集したログも、最大限に力を発揮する場面の一つと言って良いでしょう。
もっと進化して、それこそ、iPhoneに「痛み」が記録されて、医師の端末に接続すると、医師もその痛みを味わえるようになれれば良いのに!と思います。たまにいるじゃないですか?「ハイ、ちょっと痛いけど、我慢してくださいね〜」ってかるーく言って、マジで激怒するくらい痛いことする医者が。どれだけ痛いか体験させてやりたくなるじゃないですか(笑)

それはさておき、現時点で取れるライフログは残念ながらまだまだ断片的なものにならざるを得ません。それでも何かしらログを取っておく方が良いでしょうし、ログを取る生活に慣れておいた方が良いと思います。例えば、私がやっているのは気分が沈んだと思ったらEvernoteに、「●●をしている最中に気分が落ちてきた気がする」とか「●●のことを考えたら嫌な気分になった」とボイスメモを残していくことをしています。Twitterに起床・就寝時間をつぶやくのも立派なライフログでしょうし、お子さんがいらっしゃる方でしたら、毎日何時に何を食べたのか、写真を撮っていけば、将来もの凄く意味のある記録となるでしょう。ついでに予防接種のログもその写真に追記しておけば後で追えるでしょうから、これも立派なライフログでしょう。

読書勉強会 in Evernoteに、私はこう書きました。

(前略)「自分」の記録の何たる少なさ!自分の記憶力があまりにも悪いのだろうと常々思うのだが、皆さんは小学生の時の担任の先生の名前は全部言えるだろうか?クラスメートは全員覚えているだろうか?中学校の時の自分の所属したクラスが、1年何組だったか、3年分言えるだろうか?高校の時は?高校の時の数学の先生はどんな人だったか記憶にあるだろうか?ちなみに私はこれらのこと「全て」が記憶にない。自分が所属したはずの小・中・高のクラス名も知らない。クラスメートも仲の良かった数人以外は知らない。知っている人の数は両手で足りてしまうくらい少数。先生の記憶なんて3人だけしか知らない。さらに病歴。昔アトピーがあったかとか、おたふく風邪を小さいときに患ったかなど、医者に聞かれても、全く知らない。「両親に聞けば?」と言われても両親の電話番号すら知らないので、確認のしようがないという有様。(後略)

つまり、自分の過去もブラックボックスである私にとっては、今回のことはライフログを収集する意義をハッキリ感じさせましたし、今あるツールを使ってできる限りのログを残しておくことは、将来の自分へのプレゼントになる可能性もあると思いました。きっと将来何らかの困難にぶち当たった自分が「このログを取っておいてくれた過去の自分に感謝するよ」と思う時代が来るのだろうと思います。

蛇足:今ログを溜めておく一番良いツールはEvernoteだと私は確信していますが、『ライフログのすすめ』に取り上げられている「reQall」というサービスは既にEvernoteと連携するようですし、日本に進出してくれれば、更なる可能性を感じさせてくれるツールだと思います。さらには「痛み」のログを残す上手い方法を作り出せればBig Businessになること請け合いですね。何か良い方法ないかなぁww

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