毎年楽しみにしている恒例行事があります。大学時代の悪友4人で年末に集まって、近況報告や昔話をしてバカをやるのです。もう大学を卒業してから10年以上経って、みんな家庭を持っても、子供ができても、尚、続いている行事で、ホントに楽しみなんです。
今年は私が幹事なので、今日、ついさっき、仲間3人に電話で連絡をしました。最近落ち込み気味だったので、仲間の声が聞きたかったからです。
私:「久しぶり!恒例行事の季節だよ〜!最近どうよ?」
友人A:「忙しくてさぁ。もう死にそうだよ〜」
友人B:「バカみたいに忙しくて嫌になるよ」
友人C:「仕事が大変でさ、マジで忙しいよ〜」
いつから「最近どうよ?」の答えが「忙しい」になったのでしょう?昔は「まぁまぁだね」とか「何とかね」とか「元気元気」とかだったように記憶しています。鬱で落ち込んでいたときの私でさえ「何とかね。とりあえず大丈夫」と答えていたというのに!
自分にとって大切なことをして忙しいならそれは結構なことですがそうじゃない。みんな一様に元気がない。望みもしない忙しさに追われて毎日過ごしてるのに、何が原因か検証する時間すらないくらいなので、何に忙しいのか何で忙しいのかもわかっていない。
現代社会はまるで、神ですらできないであろうことができるようになったかのように錯覚させます。さらにその幻想を後押しするガジェットも次から次へと出てきます。便利になればなるほど、「忙しい」が挨拶語になるというのは何故でしょう?おかしくないですか?便利になったら時間ができて、大切な人とハッピーに過ごせるはずじゃないですか?
何で読んだのか覚えていませんが、ユダヤ教の指導者はこう言っているそうです。
「幸せとは欲しいものを手に入れることではなく、持っているものを慈しむことから得られる」
仕事は激務だったとしても、休暇の日を、ゆっくり味わい、楽しむように過ごせていますか?
好きではないライフスタイルの言いなりになっていませんか?
欲しくて欲しくてしょうがなくて、ようやく買ったものを愛でる時間は持ありますか?
忙しさのあまり、何が本当に大切なのかを決める時間も無くしていませんか?
この激流のような社会から逃げ出して山や森の生活に逃げたとしても、そこにさえ観光客が忙しくやってきてしまうのかもしれません。古き良き時代と年長の方がおっしゃる時代にももはや戻れないでしょう。この現代社会という高速道路にはSAもPAも迂回路もなさそうです。でも走る速度くらいは自分で決められるはずです。もうちょっとゆっくりやりませんか?Crazy Busyな生活とそろそろお別れして良いのではないでしょうか?ほら、足元の地球も悲鳴をあげてるじゃないですか。
「一日に何回"忙しい"と言ったかを意識しろ。言った分だけ、幸せから"確実に"遠のいている。気をつけろよ。」
最初に転職する際、師と仰いでいた方に言われたこの一言が非常に重く感じられました。
0 コメント:
コメントを投稿