そろそろ「知的生産」について語るの止めませんか?

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あちらこちらで「知的生産」という言葉を頻繁に目にします。ナレッジワーカーなる言葉がドラッカーによって作り出されてから、猫も杓子もどんな仕事も「ナレッジワーカー」という側面があり、「知的生産」に関与しているのだなどとも言われています。「知的生産」をキーワードにした書籍も多数刊行されています。いくつか読みましたが、発想法や整理法、表現法、ツールの使い方、文具の使い方、手帳の使い方、ノートやカードの使い方、効率的な情報収集のやり方・・・etc・・・な〜んてモノについてあれこれ言っているだけで、結局「知的生産って一体何なのさ!?」と個人的には思ってしまう書籍も少なくありません。「知的生産」という言葉を使うと何だか自分が賢くなったように思えるし、ちょっとデキる人みたいな感じがする不思議な言葉でもあります。

実際のところ、私には「知的生産」なるものが良く飲み込めていません。研究者の方が色々な情報を集め、分析し、論文としてまとめるということはイメージもできるし、理解もできるんですが、一般的なサラリーマンの仕事と知的生産というのがどうも素直に等式で結べないでいます。というより知的生産について考えるコトに意味があるのか?という素朴な疑問を持っています。

梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』では、知的生産というものを以下のように定義されておられます。

「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがらー情報ーを、ひとにわかるかたちで提出することなのだ」

ベルトコンベアで流れてくる部品のネジを締めるという単純作業も、どうやったら少しでも早く楽にできるかを考えれば知的生産でしょうか?そのアイデアが他の人にもわかる形=マニュアルになったら知的生産ですか?仮にそのアイデアを基にした機械ができて、機械に自分の仕事を取られちゃったとしても、自らの知的生産の成果だと誇らしく思うべきなんでしょうか?営業するのも、図面を書くのも、どう宣伝したら売れるかを考えるのも、店頭で手にとってもらう方法を考えるのも、企画書を作るのも、報告書を書くのも、始末書を書くのも、み〜んな知的生産みたいです。

そもそも、頭を働かせてない仕事なんてあるんでしょうか?「知的生産じゃないものって何?」って思うんです。それこそホームレスさん達が空き缶拾っていますよね?一番効率良く楽に集められる方法を考えて、みんなに教えて実行してたらそれも知的生産ってことですよね?私が路上で拾ってきた雑誌を売っていたときにエロ本の表紙にジャンプの表紙を貼り付けたら売れるって思いついたのも知的生産ですか?「知的生産」じゃない仕事が無いのであれば、もう「知的生産」について考えたって、語ったって、意味無いジャンと思うわけです。

知的生産性を上げる為に云々かんぬんしているヒマがあるなら、あるいは、知的生産性はどうやったら上がるかと空想しているヒマがあるなら、その時間を目の前の仕事を成し遂げることに割り振った方が良くないか?と思うのです。もうそろそろ「知的生産」について御託を述べるのは止めにして、今、仕事がある人が考えるべきは、「目の前の仕事にいつもベストコンディションで取り組むにはどうしたら良いか」だけに収斂した方が余程、知的生産性が上がるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?


蛇足(あまりに面白かったので)
We know that,
1.Time is money.→Time = Money.
2.Knowledge is power.→Knowledge = Power
3.Power=workdone/time.

→Knowlege=workdone/Money

Money=Workdone/Knowledge...

Assume Workdone is constant....

→Money is inversely proportional to Knowledge

So beware....
Dont learn too much….

2 コメント:

Unknown さんのコメント...

私見を述べさせていただきます。

知的生産という言葉は、アイデアの質を明示化するための手段に過ぎず、そのため、手段によってその人が幸せになるかも不幸になるかの結果も、知的生産を高めた仕事をしている人たちが何を得たいかによって決められていると思います。ただ、知的生産性が高いほうがその手の届く範囲が、広くなるに過ぎないと解釈しております。

そして、Kazumotoさんの反逆児シリーズをいつも楽しく読ませていただいている反面、常にどこかでもやもやを感じていたことなのですが、kazumotoさんのような反逆児の仕事術を実践するためには、高い知的生産性が必須条件だと感じてました。
七つの習慣から引用させていただくと、きこりという職業の中で、kazumotoさんは毎日手入れされた鋭い切れ味ののこぎり、他のみんなは、これまで一度も手入れをされてきていない錆び切ったのこぎり。これでは同じ体力を使ってもどちらが作業がはかどるかは明白ですよね。。。

問題は、手入れされていないのこぎりを使っている方に対して切り倒さないといけないノルマがあるのに、同時にこれまでの手入れをしていなかったツケを同時に払い続けるような余裕はあるのかということです。
この点の矛盾が一番の問題点であり多くの人が他人の真似をしても自分に実践できていない諸悪の根源のような気がしてなりません。

最後の方程式の解釈を利用して結論を述べさせていただきますと、“仕事の成果が上がらないのに知識を増やすとお金が減るだけですよ“と言っており、底からの学びとし”『成果が上がる』知識を見定める力をつけたうえで、知識を最低限身に付けて行けばお金は増えますよ♪“と言っているのかなと解釈をしました。


最後にお聞きしたいのは、もし、手入れされているのが世界トップレベルのビジネスマンで、それと比べてkazumotoさんののこぎりの質が劣っていたと仮定した状態で、そのビジネスマンに「お前ののこぎりは質が悪いから仕事ができないんだ」といわれたとして、kazumotoさんは今の仕事を最大限こなしつつ、その人ののこぎりまで同時に質を高められるようなストラテジーは考えられますか?

何か良いアイデアがありましたら、また関連してブログなどで掲載していただけると嬉しいです。

駄文失礼いたしました。
もし不快に感じましたらお手数をおかけしますが削除をお願いします。

Kazumoto さんのコメント...

純也さん、コメントありがとうございます!

なるほど・・・考えさせられますね。うーん。長考になると思いますので、少々お時間を下さい。

最後の私のノコギリの質が劣っていた場合ですが、私なら・・・チェーンソーに取り替えます。いや真面目に。

同じ道具を使って勝負にならないのであれば、勝負できるところまで如何に楽に到達するかを考えると思います。