我流マインドハック-鬱という足枷を断ち切る最後のひと振り-

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先般、プチマインドハック!落ち込んだ時には"バネ思考"!という記事を書きました。記事のコメント欄でShinyaさんより、「ドッカーンと上がったあと、そのままドーンと疲れるケースがあるからお互い気をつけましょうね」という暖かいコメントをいただだきました。ありがとうございます。そこで今回は、2回目の復職から1年4ヶ月が経ち、若干不安定ながらも、今もちゃんと働き続けられている間に見つけた、どっかーんと上がった後、どーんと落ちない為のマインドハックを扱います。

私は医師ではありませんし、学術的な裏付けはありません。ご注意ください!

とはいっても、非常に単純な話しなんですが・・・どっかーんと上がった後は「病気のことを考えない」これだけです。
いやいや、気が触れたわけではありません。本気で言っています。

この病気のタチの悪さはずーっとこのブログで書き続けている通りです。しかし「病 は気から」という有名な言葉がありますよね。この言葉は本当か?と疑ったことはありませんか?今なら実験できると思ったので、「実際に病気だと診断されている」状態でも、気持ちでは病気ではないと反抗し続けていたら良くなるのか?という実験を私の視点からのメモ、家内にもメモをお願いし、どう推移するのか観察していました。あくまで個人的な視点(+家内の多少客観的な視点)に基づきますが、お互いのメモを付け合わせると「病は気から」はどうやらそれなりに本当のようです。気分の浮き沈みが私のメモと家内のメモが一致したこと、その日何が起こったかを振り返ると、良いことがあった日は概ね上々。キツイ仕事があっても病気と思わなければ踏ん張れる。駄目なときは殆どが「病気だから」と一回でも思ってしまった日でした。つまり「私は鬱病だ」と思わなければ、意外に何とか踏みとどまれるのです!

では、なぜ気分が普通の人の水準まで上がった後、そこから落ちてしまうことがあるのか?2回目の休職前の日記を見ていて、ひとつの傾向に気づきました。どうやら、仕事を任された時、面識のない人に会わなければならないとき等々、「鬱病であることを避ける口実に使っている」傾向があるようなのです。つまり「仕事を任されるのは嬉しい、”でも”自分は鬱病だから・・・」とか「会わなきゃいけないのはわかる”けど”、鬱病だから・・・」と考えている節があるのです。

ですから、どっかーんと上がった後、もう「鬱だ」とは考えず、多少具合が悪い程度だったら"風邪だと決めつける"、お腹が痛ければ"市販の胃薬で治る"と信じる、頭痛が酷ければ"バファリンで治る"と信じるetc・・・、鬱を水戸黄門の印籠のように使えないようにするというのが私が見つけ出した再度墜落しないための我流Hackです。

普通の人だってお腹が痛かったり、頭痛がしたり、少し熱っぽかったりくらいはあって当然。それなのに「鬱」という印籠を持ち出すことで、過剰な理由付けを行い、自分に不利な状況を回避する”逃げ口上”に使ってしまうことが続くと、本当に墜落して、また鬱になるのではないかと私は考えています。

どっかーんと上がったら、今まで無理だった「楽天的に考える」ことが多少はできるはずです。多少の体調不良、多少の困難、不安なのは痛いほど良く分かりますが、「鬱」を持ち出すのは止めてみることを提案します。「ちょっと頭痛いけど、痛み止め飲んだから大丈夫!今の俺(私)ならできる!」「復帰早々難しい仕事だけど・・・今の俺(私)ならできる!」と根拠はなくても良いからポジティブに考えるクセを付けちゃいましょう。いつもはポジティブシンキングに懐疑的な立場の私ですが、再度鬱に落ちない為に使えると思うので、今回ばかりはポジティブシンキングを支持します!いっそのこと極端に「今は動けるんだから、いっちょ俺の(私の)スゴサを見せつけてやろうじゃないか!」くらいの考え方でも良いのかもしれません。

実際に行うとなると、シンドイことは百も承知ですが、鬱病という足枷を断ち切る斧の最後のひと振りは、こうした「根拠がないくらいポジティブな考え方」、「その考え方を持ち続ける習慣」なのかもしれないと私は思っています。まだ私も闘病中です。寛解には至っていません。気持ちの上下もまだまだあります。特にクスリが切れると覿面です。しかし、少なくとも仕事に「鬱」を持ち込むのは止めるように心がけ、足枷を断ち切る最後のひと振りの時の為に、斧の刃を研いでいるんだと思うようにしています!!

2 コメント:

claclapon さんのコメント...

いつも楽しく読ませていただいています。
うつがよくなったらこういう考え方ができるんですね。
希望が持てます。

これってどっかーんと良くなった人には有効なんでしょうね。
自分でそう思うのと、人からそう指摘される(「うつなんて気のせいだから元気出せよ!」など)のは違うのではないかなあと思いました。

治っていく過程でうつと上手くつきあっていく気持ちができあがっていくからこそ、
こういう考え方ができるようになるんでしょう。
うつ真っ最中だとこんなことは考えられません。
まだまだどーんと落ちまくりなので、前向きにがんばります。

Shinya さんのコメント...

しばらくネット制限をかけていたので、拝見するのが今日になりました。このような素晴らしいブログで、私のようなもののコメントを取り上げて、非常に為になる記事を書いていただきありがとうございます。
私もKazumotoさんのお考えに同感です。厳しいですが、「自分は病気だから」という言い訳は、なかなか競争社会では受け入れてもらえません。また、「自分は何でこんな病気になったんだろう。」とか、「こんな病気になって、なんてダメなんだ。」なんて思うのも、ますます墜ちて行きます。この病気と正面から向き合い、受け入れ、そして適度な距離感を置きながら付き合っていく。人付き合いと同じですね。体調は不安定でも、能力は衰えて無いし、人間としての価値も下がる訳ではない。
有名なSteve JobsのStanford Univ.でのスピーチで、「過去の経験はそれぞれがバラバラの点であっても、将来それが何らかの形で必ず繋がっていく事を信じなければならない。」とありますよね。鬱になったことも一つの点であり、誰もが経験する事でないという点で、自分の強みとして将来に繋げて行きたいと思っています。
これからも楽しく拝見させていただきます。