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釉薬の魔術師のノートを見てきました『ルーシー・リー展』

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国立新美術館で『ルーシー・リー展』がやっていたので漸く行ってきました。ルーシー・リーは、オーストリアのウィーン出身、ナチスの手を逃れ、イギリスに拠点を移し、活動した陶芸家です。日本の民芸運動とも縁のあるバーナード・リーチや、ルーシー・リーと工房を共にし、リーチらの作風に異を唱えたハンス・コパーとの関わりなどでも知られています。私はこの人の大ファンでして、ひとつで良いから作品を手元に置き、日常で使ってみたいということが私のWish Listに載っているくらいです。(お高いですけどね・・・)

この人の作品を語るのはとても難しいようです。批判的なものから肯定的なものまで実に様々な解釈があります。幸いにも私は芸術家ではありませんし、美術史に明るいわけでもありませんから、美術史にどう位置づけるか等の美術学問には全く興味がありません。単純に作品をみて自分がどう思ったかが私にとって唯一重要な事柄です。そしてそんな素人である私の目に映る彼女の作品は大きく5つの要素を想起させます。「静謐」「偉大」「美」「哲学」「創造」の5つです。今回の展覧会でも迫力を増した、5つの要素に圧倒されました。

作品の見方、楽しみ方はそれこそ無限大ですから、この5つが全てだと言うつもりはさらさらありません。作品に彼女の思想を見ることもできます。彼女の生き様をみることもできます。高い実用性を保ちつつ、実用性を壊さない限界ギリギリのところで、実に優美な装飾性と融和させていることに刮目する人もいるでしょう。あるいは作風の変化を追っていくことによって、彼女の創造性の広がりに目眩を起こす人もいるかもしれません。いずれの見方をしても、非常に類い稀な陶芸家であることは間違いないことだと思います。

私がルーシー・リーという陶芸家を知ったのは大分前のことになりますが、私個人としてはルーシー・リーの作品の最大の魅力は釉薬にあると思っています。これほど釉薬を科学的に、緻密に調合し、理詰めで色や線を描く陶芸家を私は知りません。そして色合いと線、全体のフォルムは実に繊細かつ優美でありながら決して多くを語り過ぎることはありません。何とも不思議な色使いです。ですから私は勝手にルーシー・リーのことを『釉薬の魔術師』と呼んでいました。

そして今回の展覧会は、圧巻の250点にも及ぶ作品を年代別に一望できることもさることながら、釉薬の魔術師ルーシー・リーの魂そのものとも呼べる釉薬のレシピノートを見ることができるのです。そのノートにはテストピース別に、調合の割合、化学式、化学記号、恐らく彼女オリジナルの速記や記号で埋め尽くされています。時折覚え書き程度と思しき器の輪郭と使用した釉が書き留められていました。「こんな色が出るのか!?」と思わず声に出てしまう程、時に深く、時に淡く、時には鮮烈にと自在に色合いを操つる魔術の秘密に触れたようでとても興奮する体験でした。

また会場では、生前のルーシー・リーの姿を捉えたドキュメンタリーも流されていました。実際に轆轤を回している姿、電気式陶芸釜から焼きたてホヤホヤの作品を取り出す姿等などが撮影されていて、これも実に興味深い内容でした。こういう映像があると、作品への見方、感じ方が変わるものなので、批判的な方もいらっしゃるようですが、今回のドキュメンタリーフィルムはヘンな媚びがなく、先入観を与えるものではなかったので、ルーシー・リーという女性を立体的に感じる手法として、とても上手く活用されているように感じました。

陶器は、遙か昔、縄文の素焼きの土器の頃から、受け継がれている製法です。恐らく・・・一番人類と共に歩んできた芸術品なのかもしれません。ルーシー・リーという女性が生み出した美には、古の美を見ることもできます。(ホントに土器のような作品もあります)ルーシー・リーの作品に触れることで、日常に溢れている陶磁器の見方が変わることは請け合いです。GW後半の予定が未定でしたら、是非この機会にご覧になられてはいかがでしょうか?

真に美しい物は沈黙を強いる-武相荘にて-

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先日、旧白州次郎邸「武相荘」を訪れてきました。勿論、私が白洲次郎という不世出の傑物の大ファンだということもあるのですが、実は、そのことよりも正子夫人が稀代の目利きであり、一般公開されている武相荘では、その愛蔵品から四季にあった品物を季節毎に展示しているので、そのお宝を直に観てみたかったというのが本音です。

母屋に入り、最初の部屋は洋間です。その部屋は完全に白洲次郎の部屋です。英国人より英国人らしいとまで言わしめた男の美意識が見て取れます。ソファにふわっとかけられたセーターですらカッコイイ。本棚の上に無造作に重ねられた100年前の辞書、ワイングラスと無造作に広げられた当時のイギリスの雑誌。「こんな部屋で暮らしたい」本当にそう思わせるかっこよさです。何しろあの白洲次郎の部屋を再現するのですから、展示するスタッフの方も大変ご苦労されていると思います。

その洋間を抜けると、和室が二間。片方に着物や反物、もう片方に漆器やお盆などが展示してありました。私は着物に関しては完全に素人ですし、磁器に関しても大した知識はありませんが、順路である廊下から右に振り返って展示品が目に入った瞬間、息を飲み、背筋がゾクゾクとするばかりで、しばし動けなくなりました。素人でもその品々の美しさに圧倒されるのです。

江戸時代の漆器、誰もが知る名工の碗、螺鈿のお盆、古墳から出土したガラスで作られた装身具、花器、書、着物・・・etc・・・そのジャンルは多岐にわたり、造詣の深さとその目利きにただただ圧倒されます。

そして脳裏を過ぎったのは世阿弥の『花伝書』の一節でした。

物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところを知るべし。美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。

花同様、「物の美しさ」については、如何様にも話すことができます。このブログの愛着品紹介なんて良い例でしょう。使いやすい、見た目が美しい、こういう材料を使ってる、こんな職人さんの技術で作られている・・・etc、でも、今まで紹介してきた愛着品たちには心苦しいのですが、これは格が違いすぎます。本当に、真に、美しい物はその姿形で充足している、もしくは完結しているので、言葉が入りこむ余地がありません。故に沈黙を強いるのだと強く感じました。(私の所有している物で唯一対抗できそうなものは鈴木りょうこさん作の茶碗くらいです)

またその美しさは、所有し、使って初めて、真の美を纏うのだと感じました。展示してあるもののどれもが絶対一度は日常生活で使ったであろう跡を観ることができたからです。ほんの少しの傷、かすれ、カケ、それすらも美の構成要素の一部なのです。
美とは、物とは、決して単に鑑賞するものではなく、本来は、共に過ごし、共に語らうことができる親友のような関係であるべきなのかもしれません。そう考えると、価格の多寡に関わらず私の愛着品たちも、ちゃんと毎日実生活で使い、生活に彩りをもたらしてくれていますから、徐々に美しさを纏うようになってくれると嬉しいなぁと思わずにはいられませんでした。

帰り道、運転をしながら先ほどの衝撃と感動を思い返していると、ふと恩師のことを思い出しました。恩師の自宅の客間には南大路一画伯の書いた『春』の原画が飾られています。この絵も初めて見た時にハッと息を飲み、微動だに出来なかったことがあります。その時、恩師にこう言われたことを思い出したのです。

へぇ。これを見て、動けなくなるか。感じることができるんだね。もっと沢山のものを見ていると、次第に物がハッキリと「見える」ようになる。何十年後かな?まぁ楽しみにしていなさい。

未だ「見える」ようになっているとはとっても思えませんが、少なくともまだ「感じる」感性は有していたようです。
美しい物を感じ続けると見えてくるもの、もしかしたらそれは何かしらの「理」もしくは「筋」なのかもしれません。

最後は武相荘の主、白洲次郎の言葉で締めることにします。

プリンシプルを持って生きていれば、人生に迷うことはない。
プリンシプルに沿って突き進んでいけばいいからだ。そこには後悔もないだろう。

完全に出遅れ(^^;)ライフハックブログ賞にノミネートのご報告

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大変光栄なことに、Lifehacking.jpにて絶賛開催中の「ライフハックブログ賞」にこのブログもノミネートされております!


思えば、2回目の休職から復職するにあたって、人とは違うハンデ(しかも見た目ではわからないのがなお厄介です)を背負ってしまった私が、普通の人と同じように(もしくはそれを上回る)仕事をする手法としてGTDが最後の切り札のように思い、あれこれ調べ始めた際、最初に出会ったのがLifehacking.jpの記事でした。個人的にはこのブログがなかったら、復職してもまた元に戻っていたのではないかと思うくらい大きな影響を与えてくれた恩人(恩ブログ)でもあります。

さらに、Twitterを始めてから、実際にLifehacking.jpの主宰者、@mehoriさんとお会いしお話する機会を得ることができましたし、挙げたら切りがないくらい多くの素晴らしい人たちと出会うことができました。
挙げ句の果てに、私の拙いブログを推薦してくださる方々がいらっしゃって、ノミネートしていただけるとは!本当に「感謝」です。


ライフハックブログの魅力は「自分にとって便利だったことを、他の人にも役に立つかもしれないから書いておくね」という “Share and Enjoy” の精神だと思っています。

”Share and Enjoy”−なんて素敵な言葉でしょう!独り占めじゃなくてシェアしようよ!みんなで楽しもうぜ!こんな魅力的で粋な言葉をさらっと言える@mehoriさんってホント素敵だなぁと改めて思いますし、コレがきっかけでもっとライフハックってイイね!って感じに盛り上がると良いなぁと思います。

このブログは『LifeFun』とでも言うような独自路線で書いていますので、Lifehackとはちょ〜っと切り口が違うのかもしれません。しかし、"Share and Enjoy"精神は見習いたいし、もし私の書いた文が誰かの役に立ったならこんな嬉しいことはありません!これを機にのんびりゆっくりながらも、書き続けて行こうと改めて思いました。
そうそう、もしよろしければこのブログにも投票してくださいね〜(笑)

刃物を直す砥石、人の心も治す砥石

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生活に密着した道具の中のひとつに「包丁」があります。それこそ100均で売っているものから、有名ブランドまでこれまた沢山の種類がありますが、我が家では、結婚記念としていただいた老舗の包丁メーカー「木屋」の包丁を愛用しています。刃物のメンテナンスは私の個人的な趣味でもあるのですが、刃研ぎのプロ、「刃研ぎ堂」さんという職人さんの存在をついこの間知りました。流浪の刃研ぎ職人と言えば良いのか、あちこちに出向かれて、小さな露店を広げ、その場で研ぐという独特のスタイルで仕事をしておられます。私が研ぐのはあくまで趣味。プロの研ぎ方とはどういうものか、興味津々でして、たまたま今日、近所に来られることを知ったので、ワクワクしながら、お願いしてきました。

やっぱりね、プロの仕事は違います。本当に小さな露店ながら、砥石等の道具は使いやすいように整理されていますし、研ぐ手つきもとても綺麗。当然刃物の蘊蓄も楽しくて、スパっと切れるものだけが良いのではなく、少しバリを残した方がトマトの表面で滑ることなく切れるようになる等、目から鱗の話しを聞け、しかもその場で実演していただくことができました。
小1時間くらいお話していて、特に印象的だったのは「グラインダーや回転砥石とかの機械でやるとその場限りは良いかもしれないけど、道具としては役立たずになっちゃう。昔ながらの砥石で研いであげるのが一番良いやり方。不便なのが一番だよ。便利になるってのはその分どこかに歪みが生まれるんだよ」という言葉でした。

確かに現代社会の方が便利であることは議論の余地はないでしょう。でもその便利はもう「過剰な便利」になっているのかもしれません。材木も人の手で鉋をかけたものと、機械でかけたものとでは、後々生じる反りなどの問題発生率が全く違うのだそうです。何でも機械任せで本当に良いのかと深く考えさせられました。

物とのつき合い方はとても難しいことです。最近、自分プロジェクトとして、自分の所有する物を全て写真に撮るということをやっているせいもあって、つくづくそう思います。でも、撮影していくうちに、物は大きく二つに分けられることに気づきました。ひとつは「手入れや修理をしていけば一生使える物」と「便利で新しいものを取り入れる必要がある物」です。前者は修理すること、手入れをすることが前提に作られ、後者はいわゆる使い捨て、買い替えることを前提に作られています。

どちらにも一長一短あるとは思うのです。手入れの時間を惜しむ程多忙であれば、後者を選んだ方が良いという物とのつき合い方もあるでしょうし、一つの物を慈しんで使う方が幸せだというつき合い方もあるでしょう。ちなみに、私は断然前者の立場の人間です。

しかし、良く考えてみれば、本当はどんなものでも手入れは必要ですし、使っていれば壊れる日もやってきます。それが当たり前です。これは人間関係に置き換えてみると良く分かると思うんですが、些細な行き違いがあったり、仲違いがあったりしても、相手が大事な人だったら亀裂が入った関係を、壊れた関係を直すのが当然だと思うのです。そういう意味で別に高価なものばかりではなく、自分が好きな物は手入れをしてあげる方が自然なのではないかと思います。

刃研ぎ堂さんの元には、刃こぼれした包丁、刃が焼き付けを起こしてしまった包丁、曲がってしまった包丁などなど、傷んだ包丁が担ぎ込まれます。持ってくる人はその刃物に何らかしらの愛着あるのだと思います。傷んでしまった刃物を直すと同時に、傷んだ刃物を見て傷んだ人の心をも治してくれるのが刃研ぎ堂さんの砥石なのだと、つくづく感じました。

さて、我が家の包丁ですが、9年ぶりにプロの手によりメンテナンスされ、いただいた当時の切れ味を取り戻しました!家内はもちろん大喜びですが、気のせいでしょうか、何だか包丁も嬉しそうに見えるから不思議なものです(^^)

刃研ぎ堂さんの研ぎっぷりを動画で撮らせていただきました!是非ご覧あれ!

Michael Jacksonの最後の授業。それは『Professionalの仕事』

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昨晩、レイトショーでMichael Jacksonの「THIS IS IT」を観てきました。終わった後にスタンディングオベーションが自然と起こった映画は生まれて初めての体験でした。

そこに居たMJはリハですからきっと歌声は6割、ダンスは5割くらいに意識的にセーブして練習しているように思いますが、それでも『圧倒的』です。そこに手抜きはありません。近年は、ゴシップ、裁判沙汰、奇行、興味本位もしくは金銭目的でプライベートもズタボロにされていたことを知らない人はいないでしょう。「Michaelは終わった」「Michaelは過去の人だ」「Michaelと言ったら整形と奇行」「今のMichaelが歌えて踊れると本当に思えるか?」等々、様々な報道が在りましたが、この作品を観れば、そういった発言をした人は恥じ入ることでしょう。セーブしていながら、これほどまでに圧倒的な歌声、50歳とは思えぬ圧倒的なダンス・・・この人は本当に亡くなってしまったのか??開始から本当に涙が止まりませんでした。きっとこの作品の音楽的な部分は多くのメディア・ブログに書かれるでしょうから、少し違った視点でこの作品を観てみることにします。

私は、1987年9月13日(当時12才)Badツアー・1988年12月24日(当時14才)Badツアー・1992年12月24日と31日(当時18才)DANGEROUSツアー・1996年12月15日(当時22才)HIStoryツアーとおそらくMJが来日したツアーはほぼ全て行っています。思い返せば1987年のBadツアーは私が人生で初めて行ったコンサートでした。私は最初に行ったコンサートで、世界最高のステージを観ることができた幸運な人間とも言えます。最初にBadツアーを観てから私の中でMJは別格の存在でした。私の中では、スーパースターといえばMJ以外にいません。MJのステージ映像、ショートフィルム・・・入手できる限りの映像を観てきましたが、ステージを作る舞台裏の映像は殆ど皆無だったはずです。MJがどういう姿勢で、態度で、ステージを作っていくのか?この映画はMJの仕事ぶり観ることができる貴重な映像です。

完璧主義者と言われていたMJですが、本当にその通りで、テンポ、リズム、無音状態の時の秒数、余韻の残し方、観客をどこで煽り、どこで焦らし、どこで陶酔させるのか、全てを丁寧に、微に入り細に入り、妥協無く作り込んでいきます。ネタバレしない程度に一部のシーンを取り上げます。キーボード担当との打ち合わせの際、「テンポが早い」「もっとじっくりと」と本当に細かく細かく何度も何度も要求するシーンがありました。イメージが伝わらない共有できないもどかしい所です。厳しい口調で高圧的に言うこともできたでしょう。しかしMJはそうしませんでした。口調はあくまでも穏やかで、一緒にベストなステージを作りたいという情熱を込め丁寧にイメージする音を言語化し伝えようとします。キーボード担当もその情熱に応えるべく、何度も何度も繰り返し、「マイケルにしかそのイメージはわからない。もっと具体的に言ってくれ」と食い下がります。結果、確かに素人が聞いても最初よりも良い演奏、MJらしい豊かな音になります。数々の有名アーティストと競演してきた天才ギタリスト、オリアンティですら同様です。彼女の渾身の演奏を「もっと高音を!ここは君の見せ場だ!」とより高い次元、素人が聞いても圧倒的な演奏へと一段階も二段階も上に引き上げます。ダンサーも皆、超一流ですが「Billie Jean」では子供のように目をキラキラさせ、MJのダンスを目に焼き付けた後のパフォーマンスでは更なる高みのダンスを観せてくれるようになります。

「真のProfessinalの仕事とは、全体を俯瞰しつつ、細部にまで目を行き届かせること。周囲の人間には「愛」を持って接し、丁寧に熱心に、忍耐強く接すること。諫言には謙虚に耳を傾け、自分が先頭に立って未知なる領域を切り開き、そしてその未知の領域に全員を連れて行くものだ」と全ての仕事に通じるProfessionalのあるべき姿勢を、映像を通じて身をもって教えられました。そんじょそこらの自己啓発書を読むより、この映画を観た方がよっぽど”仕事”というものを見つめ直せるのではないかとさえ思いました。

何よりも、児童虐待裁判の際、全世界が敵に回ったような、一般人には想像すらできない壮絶な苦境を経験し、多くのバッシングを浴び、プライベートを踏みにじられ、心がズタズタに踏み荒らされたはずのMJは最後まで「L.O.V.E LOVE」と全世界に、全世界の人々にこのメッセージを発信することを止めませんでした。それどころか「全世界の人々に感謝している」とさえ言います。そんな私たちとは全く別の次元の本当の意味で豊かでどこまでも懐の深い、素晴らしい人間性とその魂を持つMJを私は心から尊敬します。彼のような不世出な傑物、真のスーパースターはもう二度と現れないでしょう。私たちは彼が実現したかった世界、いつも歌を通じて、ダンスを通じて表現していた、人間のあるべき世界を実現するべく、小さくても確かな前進を続けていく必要があると思います。彼のように全世界に影響を与えることはできなくとも、一人一人ができることが何かあるはずです。

@haTshさんとの約束なので、超個人的MJベスト10を書いておきます。
  1. MAN IN THE MIRROR
  2. KEEP THE FAITH
  3. ON THE LINE
  4. SOMEONE PUT YOUR HAND OUT
  5. THEY DON'T CARE ABOUT US
  6. SCREAM
  7. GHOSTS
  8. JAM
  9. EARTH SONG
  10. BLACK OR WHITE
番外(^^;):WE ARE THE WORLD(DEMO)

MJの曲は全部大好きで、特にアルバム「DANGEROUS」には個人的に格別な思いがありますが、このところのヘビーチューンは上記の曲です。

この映画、通しリハの映像はないのかな?あるんだったら映画館で静かに観るんじゃなくて、武道館とかドームとかで叫びながら観たい!!

最後に、非常におこがましいけど、MJの3人の子供たちへ一言。
「君たちのお父さんは間違いなく素晴らしく美しい魂を持った偉大な人物でした。
このステージは君たちへ向けたお父さんの最後の授業だと思います。
お父さんの偉大さに押しつぶされることなく、堂々と前を向いて歩いていってください。」

HEALTH HACKS!の川田先生から返信キター━━(゚∀゚)━━

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どーしても気になって、エアロバイクのこととコーヒーのことを勇気を振り絞って川田先生にメールで質問したら、すごく丁寧なお返事をいただきました!!!超超超感激です!!!
感激のあまり、会社から投稿!(笑)

僕の疑問も氷解しました!!
まずは、エアロバイクじゃトレッドミルの代わりにはならないのか?という点
===
① エアロバイクでも、もちろん有酸素運動になると思いますし、ながら運動もできますので、よろしいのではないかと存じます。トレッドミルにくらべて、(上半身などをあまり動かさないので)使用している筋肉が少なくなり、消費カロリーはやや少なめになりがちになってしまいますが、気合を入れておこなえば挽回可能と思います(^v^)。
===
やっぱり気合と根気は重要ですね!押忍!!早速エアロバイクを買いに行かねば!!

次にコーヒーはコーヒーでも缶コーヒーは身体に良いのかなあ?という点
===
②コーヒーは、缶コーヒーでももちろん効果はあるはずです(その場合、ブラック無糖で!)が、いれたてのほうが、ファイトケミカルの活性がより強いと考えられますので、いれたてが飲める場合には、できるだけそちらをお飲みになってみてください。
===
缶コーヒーOK!!ヤッター!!これで朝、「どうなんだろうなァ」と気しながら飲まずに済みます!!!

川田先生、本当にありがとうございました!!さぁ、もうひと踏ん張り仕事がんばるぞ!!