私は、多くの大人から「忙しいとは言うな」と教わってきました。「忙しいという字は心を亡くすと書く。心が無くなっては人間ではないから、忙しいのはいけないのだ」とも教えられた覚えがあります。でも、今日、私にとってはもの凄く恐ろしいことが起こり、他の記憶の断片と繋げると妙なものが見えてきました。
GTDで言うところのINBOX、つまりアクションを起こすべきタスクですが、これがゼロになったのです。いや詳しくは、待ち状態の仕事はありますが、私がアクションを取らなければならないタスクがゼロになったわけです。
さて、喜ぶべきこのINBOXゼロ状態で、私が考えたこと。それは
「他に何か仕事ないかなぁ」
だったのです!間違いではありません。"喜ぶべき"INBOXゼロ状態に考えたのは他の仕事を探すことだったのです!気がついてゾッとしました。そこで一端デスクを離れ会議室に籠もり、仕事を探すのではなく、私の気に止まったもののメモの見直しを始めました。雑多なメモの中で目にとまったのは
・E-Mailの出だしはみんな「お忙しいところ申し訳ございません」って書いてある。そんなに忙しくないよ〜。
・TVで見るヨーロッパの人は皆のんびりしてるように見えるけど、アメリカと日本だけは常に忙しそうだ
・ゴミ山で働く少女。大変だとは言ったけど忙しいとは言わなかった。すごい。
・世界屈指の豊かさを得るためには、世界屈指の忙しさが必要なのか?
・「夏休み何したい?」「休みたい」当たり前だろそれ!?休み方を知らない?
・ヨーロッパのお父さんは家でカッコイイけど、日本のお父さんはなんだかなぁ。
・失業中はヒマだったけど、何か後ろめたかった。何でなんだろ?
・Todoリストはいつ頃何でできたんだろう?誰が始めたんだろう?
そして、自分の手帳を見返しました。営業だった頃に使っていたバーチカルタイプのシステム手帳(5年分)を見直したのですが、まぁ、見事にびっしりです。7時半〜20時半まで開いている時間は無し。その後も家でやる仕事の予定がびっしり書いてありました。休日も現場管理の仕事の段取りでびっしり。いつ休んでたんだ私は?
そして、今もまた、まるでびっしり仕事をすることを望んでいるかのように、ぽかっと空いた時間に"他の仕事"しかも自分がやらなくても良いかもしれない仕事を探して自ら入れようとしたわけです。明らかに異常事態だと思います。まるでヒマなことが悪いみたいじゃないですか?
思い返してみてあることに気がつきました。時間管理を扱った本は多く読んできましたが、その多くは「時間が空いていること」ではなくて「時間が空いていないこと」を問題にして、いかに時間を作って、より多くの仕事をこなすかということが書いてありました。もしくは、スキマ時間なる時間ですらもったいないから将来に備えて何か勉強でもしていなさいと書いてありました。
どの著者もこの忙しさへの抵抗法は提示せず、むしろ従順に多忙であることを誇りに思えとでも言わんばかり。メディアを見ても多忙な、その道の達人、睡眠時間も取れない医師の仕事ぶりを諸手を挙げて賛美し、疲労に効くドリンクやクスリのCMがエンドレスリピート。忙しさ=豊かさ。忙しさ=幸せ。忙しさ=正義。言い過ぎを恐れず書くと、これではまるで仕事してない時間、勉強していない時間、ヒマな空き時間を持っている人は罪人であるかのように感じてしまいます。この不安、スキマ時間不安症、空き時間不安症とでも呼ぶべき不安症状に効く処方箋はあるのでしょうか?何もしなくて良い時間というのは本当に要らないものなのでしょうか?
そんなことを考えていたら、中学生の時に読むのを挫折した一冊が脳裏を過ぎったので、今日買ってきました。ヘンリー・D・ソローの『森の生活』です。「私がこの本を書いたのは-正確には多くの部分を書いたのは-いちばん近い人家から1マイルほど離れたマサチューセッツ州コンコードの森に入って、ひとりで暮らした時に」書かれたという言葉で始まるこの本。理解できなかった本リスト(ここでもリストというのが癪ですが!)の2番目にありました。年末年始休み、森に一人で入ったように、中学生の時には手も足も出なかったこの本ともう一度じっくり時間をかけて格闘してみようと思います。時間に追いかけられることもなく、時間を追うこともないウォールデン池の畔のような時間を確保して。どうやらヒマな時間も有意義に使わねばならないようなので(苦笑)
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