「ふるさとを探す旅」がリストに追加されました。

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兎追ひし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷

如何にいます 父母
恙なしや 友がき
雨に風に つけても
思ひ出づる 故郷

志を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷

誰もが一度は歌ったであろう童謡「ふるさと」です。この歌を聞くと、きっとそれぞれの故郷の光景や家族に思いをめぐらせ共感できるからこそ、時代を超え、今なお歌われ続けているのでしょう。

私は、毎年帰省ラッシュのニュースをTVで見ると、何とも言えない感情に襲われます。それは私の心にはポッカリと穴が空いていることを直視せざるを得ないものです。父親の仕事の関係で、引っ越しばかりしていたので、私には「ふるさと」と言える場所がないのです。

「ご出身はどちらですか?」とか「実家はどちらですか?」という良くある質問ですが、私にとっては返答に窮する非常に難しい質問です。出生地ということであれば大阪府豊中市になるのですが、出身地となると・・・どこと答えれば良いのかわかりません。実家にいたっては、父母の住所も電話番号も知りません。息災か否かすら不明です。

この歌の情感、この歌の景色が私にはイメージできないのです。故郷が無いということは、身軽で良い反面、拠り所がない、糸の切れた凧のような気持ちにもなります。嬉々として帰省する実家のこと、故郷のことを語る同僚がとても羨ましく感じます。

だから、私のSomeday/Maybeリストに【「ふるさと」を見つけ出す】という項目があったのですが、今日、家内とこの項目について話していたら、
『いつか二人でキャンピングカーに乗って、日本中を回り、私たちにとっての「ふるさと」を見つけよう!』
と私の心の穴を塞ぐ方法はとても楽し気な計画に姿を変えて、何だかラクになりました。

故郷のある方も、故郷の無い方も、来年がより良い年になりますように!!
来年も宜しくお願いいたしますm(_ _)m

あなたのマナーは大丈夫?-書評-『平林都の接遇道』

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「あなたは人に対して、相手に届く礼を尽くせているか」これがこの本の主題です。本になるきっかけになったらしい、フジテレビ「エチカの鏡」で著者の特集を組んだときのDVDを家内が借りてきてくれたので見たのですが、確かに教え方はとっても厳しい。ちょっと引くぐらいの厳しさです。しかし、著者の厳しさは理由もなく高圧的に言っているのではなく、心底理解して欲しいからあえて言っているんだなぁと思えるものでした。

私も新卒で入った会社では、マナー研修を受け、外部のマナー研修にも数回参加したことがありますが、この本を読むとただただ恥じ入るばかりです。その頃の研修資料を見直してみたのですが、まぁ、できていないことできていないこと。

さすがに社会人生活も長いですから、最低限の部分はできているだろうと思っていましたが、本書で解説されている、「ちゃんとした礼」ができていないことは、ちょっとしたショックでした。私の会釈は会釈じゃないし、私の礼は礼ではありませんでした。ただ頭を下げれば良いものではないと頭では分かっていても身体が分かっていないということを痛感させられました。

辞書を引くと接遇とは「もてなし・接待・あしらい」とありますが、著者はもっと重い意味合いのある言葉だと言います。曰く、「仕事場はあなたの舞台」なのだから、「清掃と身だしなみ」を徹底し、「礼と挨拶と言葉遣い」に神経を配り、「自ら行動すること」でその言葉を裏付け、お客様に「残る満足」を与えなければならない。なぜなら「企業は「できない人」で評価され」てしまうのだから。接遇ができているかいないかで、企業の評価も自らの評価も大きく違ってしまうのだと。

道徳や礼節、躾というものは、誰もが家庭で学校で教わったものだと思いますが、本来はここまで徹底しないと身につかないものなのだと再認識させられます。

病気のせいなのか、それまで比較的得意だった人と相対することが今では大の苦手になってしまいましたが、交渉上手の営業マンの様なトークやカッコよいプレゼンはできずとも、身だしなみや仕草、挨拶、言葉遣いに気をつけることによって、少なくとも「アイツはちゃんとしたヤツだ」と思ってもらえるようにはできるかもしれないと、少し勇気をもらえました。

さらっと読める本ですが、日頃の自分の振るまいを念頭に置いて読むと、意外と多くの気づきが得られる一冊だと思います。

My GTD System!-RTM×Moleskin×iPhone-

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GTDをどうすればより良く運用できるかと試行錯誤して早数ヶ月。タスク管理にはRemember The Milk(以下RTM)を使うコトに決め、有料会員になりました。私の場合、どうやってGTDを機能させているのかご参考になればこれ幸い。

<相棒の道具たち>
・モレスキン手帳+ペン
・iPhone
 主力アプリ
 「.Sched」
 「RTM」
 「Evernote」
 「Dropbox」
・Googleカレンダー
・RTM
・クリップボードに留めたA4裏紙

<INBOX>
とにかくGTDの肝は「安心して忘れられるツールを決めること」だと思います。色々調べた結果、RTMが一番使い勝手が良さそうだし信頼できるツールだと思ったので、RTMの受信箱にドンドン追加していきます。この時点ではカレンダー・ToDoリスト・プロジェクトリスト・Someday/maybeリストといったことは気にせずとにかくぶち込みます。

★INBOXの整理は日次レビュー(後述)で行います。

<物理上のINBOX>
会社のデスクには3段トレーを置いているので、上段をINBOX、中段をWait、下段をリファレンスとして活用してます。
自宅には2段トレーを置いていて、上段をINBOX、中段をWaitとしています。
自宅でも会社でも紙や雑誌などの媒体は基本的にサッと読んでして、重要なところだけSCANした上で廃棄していますので、ココが溢れるようなことはまずありません。

<E-Mailの受信箱の処理>
会社のWindowsPCではジャストシステムのShurikenを使っています。これは迷惑メール排除機能がやたらめったら優秀だから。受信箱に届いたメールは1時間に1回くらいの割合で確認して、その場で対応してしまいます。よくメーラーの受信箱がいっぱいという文章を読みますが、何故か、私のE-Mail受信箱が未処理メールで溜まるということは発生しません。1日60〜70通くらいは届くんですけどねぇ・・・今度良く分析してみます。

<プライベートか仕事なのか>
INBOXに入ったタスクはプライベートなのか、仕事なのかを明確にするため、RTMのリスト機能を使います。リストの先頭にプライベートなら「pv(Privateの略)」、仕事なら「work」とつけるようにします。
例えば、プライベートで毎日するタスクだったらリスト名は「pv_daily」ですし、仕事で繰り返し行うようなタスクだったら「work_routine」に入れてリマインダ設定をしておくという感じです。(仕事のルーティンワークはGoogleカレンダーにもリマインダ設定してます。)

<カレンダー(アポ)>
営業では無いので、外出予定などはほぼ無いのですが、たまに来客があったりします。ですので、INBOXにあるものがアポイントならば、Googleカレンダーとモレスキン手帳と2カ所に書き込みます。完全に2度手間ですが、iPhoneが使えない時のための保険なのでこれは仕方なし・・・。

尚、iPhoneのスケジュールアプリは「.Sched」を常用しています。このアプリとても優秀で、縦のときは月間表示、横にすると週間バーチカル表示!になるという優れもの。もちろんGoogleカレンダーとのSyncもバッチリ!操作性も安定性もなかなか好調です!個人的にはオススメ!詳しくはコチラをご参照ください。

<〆切りのあるタスク>
〆切りが明確に決まっているタスク(Project化するまでも無い程度だったり、手慣れたものだったり)は〆切りをやはりGoogleカレンダー(リマインダ設定必須)と、モレスキン手帳に記入。さすがに〆切りを忘れるのは何としてでも避けたいですからね。

<すぐタスク>☆ココが特殊!
私の仕事は"すぐ"アクションを起こす必要があるタスクが大半を占めます。タスクが投げられたら即時、打ち返さねばなりません。完全にタスク管理術の掟破りですが、とにかく速度最優先なので、要点を手元のA4裏紙にメモする程度で、とにかくスタート!他のものは一旦ペンディングとします。概ね20分〜30分強程度のタスクが最近は多いですね。この要点を記したA4裏紙は後述の日時レビューの時に使用して、廃棄します。

<日次レビュー(職場)>☆ココも特殊!
日次レビューというのはこの「すぐタスク」を管理するためにやっているといっても良いものです。仕事終わりに業務日報を必ず書くので(私は1日の仕事終わりのタスクを日報作成としていて、絶対に当日に出すことをポリシーとしています)この時を利用し、Googleカレンダーに先ほど使ったA4裏紙に書いた「すぐタスク」を入力し、どういうタスクにどの程度時間を取られたのか確認しておきます。これは同じようなことが投げられた時、確実に打ち返せる構えを取るためですし、自分がどれだけのタスクを一日でこなせるのか見積もれるようになるのに効果的です。と同時にINBOXの振り分け作業、プロジェクトの見直しも行い、明日やるべきことの確認をしてスッキリ退社するようにしています。

<Project>
問題はココです。複数のアクションを求められるProjectの管理が確立していないが故に、「すぐタスク」にかまけて、Project管理が疎かになる傾向がありました。ここからがRTMの本領発揮!

まず、RTMのリスト機能を使ってリストをProjectの分だけ作成します。そして『Projectのゴール地点を見失わないように』ちょっとした設定をします。例えば「Aという規格を来年10月に取得する」というProjectがあった場合、ゴール地点は当然「規格取得」ですから、RTMのリストの直下に「000_ゴール!2010年10月に規格の取得」と記入します。最初に「000」を入れるのはそうしておくと、常に最初にゴールが表示されるからです。これでゴールを見失って迷走することは避けられます。

こんなイメージです。

[work_規格取得]
 「000_ゴール!2010年10月に規格の取得」
 「企画書マニュアルを買う」
 「凡そ必要な文書量を算出」
    他

[pv_家内の実家に行く]
 「000_ゴール!100102実家に行って新年の挨拶」
 「手土産を買う」
 「手土産を何にするか相談する」
    他
 
後は、そのゴールに必要そうなことをタスクとしてドンドン追加していきます。順序はこの時点ではひとまず無視です。

GTDのちょっとした落とし穴だと思うのですが、週次レビューの際、NextActionだけを見直すので、全体が見えなくなることがあるように思うのです。その為、とにかくこのリストを見れば、ゴールは必ず目に入るようにしました。週次レビューの際にも全体を俯瞰して、足りない部分があれば補足していけるので、抜けの防止にもなります。

<関所タスク>
順序無視でProjectに加えたタスクですが、「この稟議が通らないと次の行動は起こせない」という要所にあたるタスクが存在します。こういうタスクを私は『関所タスク』と呼んでます。プロジェクトに必要なものを(とりあえず)全部書き出した後に、ザックリと工程を考えます。関所に当たる部分には"タグ"を使い、『関所』というタグを振り、その順序を頭に001,002,003と振って、今、全体のどのあたりに居るのかをわかるようにしておきます。

[pv_家内の実家に行く]
 「000_100102実家に行って新年の挨拶」
 「001_手土産を何にするか相談する」"関所"
 「手土産を買う」
   他

<NextAction>
次にプロジェクトの直下にあるタスク群から、どうやってNextActionを決めるのか?これはそのリストの中で今取りかかれることを見つければ解決です。先のケースで言えば「規格取得のマニュアルを買う」が当たりますね。ここでも”タグ”を使います。私の場合『次はコレ』というタグを作って、取りかかれることに『次はコレ』タグを付けてやっつけていくように管理しています。コレは明瞭です。見落としようがないですから(笑)

[work_規格取得]
 「000_ゴール!2010年10月に規格の取得」
 「企画書マニュアルを買う」"次はコレ"
 「凡そ必要な文書量を算出」
    他

<連絡待ち>
ボールが相手にあり、その返事待ちのものには『wait』タグをつけて、相手に振った日付をタスク名の最後にYY/MM/DDの形式で書き込んでおきます。週次レビューの際に見直して、ちょっと時間がかかりすぎているようなものは、催促のタスクを加えます。

[pv_家内の実家に行く]
 「000_100102実家に行って新年の挨拶」
 「手土産を買う」
 「手土産を何にするか相談する」(←これは済んだものとして下さい)
 「家内のチョイス待ち_091224」"wait"
    他

<コンテクスト>
「今、ここでできること」のリストがコンテクストですが、コンテクストという言葉がイマイチわかりづらい。私は「場所で全てのタスクを串刺し検索したもの」と理解しています(合ってる?)とすると私の場合基本的に3カ所しかありません。

『@home』『@work』『@buy_or_wants』これだけです。家でやることなのか、職場でやることなのか、買い物かです。実際は『buy_or_wants』もリスト化してしまっているので・・・コンテクストという串刺しリストはあまり使っていません。

とは言え、今後必要になった時のために用意はしています。後々@青山とか@中目黒とかを用意する必要があるかもしれないので。

このコンテクスト管理には、RTMの「場所」機能を使うことにしました。家と職場、あとは一番出やすい池袋の3箇所を登録。タスクリストに「場所タグ」を振ってあげておけば、ソートできますので、コンテクストの役目を果たします。池袋は買い物リストになるわけです(笑)

現在のタスクから一部を書くと・・・

・年賀状を出した人のリストを作っておく@home [自宅]
・協力会社にお礼メールを送る@work [職場]
・ブーツを買う@buy_or_wants [池袋]
・台所の蛍光灯を買う@buy_or_wants [池袋]←実際は近所の量販店

という感じです。

買い物は何も池袋とは限りませんが、自宅の近所で買うものも、都心に出ないと買えないものも広義には買い物ですから、一緒くたにしてます。この辺は今のところかなりアバウトに管理しています。

<Someday/Maybeリスト>
これはそのものずばり『Someday/Maybe』というリストを作り、そこにガンガン書き込んでいきます。「マチュピチュに行く」とかね。気が滅入るという人もいるようですが、私は殆ど行ってみたい場所だったり、見てみたい絵画だったり彫刻だったり、やってみたい冒険など欲望ばっかりのリストなので、これ見るのは楽しみだったりします。まぁ、何一つ当分の間、前進できないリストなんですけど、妄想を楽しめるわけです。週次レビューが好きなのはそのおかげかもしれません。

<資料>
業務に必要な資料は最低限。紙資料はSCANしてドンドン破棄するようにしているので、PDFをDropboxに突っ込んでおけば完了。一応プロジェクトごとにフォルダ分けはしています。

凡そこんな感じです。基本はリスト機能でプロジェクトを管理するという非常にオーソドックスなものです。「家と仕事」の2分割を基本として、「buy_or_wants」「ブログネタリスト」それに「work_スキマ時間」「pv_行きたい場所」があるくらいです。この程度なのですよ。私の活動って(-_-)

しかし、これで今のところ充分。会社の自席ではWindowsPCで、会社の検査作業フロアではモレスキン(腰にはiPhone)、出先ではiPhoneで、自宅ではMacでと、どこでもタスクの確認、入力、進捗の確認はできますし、公私に渡ってiPhoneが大活躍な体制を構築しています。

モレスキンの出番がちょっと少ないのでは?と感じるかもしれませんが、カレンダー部分にはアポイントと〆切りの管理が書いてありますし、他はユビキタス・キャプチャーやブログネタを書き留める為に使うので、実は縁の下の力持ちとして、こっそり活躍してくれています。最近はユビキタス・キャプチャーももっぱらiPhoneのEvernoteアプリを使って最近はボイスメモとしてぶち込んでいますが、やっぱりメモするしか方法がないというシーンもあります。何よりモレスキン大好きですしね!

まだそれほどこの仕組みをそれほど使い込んでいるわけではないので、かなり大雑把だとは思います。しかしよ~く考えてみた結果なのですが、管理してやるべきこと、管理してやらねばならないことは、決して多くは無いんじゃないかと思うのです。実際、日次レビューをしていても、リストに入力する前に身体が動いているタスクの多さに唖然とすることもあるくらいです。そういう意味では、『GTD』+『PEP』(『なぜか、「仕事がうまくいく人」の習慣 』)の合わせ技と言えるかもしれません。

何はともあれ、こういう仕組みで少しづつ「安心して忘れられる仕組み」を構築していくことで脳をフリーにし、能動的にこのブログのタイトルでもある「私の人生の意味」を見つけるよう、創造できるようになればいいなぁと2010年も楽しんで試行錯誤しながら取り組んでいく予定です(^^)/

スキマ時間をゲームにするHack!...なのか?

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先般よりごにょごにょ綴っている空き時間についてですが、「別に何も決めなくてのんびりしてても良いのでは?」という基本スタンスではあるものの、空いている時間を無為に過ごすというのはなかなかどうして難しいものです。何かしないと気が落ち着かない性分とでも言うのでしょうか。

かと言って、プライベートのスキマ時間に”やるべきことを決める”というのは、どうしても腑に落ちないので、ここはゲーム感覚を持ち込んでみようと考え、1ヶ月ほど前から実践中で、コレが意外に面白いのでご紹介。

やり方は簡単そのもの。「5分箱」なる箱を用意して、週次レビューのときに出てきた、細かい作業。期日も決まっていないけど、少しアクションを起こしたほうが良さそうなものをロディアに書き込み、”裏返し”に入れておくだけ。

ポカッと空いた時間に、「何が出るかな~何が出るかな~♪」という感じで、目を閉じて箱の中から無作為に一つ取り出し、それを実行するというバカみたいなゲームにしたわけです。

しかし、これだけでは、紙片が溜まっていくと、「こんなにあるのか~(-_-)」ということになりかねないので、Someday/Maybeリストの中から野望に近いことだったり、絶対5分でできないだろ!というものをハズレくじとして混ぜておきます。ココがミソ!
例えば、私のハズレくじは
「マチュピチュへ行く(オイ!5分でいけるか!)」
「ガルガンチュア物語を精読(2行で終わるぞ!)」
「モアイを作る(出来るもんならやってみろ!)」
「鼻でスパゲッティーを食べる(のび太か!)」
とかそんなのを入れてます。もちろんそのメモにはツッコミコメントも書いておくことをお忘れなく(笑)

今日の空き時間に引いたくじは写真の通り、「Moonwalkの練習」だったので、MJのDVDを見つつ、練習してました。私は大真面目にやっているんですけど、家内は大爆笑。うむ。不思議だ。こんな身近に素敵なMoonwalkerがいるのに笑うとは何事だ!ということはさておき、こんなちょっとしたことでも、楽しくちょっと贅沢にスキマ時間を使えると思います・・・たぶんね!

雑感ー「受難の世代」と呼ばれるか「礎を築いた世代」と呼ばれるかー

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村上龍著「希望の国のエクソダス」にポンちゃんという中学生が国会議員に尋ねるシーンがあります。
「要するに、誰を真似すればいいのか、みたいなことが全く分からなくなってしまっているわけです。政治家とかどうなんでしょう。いいからおれを真似て生きてればいいんだ、みたいなことを言う政治家の人っているんですかね?どうですか?みなさん」
(中略)
「今の政治家の生き方を真似ろ、今の政治家のように生きればいいんだと、なぜぼくらに向かって大きな声で言えないんですか?サイトウ先生、いかがですか?」
このワンシーンは、常に私の中心的な位置にある問いです。

確かに昔は大人のお手本が居たと思うんです。例えば白洲次郎。今、白洲のようにダンディズムを体現したような人、あるいは吉行淳之介のようなもうちょっとモダンで軽やかなダンディズムを見せてくれる人、思わず見とれてしまう着こなしの人。ちょっとした仕草がカッコイイ人。働く背中がカッコイイ人。バーの片隅で飲んでいて様になる人。葉巻が似合う人。万年筆と原稿用紙が似合う人、モーニングやタキシードが似合う大人。和服姿が粋な大人。「俺のマネをしろ」と言われなくても真似たくなる、カッコイイ大人。憧れる大人、お手本としたい大人。生き方が素敵な大人。価値観が素敵な大人。こういった生き方のモデルが不在だと思うのです。これら「モデルとなる大人」不在の世代だというのが、今の私たちの立ち位置だと最近つくづく思います。

モデル不在の世の中になった背景はいくつも考えられます。

経済的な面では、皆一丸となって成長、成長、成長を追及した成長社会が頂点を向かえ、今は下降もしくはこなれてきたということなのかもしれません。あえて美化した言葉を使うなら成熟社会に入ったとでもいうのでしょうか。

目標とすべき豊かさの象徴たるアメリカ型社会、全日本国民が超えることを目指した超大国アメリカが崩れてしまったことも一因かもしれません。アメリカンドリームに象徴される一攫千金、金こそ正義は崩壊したように見えます。ジェームス・ディーン、ハンフリー・ボガート、フレッド・アステア、マリリン・モンローたちが眩しかった古きよきアメリカは今はなく、もはやアメリカは目標となり得なくなりました。

昔は、謎につつまれていた大人社会の秘密のベールを「情報化」が、白日の下にさらしてしまったことも一因でしょう。昔はあったはずのいくら望んでも、もがいても手が届かなかった、大人だけに許された特権。大人だけに許されたモノ。大人だけの世界。そういったものを学生で容易に入手できるようになってしまいました。わかりやすいのは高級ブランド。ルイ・ヴィトンなんて昔はジャリタレが絶対手にできない大人だけが持てる名品だったのに、今や女子高生や男子学生が平気で持っています。もう大人を大人たらしめるモノがない。もしかしたらそういうことなのかもしれません。

先日、書店の生活雑誌・インテリア雑誌コーナーをフラリと覗いたところ、ある発見をしました。そこには、イギリス・フランス・北欧 etc ヨーロッパ各地のライフスタイルや生活雑貨を取り上げた書籍が並びます。アメリカに関する本は、NYやサンフランシスコなどチョロチョロとありました。しかし日本の暮らし、日本に合う暮らし、こういったものをとりあつかった雑誌が一冊も無いのです。これはどういうことでしょう?

目指すべきアメリカがダメになったら、次に目指すはヨーロッパということでしょうか?何故他国にモデルを求めねばならないのか?日本は世界的に見ても非常に希有な国で、長い歴史と洗練された文化をもった誇れる国では無くなってしまったのでしょうか?

"雑"誌も扱わなくなった日本という国を我々、市井の視点で見なおしてみましょう。
  • 歴史上類をみない巨額の借金まみれの国。
  • 借金してまで食料を輸入しないと食べていけない国。
  • 信念の無い保身しか考えない政治家が先生と呼ばれる国。
  • 口先だけで行動しない評論家がメディアに出まくる国。
  • 横文字だらけの役職を敬わんがばかりの国。
  • いまだに金が全ての経営者が大多数の国。
  • 効率化の元に切り捨てられ職につけない若者がいる国。
  • 教師がわいせつ罪で捕まる国。
  • 子どもが子どもを作っては捨てる国。
  • 人をもてはやした後、堕とすことが使命のメディアがある国。
  • そのメディアが庶民の最大の娯楽とされる国。etc...
これだけの負債をポンと渡されて解決できる術を私たちは持っているのでしょうか?モデルとすべき大人すら不在。他国にモデルを求めざるを得ない状況。そんな中で、私たちは一体何を目標とすれば良いのでしょう?どこに向かえば良いのでしょう?
組織に埋没していて良い時代は終わった。ようやく一人ひとりが独自の価値観を持ち、独立した個性を持った個人として、自由に人生を設計して、自分らしい人生を歩んでいけばよい。
最近、良く目にする指針です。でもこれは、随分勝手な言い草じゃないかと思います。そもそも「自分らしい」とは何ぞや?「独自の価値観」と「独善的」の違いは?「独立した個性」と「変な人」との違いは?「自由に人生を設計する」って耳障りの良い言葉だけれど、今まで図面なんて見たことも書いたこともない人に、いきなりジャンボジェットの図面を書かせるようなものじゃないでしょうか?全てを自分で決めて全てを自分の責任とすることは協調性のない悪いことだと教えられてきた世代に、突然上の世代のケツ拭いの為に、一方的にルール変更を言い渡されても戸惑うばかりです。

「学ぶとは真似ること」そんな言葉があります。今、私たちは真似る対象が不在なのだから、真に学んではいないのでしょうか?

今を懸命にもがいている私たちの世代は、後生からみれば哀れむべき受難の世代とされるのか、未来の礎を築いた偉大な世代と呼ばれることになるのか。少なくとも受難の世代だとリアルに感じますが、後生から、あの世代が今の礎を築いたんだと呼ばれる為に、今必要な事は何なのでしょう?冒頭の『希望の国のエクソダス』では全国の中学生が一斉に登校拒否という行動に出ました。私たちは?一斉に出社拒否でもしてみますか?みんなで暮らしやすい気候の他国へ移民となりましょうか?

あとがきにあるとおり、この小説は『龍声感冒』というサイトの掲示板で起こった議論に端を発しています。私はこのサイトの運営に幾ばくか関与していました。1996年のことです。その掲示板の議論の最中、村上氏は「真似したいと思わせる世代がいない世代の生き方を探しておく必要がある」確かこのような言葉を書き込まれました。当時大学生だった私には何か予言めいた一言に感じました。そして、96年から現在に至るまで答えが出ていません。みなさんの周りはいかがですか?真似をしたい大人(上の世代)がいますか?そして、今の私たちは今の中学生から、どう見られているのでしょう?「三十にして立つ。四十にして惑はず。」立てている実感はないし、あと6年で迷わないようになれるのか甚だ疑わしいものです。「兎角この世は生きにくい」漱石の時代から変わらないことのようですが、今は何だかより重苦しく感じるのは私だけでしょうか。

雑感-認知的不協和の解消と他者の介在、余白の時間と芸術-

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先般書いた「枠だけの真っ白なキャンバスのような時間」という記事に対して、佐々木正悟さん自ら非常に丁寧にあすなろブログで何と2回に渡り考察していただきました。ありがとうございます。その中で佐々木さんは、
お金や本とも似ています。「心理学書を読むもよし、哲学書を読むもよし、マンガを読むもよし」と衝動的に読みたいものを読むことにすると、「以前きわめて読みたかった本」を買ったことも忘れ、書棚の奥に埋もれさせるにまかせ、アマゾンから書籍を5冊も購入したりします。私はこれがイヤになったのです。
とおっしゃっておられます。さらに
「時間はかなり乏しいリソース」であるから、この方針では全部はできないのです」
ともおっしゃっておられます。が・・・え〜と、ちょっと私が言いたかったことと違うんです。別に全部やらなくて良いのです。何もしなくても良いんです。乏しいけれど持っている使える時間は、ムリしてでも何かを決めて、意志的に使わねばならないのでしょうかという疑問なんです。完全にな〜んにもしない時間と言い方でなければ、ぼーっとするとでもいうのか、完全にリラックスのみをしている状態とでもいうのか、やりたいことを気の向くままにやっているだけの時間とでもいうのか、人から見れば有限で乏しい時間というリソースを無駄にしているだけに見えるような時間を「余白の時間」と呼ぶとして、こういう「余白の時間」は不要なのかと疑問に思うと言いたかったのです。

佐々木さんのおっしゃられるように睡眠という「断絶」のせいで所与時間(起きていて意志的に使える時間)は確かに限られた乏しいリソースであるというのはその通りだと思います。では例えば、その乏しいリソースの範囲内で心ゆくまで(起きてから眠くなるまで)無駄に使うという使い方もあるんじゃないか。とか、範囲内で心ゆくまで(起きてから眠くなるまで)現在の自己の判断に身を委ねる時間の使い方もあるんじゃないかと思うのです。

一例をあげます。私には一回り(補足:12歳差)離れた弟がいます。コイツが小さい頃は可愛くて可愛くてしょうがありませんでした。弟が3歳くらいになった頃から、寝るときに読み聞かせをすることをやりたくて始めました。当時、私は中3ですから、受験が迫っています。読み聞かせをしながら「コイツが寝たら、あれをやらなきゃ」などと考えながら読んでいると弟は一向に寝てくれません。真剣に物語を読まないと寝てくれないのです。真剣に読む余り弟と同時に私も寝ているなんてことは日常茶飯事でした。しかし私はこの時間を(寝てしまった時間も含めて)きっと弟の成長の何か役には立ったろうし、私も楽しかったし良い時間だったと思うのです。おかげで第1志望の高校には見事スベりました(^^;)

恐らくこの例を心理学的には、認知的不協和の解消、「これだけの時間を費やしたのだから何か益がなければ嘘だろ!?」という心の動き、「高校受験に失敗しても弟と一緒にいれたから良かったんだ」という自己正当化にあたる心の動きと説明するのだと思います。しかし、読み聞かせていた弟が大人になった今「あの頃、色んな本を読んでくれたのは1日の内で一番楽しい時間だった」と言ってくれています。相手も楽しかったという思いを共有してくれている。他者が介在し、共有しているので、自己の葛藤だけとは言えないですよね?となると単に私の心の内で起こっている認知的不協和の解消というものとは、いささか話しが逸れてくるのではないかと思うのですが、こういうケースはどうなるのでしょうかという疑問が生じました。あの時間は思い込みで良かったのか、真実に良かったのか?どうなんでしょう??

話しは戻って、「余白の時間」です。これがなければ、それこそ生産性と言う観点から見れば、限りなく生産性ゼロに等しい絵画や彫刻や、誰が読むかも不明な小説や、多くの物語は紡がれなかったのではないかとも思うのです。周りからみたら完全に無駄な時間の使い方じゃないですか、芸術なんて。食べれませんしねぇ。

多くの画家が、貧しいまま亡くなっていって、その後ひょんなことから評価され、今やすごい値段が付いていますが、当時は貧しくても何でも、とにかく「書きたいから書いていた」のではないかと思うんです(でなけりゃ職業考えると思うんですよね)。近い例で言えば、J.K.ローリングさんはハリー・ポッターシリーズを最初から仕事として書き始めたワケではないと聞きます。想像を書き落としたくなったから書いて、出版社に持って行って、それがたまたま売れたわけです。う〜〜んと遡って、石器時代の壁画に書かれた動物の絵は、誰かが「この動物は食ったら旨かった」ということをが何とか残そうとしただけなのかもしれません。何より、多分、最初に絵を描き始めた人を周りの人は「何やってんだ?あいつ?」くらいにしか思わなかったんじゃないかと思うんです。むしろ「そんなことしてる時間があるなら狩りに行け!」と思ったかもしれません(^^;)

もっと突っ込んで、ゴッホが『ひまわり』を描く時「よし!明日は右の葉っぱを30分かけて描こう」とか、ゴーギャンが『タヒチの女たち(あるいは、砂浜にて)』を描く時、「左の女性の手をもうちょっと太くするのに1時間はかかるな」とは考えていなかっただろうし、彼らは描くという行為に時間の制約を設けなかったのではないかと思うのです。共に貧しく苦しい生活の中、豊かさを求めたら他のことをしただろうに、なのに絵を描き続け、あれだけの豊かな作品を残した(残せた)のは、それは所与時間の9割9分までを「余白の時間」とし、その時間を「自分が今やりたいこと」=「描くこと」に投資し続けた結果なのではないかと思うのですがいかがでしょう?

昔も今も、ハタからみたら無駄な時間。本人はその時やりたいからやっているだけ、金になるわけでも、誰かの助けになるでも、役に立つわけでもないこと、でもやりたいことをやっている。別に制限時間を設けるでもなく、とにかくやりたいことをやっている時間。別にやりたいことが複数あってたとしても全部やる必要はないし、それらをリスト化して管理する必要性もない、寝て起きてまたそれを続けてやりたければやるくらいの時間の使い方ってのはどうなんでしょうね?やっぱり今の急流のような時間では考えてはいけないことなんでしょうか?

そんなことを、チマチマと考えていたら、そう言えば「現代芸術を代表する芸術家」ってすぐに浮かびませんでしたし知らないことに気づきました。(皆さん思い浮かびます??)現代芸術の代表作家、現代芸術といえばこの人という、偉大な芸術家が現れない所以も意外にこの辺にあるのかもしれませんね。「忙しい心から芸術は生まれない」と恩師も言ってましたし、芸術に関わるにはあまりにも多忙なのかもしれませんね。現代社会は。

以上、つらつらと雑感でした。

愛着品紹介009-現代のガンマンへ捧ぐ。TADY&seeds製iPhoneケース"然"-

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今回はいつもとちょっと違って、つい先日仲間入りした愛着品。激オススメの一品です。

iPhoneを買って一番頭を悩ませたのは「どうやって持ち運ぶか」でした。以前使っていたauの携帯電話はとても小さかったし、ぶっちゃけ無くても困るものではなかったのですが、iPhoneはビジネスシーンでも、プライベートでも常に傍にあって欲しい機器なので、持ち運びをどうするか困りました。

特に問題なのはビジネスシーン。スーツにはあれこれ決まりごとがあります。少なくともシルエットを崩さないようにジャケットのポケットにものを入れないのは基本。パンツも尻ポケットに入れるのはダメ。かといってテーラードのスーツは手が出ないので、ジャケットの内ポケットに工夫をするのも難しい。とまぁ、入れるところはあれど、ほぼ飾りに近いスーツのポケットに収納するには難ありなわけです。しかも私は手ぶら派ですし。

また、会社では(スーツのルール違反ですが)ジャケットを脱ぎ、Yシャツのままのことが多いので、ますます入れておくスペースがなくなります。しかも私のYシャツの多くは胸ポケットはありません。これはちょっとしたこだわりなので。パンツの尻ポケットに入れて、自分のケツ圧でオシャカにするという事例も耳にします(^^;)

残された方法は、ベルトにぶら下げるという方法です。が、これが何故かスーツに合うようなクオリティのものがない!!みんなオヤジ臭いデザインだったり、合皮だったりで安物臭がプンプン。オヤジ臭さ満点なものばかり。何かこう、スーツにも合う、ナイフのシースのような感じの粋なケースはないものかと散々探していた時、yh01さんからTADY&seedsというWebショップを教えていただきました。

ここんちの製品の特徴をまとめると大体以下の通り。
  1. 牛本皮を使っている(断じて合皮ではない)
  2. 熟練の革職人TADYさんが完全受注生産で手作業で製作
  3. 匠の技により仕上げられた製品の堅牢さは折り紙付き
  4. ガンマンの早撃ちに最も適した25度の傾斜のおかげで抜き差しが快適
  5. 特にシリーズ"然"は革そのものの質感を楽しめるシンプルなデザイン
  6. 1個売れるとサハラ砂漠に1本苗木が植えられるという環境面への配慮
  7. 熟練の匠の技を若手クリエーターがWebでPR・販売するという斬新さ
全項目、私のツボに入りまくりです!普段なら実際にモノを見ないとこういうものは買わない私ですが、Webをさっと読んだだけで速攻、注文してました。

そして、1週間ほどして届いたものは「感動を覚える素晴らしい出来栄えの品」でした。ちょっと前にSoftbankがアルマーニデザインのiPhoneカバーを売り出しましたが、あれはきっと使っている内に縫い目がボロってくると思います。理由は角や凸面に縫い目がきてるから。

しかしその点TADYさん作のこのケースは違います。凸面に縫い目はありません。理由は「絞り加工」と呼ばれる特殊な加工で作られているからとのこと(TADYさん談)。この加工方法は非常に手間のかかる加工で且つ非常に高度な加工技術のようです。この絞り加工により柔らかな凸面を楽しめるだけでなく、堅牢さも遥かに向上するわけです。最低でも、iPhoneのバッテリー劣化より先にケースに不具合がでることはないと断言できます!

最初はちょっと硬いんです。でも使った分だけ、日々使い勝手が良くなっていきます。「革が馴染む」とはこのことか!と思わず唸ってしまいました。かといって肝心のiPhoneをホールドする力が弱まることは無く、走ろうがそれこそ逆にしようが、iPhoneをガッチリホールドしてくれます。25度という角度もホントに取り出しやすい。どこにつけていてもスッと取れます。これはちょっとしたマジックだと思います。銃の抜き差しに適した25度は、現代という荒野を生き抜く我々にとっての銃、iPhoneを抜き差しするのにもうってつけというわけです。

さて、肝心のスーツへの相性はどうなのか。正直に言います。"ほぼ"大丈夫です。(一人で着けた姿を取るのは難しいので割愛)私は毎日左斜め後方、パンツの左前ポケットと左尻ポケットの中間あたりに着けています。この辺であればパンツの前ポケットへ手を突っ込むのに邪魔にはなりません。またジャケットのウエストからの広がりに当たる部分なので、トムフォードのスーツのように極端にウエストがシェイプされたスーツでない限り、シルエットへの影響は最小限で済みます。特にサイドベンツのスーツとの相性はなかなか良好。ベントごしにチラッと見えたとしても、この本皮のケースなら「お!」と思われることでしょう。

また、ジャケットを脱いだ姿であってもオッサン臭くなりません!むしろ私の勤め先で一番若い女の子(27歳)は「なんですかそれ!カッコイイ!!」と言ってくれましたし(お兄さんは君の意見を純真な気持ちで素直に聞き入れるよ~。)パートの女性たちにも「随分キレイなケースだねぇ」と言われるくらいなので、女性受けが悪いという男に取って最悪の事態はなさそうです。

また、seeds社の応対にも感動しました。
入金確認が取れた後、届いたメールの文面にはこう有ります。
TADY&seeds立ち上げの背景には、日本社会が中国生産を機軸とする"安さ重視"の流れに向かっている中で、一流の腕を持つ日本の職人が流通上、疎かになっているという、日本のものづくりの根底が揺らいでいる現状に対する問題意識がございます。
seedsでは、本物の腕を持つ職人をWEBコミュニケーションを軸としてPRすることで、日本のものづくりの良さを社会に識ってもらうことを目指しています。
seedsは23歳と24歳の若輩者のチームですが、そんな若いチームだからこそ僕達が日本文化を見つめなおし、日本のものづくりの良さを社会に問う使命に価値があるのではないかと考えております。日本の職人の良さを知っていただくことで、社会が少しでも幸せで心豊かになるよう、今後も努力していく所存です。
素晴らしい!!日本の職人の技術を若いチームがPRするなんて!しかも"知って"欲しいんじゃなくて、"識って"欲しいだなんて!本当に素敵なことだとは思いませんか!?

本当に素敵なチームとTADYさんの確かな腕前。これは激オススメです。

ちなみにこのケースのお手入れ方法をTADYさんにお聞きしたところ、SEIWA社の「保革クリーム」を教えていただき、毎日の手入れは軽くから拭き。週に1回くらい、から拭きの後、このクリームを「薄く」塗ってから、から拭きすればOKとのこと。このメンテを続けることで、革がさらに味わい深く変化していくそうです。将来iPhoneの寸法が変わったり、他に魅力的な端末が出てきたとしても、何かしら用途を探して、愛用し続けたい一品です。

忙しからざる者、人にあらず?と『森の生活』

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私は、多くの大人から「忙しいとは言うな」と教わってきました。「忙しいという字は心を亡くすと書く。心が無くなっては人間ではないから、忙しいのはいけないのだ」とも教えられた覚えがあります。でも、今日、私にとってはもの凄く恐ろしいことが起こり、他の記憶の断片と繋げると妙なものが見えてきました。

GTDで言うところのINBOX、つまりアクションを起こすべきタスクですが、これがゼロになったのです。いや詳しくは、待ち状態の仕事はありますが、私がアクションを取らなければならないタスクがゼロになったわけです。
さて、喜ぶべきこのINBOXゼロ状態で、私が考えたこと。それは

「他に何か仕事ないかなぁ」

だったのです!間違いではありません。"喜ぶべき"INBOXゼロ状態に考えたのは他の仕事を探すことだったのです!気がついてゾッとしました。そこで一端デスクを離れ会議室に籠もり、仕事を探すのではなく、私の気に止まったもののメモの見直しを始めました。雑多なメモの中で目にとまったのは

・E-Mailの出だしはみんな「お忙しいところ申し訳ございません」って書いてある。そんなに忙しくないよ〜。
・TVで見るヨーロッパの人は皆のんびりしてるように見えるけど、アメリカと日本だけは常に忙しそうだ
・ゴミ山で働く少女。大変だとは言ったけど忙しいとは言わなかった。すごい。
・世界屈指の豊かさを得るためには、世界屈指の忙しさが必要なのか?
・「夏休み何したい?」「休みたい」当たり前だろそれ!?休み方を知らない?
・ヨーロッパのお父さんは家でカッコイイけど、日本のお父さんはなんだかなぁ。
・失業中はヒマだったけど、何か後ろめたかった。何でなんだろ?
・Todoリストはいつ頃何でできたんだろう?誰が始めたんだろう?

そして、自分の手帳を見返しました。営業だった頃に使っていたバーチカルタイプのシステム手帳(5年分)を見直したのですが、まぁ、見事にびっしりです。7時半〜20時半まで開いている時間は無し。その後も家でやる仕事の予定がびっしり書いてありました。休日も現場管理の仕事の段取りでびっしり。いつ休んでたんだ私は?

そして、今もまた、まるでびっしり仕事をすることを望んでいるかのように、ぽかっと空いた時間に"他の仕事"しかも自分がやらなくても良いかもしれない仕事を探して自ら入れようとしたわけです。明らかに異常事態だと思います。まるでヒマなことが悪いみたいじゃないですか?

思い返してみてあることに気がつきました。時間管理を扱った本は多く読んできましたが、その多くは「時間が空いていること」ではなくて「時間が空いていないこと」を問題にして、いかに時間を作って、より多くの仕事をこなすかということが書いてありました。もしくは、スキマ時間なる時間ですらもったいないから将来に備えて何か勉強でもしていなさいと書いてありました。

どの著者もこの忙しさへの抵抗法は提示せず、むしろ従順に多忙であることを誇りに思えとでも言わんばかり。メディアを見ても多忙な、その道の達人、睡眠時間も取れない医師の仕事ぶりを諸手を挙げて賛美し、疲労に効くドリンクやクスリのCMがエンドレスリピート。忙しさ=豊かさ。忙しさ=幸せ。忙しさ=正義。言い過ぎを恐れず書くと、これではまるで仕事してない時間、勉強していない時間、ヒマな空き時間を持っている人は罪人であるかのように感じてしまいます。この不安、スキマ時間不安症、空き時間不安症とでも呼ぶべき不安症状に効く処方箋はあるのでしょうか?何もしなくて良い時間というのは本当に要らないものなのでしょうか?

そんなことを考えていたら、中学生の時に読むのを挫折した一冊が脳裏を過ぎったので、今日買ってきました。ヘンリー・D・ソローの『森の生活』です。「私がこの本を書いたのは-正確には多くの部分を書いたのは-いちばん近い人家から1マイルほど離れたマサチューセッツ州コンコードの森に入って、ひとりで暮らした時に」書かれたという言葉で始まるこの本。理解できなかった本リスト(ここでもリストというのが癪ですが!)の2番目にありました。年末年始休み、森に一人で入ったように、中学生の時には手も足も出なかったこの本ともう一度じっくり時間をかけて格闘してみようと思います。時間に追いかけられることもなく、時間を追うこともないウォールデン池の畔のような時間を確保して。どうやらヒマな時間も有意義に使わねばならないようなので(苦笑)

愛着品紹介008-定番三種「鉛筆」「消しゴム」「ナイフ」-

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※数名の方へ。愛着品のメーカー名を間違えるというあり得ないミスしてごめんなさい。

手を使って考えるときには必ず使う3つの道具があります。
「鉛筆」・「消しゴム」・「ナイフ」です。

鉛筆は三菱鉛筆社のuniシリーズの末弟(一番安い)「uni star」を。消しゴムはトンボ鉛筆社の「MONO消しゴム」を。ナイフは会社では「肥後守」、家では「OPINEL No.8」を使っています。

鉛筆の究極は「6Bの黒さで9Hの硬さで滑らか」なものだそうです。つまり、深みのあるしっかりとした黒色と折れにくい硬い芯を両立させ、且つ滑らかな書き心地のものが究極。言うのは簡単ですが、これが非常に難しいのことなのだそうです。三菱鉛筆社はこの究極を追求し、究極に限りなく近い製品を生み出した数少ない会社の1つです。

また、三菱鉛筆の鉛筆は、どことなく日本の伝統を感じさせつつ高級感を醸し出す、茶色とも臙脂色ともつかない不思議な塗り色をしています。(あれは何色というんだろう?)あの独特の色は、ステッドラーのブルー、ファーバー・カステルのグリーンと並んでも全く遜色ありません。

また、商品名の「uni」というネーミング。英語の“unique”に由来し、フランス語では「滑らかな」という意味も合わせ持つ言葉を選択するというこだわり。少し丸みを帯びた優しい印象のロゴデザインも秀逸です。

黒芯の開発以外は日本屈指の工業デザイナー秋岡芳夫氏が手がけた仕事なのだそうです。工業デザイナーでありながら大量生産、大量消費社会に疑問を呈し続け「暮らしのためのデザイン」を信条とした秋岡氏の作品の中でも、渾身の作品のひとつと言って良いだろうと私は勝手ながら思っています。ファーバー・カステルやステッドラーは雑誌などに良く取り上げられますが、暮らしに完全に溶け込んでいるuniが取り上げられることはあまりありません。これぞ「暮らしのためのデザイン」たる証しだと思います。

uniシリーズと双璧をなす製品としてトンボ鉛筆社のMONOシリーズがあります。甲乙付けがたいのですが、単純に秋岡氏が手がけたという一点に於いて、どちらかと言えば私は三菱鉛筆社を支持しています。

鉛筆では私に選ばれなかったトンボ鉛筆社ですが、消しゴムはトンボ鉛筆社の「MONO消しゴム」が最高だと私は思っています。欧米の消しゴムはたとえ有名メーカーのものであっても、とにかく「消えない」のですが、MONO消しゴムであれば「消える」からです。これは、塩化ビニール製のプラスチック消しゴムというのは日本発の技術であり、欧米では今も昔ながらの天然ゴムを主な素材とする消しゴムが作られているからでしょう。日本製の消しゴムと比べて欧米製の消しゴムが驚くほど消えない(日本語の用法正しいですよね?)のは、素材そのものも製造方法も根本的に違うということです。だから消しゴムは日本のものに限ります。MONO消しゴムはその代表格。何よりMONOというロゴを見た瞬間、消しゴムを連想するまでに「暮らしに溶け込んだデザイン」となっていることはスゴイことです。

最後にナイフ。鉛筆削りでゴリゴリ削るのもラクだし好きなのですが、亡き祖父から私が小学校に入学したときに「鉛筆はこれで削りなさい。刃物が正しく使えない男は男じゃない」と肥後守をもらった影響です。鉛筆はナイフで削るものだと結構長い間思い込んでいました。「クラスのみんなの鉛筆はすっごい綺麗に削れてる。みんなナイフの使い方が上手いんだなぁ。練習しなきゃ!」と思ったものです(^^;)

バタフライナイフの事件が起こるまでは、別に持ち込み禁止でも問題でもなく普通に学校でもナイフで削っていました。メンドクサイなァとも思った頃もあるのですが、シャッシャッっと無心で削っている時間を豊かな時間だといつの頃からか思い始めました。あの削られた木と黒芯の、ほのかな香りも好きで何かホッとするのです。まぁカッコイイこと言っても、鉛筆削りの腕前が特別に良いわけでもないことは写真の通りですけどね(^^;)

祖父からもらった肥後守はもう手元にはありませんが、今は少し大振りなものを会社では使っています。オピネルNo.8は元々はアウトドア用に買ったのですが、「フランスの肥後守」と言われるだけあって、安価なのに使い勝手が良いし、デザインもグリップが木製で、日本の肥後守よりずっと家庭的な印象なので、自宅用にしています。ただし刃の付き方が日本の肥後守とは違うので削るのにコツを要するのが難点です。

文具に関する本は良く見かけますが、パッと見はカッコ良くてもいざとなると使えないものも中にはあるのが残念ながら事実でしょう。その点、ロングセラー製品、定番製品というのは一見地味でも、確実に使えるものしか残らないはずですから、実戦で必ず使える信用のおける製品と言い換えることもできると思います。

どうやら私は「お主、地味だが、なかなかちゃんとやりおるの~」という感じの生活に溶け込んだ製品が大好きのようです(笑)

枠だけの真っ白なキャンバスのような時間

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昨晩、ライフハック心理学セミナーで、佐々木正悟さんのタスク管理の一端を教えていただいたきました。自分の行動内容とそれに要する行動時間を見積り、その通りに実行していくというもので(実際奥様を起こすには7分かかると見積もってありました!)非常に合理的だし正論だしスゲーなぁ!と思ったのですが、聞いているうちに、ものすごい違和感を覚えたのです。何故か?

「自分の行動全てに対し、要する時間を見積って、ToodleDo等で管理する」

というのは、「デートの時間」とかそれこそ「夜の営み」とかも時間を見積って、見積りどおりに終わらせるの?という非常に邪で、底意地の悪い疑問が生じてしまったのです(笑)ごめんなさい。

私の場合、就業時間中、つまりは「仕事のタスク」は佐々木さんには遠く及ばないないものの、GTDのワークフローに沿って、大きなトラブル無く、そこそこ順調に短期タスクも中長期タスクも処理できています。(この記事もたまたま職場でのINBOXがゼロになったので、空き時間で書いてます)

しかし自宅に帰ってきてからは全く別。帰宅後の30分こそ「家のタスク処理」として ー スーツと靴の手入れ、床をクイックルワイパーで拭く、洗濯物の取り込み、愛犬のトイレ掃除、DMの処理、レシートの整理、トイレ掃除など ー に充てていますが、それ以降、寝るまでは完全自由時間です。読書するも良し、妄想するも良し、DVDを観るも良し、家内との会話を楽しむのも良し、愛犬を散歩に連れて行くのも良し、ブログを書くのも良し等々。ルーティンなことは何もないし、何をやらなきゃいけないわけでもない時間なので、ざっくり「フリータイム」と呼んでいます。

このフリータイムにやることを細分化してタスク化して時間を見積り、管理するというのが今ひとつわからないのです。それは絵画に例えれば、余白を管理するってことでしょう?自宅でやることって(多少、仕事も)そんな何もかも全部管理するべきなのかなァ?という疑問があります。

きっと自宅で仕事をしている方やSOHOみたいなワークスタイル、ノマドワークスタイルの人は、徹底管理しておかないと公私のケジメがつかないのだろうと思いますが、会社という組織に属していると、余白の無い生活は、真綿で首を絞められているような気分になるだろうと思うのは私だけでしょうか?こんなことをいうと恐らく「その自由な時間を確保するためにタスク管理が必要なんだろ!それでみんな悪戦苦闘しているんだろ!」と言われると思うのですが、時間の捻出法ではなく、時間との向き合い方の問題とでも言えば良いのでしょうか。

その時に「やるべきこと」じゃなくて、その時に「やりたくなったこと」を好きなだけ自由にやっていい寝るまでの時間。管理する時間じゃなくて、自分自身の為の”枠だけある真っ白なキャンバスのような時間”を設けてあげるだけで、ゆったりゆっくり「その時やりたくなったこと」を安心して楽しめるし、リラックスできるし、自分らしく居られるんじゃないかなぁ?そういう時間が重要じゃないのかなぁと思うのですがいかがでしょうか?

蛇足ですが、私の出勤前の時間は完全にルーティンワークです。愛犬2匹の全力タックルを受けて目覚めてからは自然と身体が動いています。(犬ってスゴイですよ。1分と違わないんです。問題はそれが体内時計なのか腹時計なのかです(^^;))考えなくても体調が良ければ7時32分に玄関のドアを開けるところまではいけますので基本的に管理は不要だと思っています。

どうも上手く言語化できず、歯切れの悪い記事でスミマセンm(_ _)m

芸術の効用と、豊かな人生を送る秘訣

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9年ぶりに恩師を訪ねてきました。ものすごく緊張しましたが、いざお会いしてみると何も変わらず朗らかな笑顔で出迎えていただき、一気にホッとしました。

沢山のお話をさせていただきました。9年分の思いの丈をぶつけたと言っても良いかもしれません。でもそれらは前置き。先生はしばらく私の話に耳を傾けた後、「なるほど。今の君に必要なものを教えてあげないといけないねぇ」と言って、書斎から幾つかの書籍や絵画などを持ってこられました。

洋画家、南大路一に師事していた先生は南先生の直筆の絵画や何と唯一という南先生の木版画、南先生に影響を与えたパウル・クレーの小品やレゾネ、浮世絵、小村雪岱の木版画、居間に置いてある彫刻の数々を、中学校の授業と同じように、「これが裏話があってね・・・」と一品一品丁寧に、面白おかしくエピソードを話して下さいました。特に南先生の作品に関しては署名が入っていない若かりし頃のデッサンから最後の最後に描かれたものまで所有していらっしゃるので、さながら美術論の講義を受けているようでした。

「私見をまとめるとね、芸術というのはね、忙しい心からは決して生まれない。貧しい心からも生まれない。それでは人を『感動』させることはできないんだ。たとえば美しい花が目の前にあってそれに気づけるかどうか。貧しく凝り固まった心では気づけないだろう。よしんば気づいたとしてその美しさを相手に伝えることができるかどうか。美しいものを「私はこれをこう美しく感じましたよ」ということを感動を持って、熱をもって伝えられれば立派な芸術活動と言えるんじゃないかな。さて、今の君の心の有り様はどうだろう?すぐそこにある花に気づけるかな?気づけたとして伝えられるかな?」

「君は他の人にはないユニークなものを持っているのに、本当にもったいない。この寄せ木細工を「良い品ですね」と言えるだけの審美眼があるのに、そういう心があるのに、その心を十分に慈しんであげていないように思う。大変な事態、想像を絶するものを見てきたことは痛いほど良く分かった。ただ、そのことに、その心にかけてあげる”言葉”は残念ながら持ち合わせていない。でも芸術は言葉を超越することは知っているから、オリジナルの作品を見せたんだ。一つ一つ丁寧に見てご覧なさい。」

「オリジナルを、本物を、実物を見るというのはとても大切なことだよ。特に痛んだ心にはね。テレビ画面でミケランジェロを見ても、ベルニーニを見ても、レンブラントを見ても、ダ・ヴィンチを見ても、北斎を見ても、広重を見ても、儚いかな、全て一緒だ。感動は得られない。いくらハイビジョンになっても実物とモニター越しに見るものとはやっぱり何か違うんだ。実際に足を運んで、じっくりと本物を見る。そこでの経験や感動が心を癒し、強くし豊かにする。だからしばらくの間でも良いから興味を惹かれた美術展などがあったら足を運んでみなさい。もっともっと心を手入れしてあげなさい。」

そして、最後に3つ秘訣を教えていただきました。

1.結婚生活を長く保つ秘訣。
「ごめんなさいと素直に相手より先に謝る習慣を身につけること」

2.人生を豊かにするための秘訣。
「お金がない。時間がない。忙しい。面倒くさい。この4つを禁句とすること」

3.周りの人も豊かにする秘訣。
「自分の身近な人には必ず感謝を。忘れがちだけど、自分自身にも感謝を。」

勇気を出してお会いして良かったです。何より恩師の笑顔を見られたことが何より心を癒してくれた感じがします。まだまだ教わることは沢山あります。不肖の教え子ながら成長の報告も兼ねて、年に1回くらいは、ちゃんと会いに行くようにしようと思いました。

(※)リンゴの形をした寄せ木細工。聞くところによれば箱根の名工の作とのこと。どうも『日々の100』で紹介されている寄せ木細工職人さんの傑作のようです。「売り物じゃない」というのを強引に買ってきたそうです(笑)本当に素晴らしい、見事なものでした。

愛着品紹介007-伊豆の貝殻-

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人生で初めて、親族以外の人からもらったプレゼントというのを覚えていますか?もしくはいまだに持っていますか?

幸運なことに私の手元には、生まれて初めて女の子からもらったプレゼントがあります。

それが写真の『貝殻』です。

綺麗な小箱の蓋の裏には几帳面に母がこう書いてくれています。

S55.8.20 早川陽子ちゃんからプレゼント
-伊豆の海でひろう。初めて女の子からもらったプレゼント-

昭和55年の誕生日前なので、わずか4歳で女の子からプレゼントをもらったことになります。マセガキですね(笑)父の仕事の関係で引っ越しばかりしていたので、こう書いてくれていても、どこに住んでいた時のことなのかわかりませんし、プレゼントしてくれた早川陽子さんの顔も声も記憶にありません。

しかし、29年経った今も、貝殻はちゃんと貝殻の形のまま、貝殻が割れないようにと敷いてくれたティッシュペーパーも色染みはありますがそのまま、母の書いた鉛筆の文字もそのまま、私の手元に在ります。

幾度となく引っ越しをしているにも関わらず、不思議と無くさず、今も私の手元にあり、小箱の中にちょこんと入っているこの貝殻は私の宝物です。

たまにパカッと箱を開けてみて「どんな子だったんだろうなぁ?」とか「伊豆のどの海でどういう風にプレゼントされたんだろう?」とか、一人であれこれ空想(妄想?)してしまいます。そしてひとしきりそういう空想をした後は、何とも心がぽかぽかしてあったかい気持ちになれます。肩の力が抜けて、ホッとしたなぁと実感できるのです。

子どもの頃の持ち物が手元に残っている人は少ないかもしれませんが、もしランドセルや、上履きや、体操着。道草ついでに拾った石や葉っぱ、少し大きくなってからの交換日記、ラブレター等がもし手元にあれば、たまにで良いので触れてあげることをオススメします。ちょっと触れるだけで、心は過去へフッと旅に出ます。ひとしきりして今に戻ってきた時には、天気の良い日に干した布団を嗅いだときのような、ほんのりあたたかいパワーに満ちた心になっていると思います。

持ち物を大切に。持ち物が帯びている物語を大切に。自分だけのアンティークを持っているというのはとても贅沢で幸せなことだと思います。