両親に感謝していることは何?と問われたら、私はこう答えます。「子供の時分にとても良いお店に連れて行ってもらえたことです。」と。
デパートのレストランとかではありません。ホテルの最上階にあるお店だったり、赤坂や神楽坂の裏道をちょいと入ったところにある料亭だったり、市ヶ谷あたりの裏道に慎ましやかにある小料理屋さんだったり、カウンターにネタが並んでいない料金表もないお寿司屋さんといった、所謂一流のお店です。
子供であってもちゃんとジャケットを羽織り、革紐靴を履き、よそ行きの格好でお店に行くというのがとても好きでした。またそういった一流のお店は子供だからといってサービスの質や品を落とすようなことは絶対にせず、一人前の大人の男として扱ってもらえるので毎回、何とも誇らしい気持ちになったことを覚えています。
私は特に小料理屋さんや、料亭が好きで、なかでもお店を失礼する時のやり取りが大好きでした。上がり框に腰を下ろし、革の紐靴に足を入れようとすると、女将さんや女中さん、下足番の方が絶妙なタイミングで「どうぞ」と靴べらを渡してくれるのです。歴史のあるお店の靴べらは決まって長くてガッシリしていて、黒光りした木製で、とても滑らかにスルっと靴に足を納めてくれます。長年使い込まれた靴べらのもたらす、この官能的と言っても良い感触は筆舌に尽くしがたいと今でも私は思っています。
そんな経験があったので、「自分の家の玄関には素敵な靴べらを置きたい」と密かに決めていました。現在の住まいを購入した際、家内にその旨を話すと、「どうせなら絵になる靴べらを探しましょう」と言ってくれ、靴べら探しが始まりました。
方々を探し回った結果、茗荷谷にある木工屋さんでこの靴べらと出会いました。ひとりの職人さんの手作りであり、台座の球が愛らしく見た目に美しいこと、持ち手部分の作りも最小限で美しく艶めいていること、何より靴べらとしての滑らかな使い心地。使っている木は何ですか?と聞いたところ「桜」だと言います。毎朝・毎晩、自宅の玄関で見送ってくれ、お帰りと言ってくれるものが「桜」というのは、とっても贅沢なことに思えて即決しました。
以来、あくまでも控えめにいつもそこに居てくれて、特に帰宅した際は、毎回「ああ、いい景色だな」と日々の生活の中で一服の安らぎを味わわせてくれる、殺風景な我が家の玄関の"華”として毎日活躍してくれています。写真の通り、ウチの愛犬も結構好きみたいです(笑)
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