恥ずかしながら、つい先ほどのNHKのニュースで『指導死』という言葉を初めて知りました。指導死とは聞き慣れない言葉ですが、これは教師の不適切な指導により生徒が突発的に自殺するということだそうです。
私は、中学の時に1回、高校の時に3回自殺を試みたことがあります。高校の時は病院に担ぎ込まれたこともあります。家庭環境はヒドイものでした。一時期は「完全自殺マニュアル」が愛読書でした。でもね、自殺という作業は本当に大変な作業です。リストカットでは相当に深くまで刃先を入れないと死ねません。首つりも上手くやらないと単に意識を失って終わりということになります。睡眠薬を多量に飲むというのも、尋常ではない量を飲まないといけませんから、入手から全部の飲む作業までの工程はとても大変です。飛び降りが唯一、手っ取り早い方法でしょうが、いざとなると勇気が出ないし、6階からでは死ねませんでした。そう、これらは全て私が取った方法です。
しかし、私は、学校で、警察で、指導は受けたことはあれど、「死導」を受けたことはありません。むしろ私は多くの教師に、大人たちに指導を受け、救われた人間です。報道された少年が一体指導室で何をされたのか、何が起こったのか、教師が沈黙している以上、知るよしもありませんが、もし教師の一言が少年の背中を押してしまったのであれば、「何を教えたんだよ!」と思わずにはいられません。
恩師や大勢の大人の人たちの影響もあり、一時期は真剣に教師になることを夢見ていました。大学時代、教育実習の現場で生徒に相対する前に、先のエントリーで書いた恩師の元を訪れ、質問したことがあります。「教師の仕事とは何ですか?」と。現場に出る前に心構えを知りたかったのです。恩師は即答しました。
「世の中の広さと深さを教えること」だと。
続けて、ボールペンを取り、私の目の前に差し出して、こうおっしゃいました。
「ボールペンでさえ、正面から見た時と、後ろから見たときでは形が違うだろう?自分の専門の教科で学問の深さを教えることも重要だが、色んな分野を広く知り、世界の広さを教えてあげることが何よりも重要だと思う。誤った方向に進んでいる者にはその逆の道の存在を教えてあげる。集中力が乏しいといわれる子は、実は色んなところに注意が向くスゴイ才能の持ち主なのかもしれない。古文が大好きな子だったら、西洋の古典を教えてあげて見聞を広めてあげるのも良いだろう。教師自らが常に多様な視点を持ち続け、世界は広く、思っているよりもずっとずっと多くの選択肢があるんだということを教えるのが教師の仕事だと私は思う。」
恩師の言葉が正しいのであれば、報道された教師は亡くなった少年に「死」というものをどう見せたのでしょう?その反対の「生」をどう教えたのでしょう?
「誰が善人で、誰が悪人か区別がつきづらくなったし、最近の不良は不良じゃないな。みんなどこか投げやりで可愛げがないんだよ」とは大変ご迷惑をおかけした少年課の刑事さんと5年前にお会いしたときの言葉です。家庭環境がどうであれ、教師は生徒を包み込み、多様な選択肢を教え、柔軟な発想を養い、その子が生き生きと「生きていられる」ように指導してあげて欲しいと切に思います。子どもを自殺に追い込む社会なんてやっぱりオカシイと思ってなりません。
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