東京駅を降り丸の内中央口を出ると、目の前には新丸ビルがそびえ立っています。1999年に旧丸ビルが取り壊され、2002年に新たに立て直されたものです。
解体当時、旧丸ビルには数社顧客が入っており、仮移転から、できあがってからの戻しの作業などの仕事をいくつか手伝わせていただきました。その仮移転を進めている際、興味深い話しを聞いたことがあります。
この「丸の内ビルヂング」は1923年、日本人初の英国公認建築士である、桜井小太郎氏の設計で、アメリカの会社と三菱が合弁で建てられました。地上8階地下1階の昭和戦前期最大のビルでもあり、当時は「東洋一のビル」と言われた、名建築物です。「舶来」「ハイカラ」「重厚」「荘厳」「モダン」そんな単語がイメージされるビル。柱に使われた石にはアンモナイトが埋まっていたりもしましたので、そういう意味では知的好奇心もかきたてるようなビルでもありました。(これは今も保存されているようです)
私は、仕事上、その奥の奥まで入ることが出来たのですが、その作りは実に見事なものでした。裏方の部分にも妥協がないというのが素人目にもわかる作りです。勿論配線などは時代の進化に無理やり合わせたことがバレバレの酷いことになっていましたが、建築そのものは美麗で頑強なものでした。当時仕事で手伝わせていただいていたお客様からは、「知ってる?丸ビルのドアノブは世界一頑丈なんだよ。これだけ経っているのにガタひとつないんだよ」と言われました。他のビル、所謂”木が3つ”の貸しビルなんかですと、数年でがたついたりしますので、コレは驚異的なことです。ノブはアメリカの会社のものだとのことでした。
また、地下配電盤の確認をしていた際には、「こういう建築物は今ではもう出来ないって知っているか?」と職人さんに言われました。材料とかの問題なのかと思いきや、さにあらず「当時このビルを造った職人の多くは会社に属していた人ではなく、腕一本で食っていた人たちだったらしい。要は作ろうと思えば何でも一人で作れる人たちが集まったわけだ。ひとりでそれだけの高度な技術を持っている職人が、もういないんだよ」と言われました。
突っ込んで聞くと、真実か否かはわかりませんが、皆大きい建築会社から合理化を求められ、仕事は徹底的に分業化し、オールラウンダーというような人はどんどん少なくなってしまったとのことでした。今のこのご時世で、オールラウンダーが良いのか、スペシャリストが良いのか、一言では断じられませんが、恐らく当時の職人さんは徹底的に現場主義で、基礎から装飾、竣工まで全てをこなせる技術と現場で磨かれた確かな腕を持っていたのでしょう。
合理化・分業化は現代社会を牽引してきた重要なワークスタイルだったのかもしれませんが、それ故退化してしまった、亡びてしまった技術やワークスタイルがあるのかもしれません。
ちなみに・・・現在の新丸ビルは低層部分をわざわざ旧丸ビル風に仕立てあげていますが、どうにも違和感が拭えません。かといって、現代最先端の大規模高層建築に美を感じるかというと全然そんなことはないのですが。もう用途に忠実に無駄なく作られ環境に調和した、旧丸ビルのような圧倒的な美しい建築物は造れないのかも知れません。
2 コメント:
半導体の記事でも見かけましたが、分業が進むと、全体のプロセスが見えなくなり、正しいオペレーションが誰の目にも分からなくなるという問題点が指摘されています。
全体の分かる人が必要なのにそれを育成しなかったツケが回っているのが、失われた15年の現実ではないか、そう思い始めています。
技術以外でも、販売面でも同じことが言えるでしょう。営業だけしか知らなかったり、製造しか知らなかったのではだめでしょう。営業から、SCM、経理まで仕事の流れとお金の流れが理解できていなければならないのに、あちこちで専門バカがうまれ、組織によどみが生まれてしまってます。それが日本の組織の現実なのでしょう。
tirranoさん
コメントありがとうございます。全体をオペレートできる人材がいないというのはどの業界でも同じようですね。お医者さんなどもそのようですし。
組織の淀み、濁りの発生源が朧気に見えたような気がします。
ありがとうございました!
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