「先送り」防止対策『考える前に動け』
私は「先送り」をする人の心理が今ひとつ良くわからないのです。私にとって、先送りとは『気持ち悪いこと』なので、とにかく着手しないと気が済まないというのは以前のエントリーでも書きました。なんで短期の仕事も長期の仕事も先送りせず、滞りなく回せているのかを良く考えてみたのですが、気づかぬ内にそれなりの予防策を講じていることがわかったので"Share and Enjoy"の精神に則り、つれづれに書いておきます。
先送りは面倒くささから発生するようだ
私の肩書きは「情報システム担当」というものですが、その実、総務や庶務的な仕事も多く、やれ「蛍光灯が切れた」だの、「テプラのテープが無くなった」だの、「製品のデータを測定してくれ」だの、といった所謂雑務がドカドカ舞い込みます。蛍光灯が切れたなら交換すれば良いだけだし、テプラのテープがないなら買ってくれば良い。測定だったら測定器を立ち上げて測定すれば良いだけです。が、なぜか皆これらのことを「めんどくさがって」ぐずぐずいつまでもやらない。だから「先送り」という事態が生じるようです。しかし、私はこれらの仕事がやらなければならないことであれば、それに対する心理的障壁が低いので、あれこれ考える前に「今すぐにやる」ということが習慣化してしまっています。従って基本的に「めんどくさい」から後回しということは殆どありません。まぁ良い意味で尻軽なのですね
(体調が悪いときは、どうしても行動が起こせない時があるので「殆ど」としておきます(^^;))
予防策1.予備の空白時間を意図的に設けておく。
どう頑張っても、その日中には終わらない仕事も厳然としてあります。そこで、今週中というスパンで考えた時に、私は必ず半日分のバッファを事前に確保するようにしています。
私は一日を9時~12時の午前中の部と、13時~17:30の午後の部の大きく2つに分けて仕事を組み立てているのですが、木曜日の午後の部は「バッファ」とし、アポイントも何も入れない空白の時間帯としています。そしてその週の内に投げられて、打ち返しきれていない仕事はこのバッファ時間でたとえポテンヒットであろうとも打ち返すようにしています。
なぜ金曜日ではないのかというと、何故か先送りの癖のある人は、金曜日になって仕事の依頼をしてくる頻度が高いからです。従って、金曜日は翌週の仕事の「予約」が入る日であると考えて、その前に片付けるようにしているわけです。
予防策2.長期タスクは週単位でPDCAサイクルを回す
長期に渡るプロジェクトの管理というのが問題が起こりやすい仕事に変化しがちです。仕事である以上、やらねばならないことでしかないはずです。しかし目先の仕事に追われて大事なプロジェクトにも関わらず、後回しになるケースが殆どでしょう。で、最終的にはデッドラインギリギリに何とか片付けたは良いけれど、後で火消しに追われるという悲惨な有様になるのがお決まりのパターンです。自分一人で完結するタスクであれば良いのですが、やっかいなのは長期スパンのタスクは他者が介在してくることです。そして長期を見渡せる視野のある人は案外少ないというのも問題です。
長期スパンのタスクをこなす肝はどれだけ細かく切り分けられるかだと仕事術系の本には載っています。これに習って、私はココでも週単位で予防線を張っています。具体的に言うと、月曜日の午後13:00~14:00は長期プロジェクトの進捗チェックに奔走するようにしているのです。皆を集めて会議なんて悠長なことはしません。自分が聞きに行くのが一番速いからです。そこで集めた宿題が今週の私のタスクになります。これを1ヶ月4回やれば他者が絡んだ、今月中が〆切の仕事はほぼ問題なく終わります。また、1年は53週ですから、これを53回繰り返して進めていけば、年間で成し遂げねばならないプロジェクトもほぼ終わります。
要はPDCA(Plan/Do/Chack/Act)サイクルの内、PとCを毎週月曜日に確認し、週の残りの日はDとAをやれば良いと言うことになり、PDCAサイクルがちゃんと機能するようにしているわけです。
私はPDCAサイクルを回す肝はスピードと仕組みだと思っています。Planを作ったら作りっぱなしでDoに行かない、DoをしてもCheckをしない、CheckがないからActができない。3つも難所があるわけです。しかし、少なくとも週1回、Planの再確認、Checkの依頼と確認をしていくだけで、自然と回るようになると思っています。人を動かすにはどういうわけか、自分が動くのを見せた方が皆、協力的になるようなので、自然と身体が動くように毎週同じ時間帯に動くようにしているわけです。
まとめというか雑感(^^;)
先送りが癖になっているような人をみていると、「先送りする、もっともらしい理由をあれこれ考えるくらいなら、今すぐ動いた方が効率よくないか?」と思ってしまいます。もちろん仕事ですから、今、非常に切羽詰まった状態で、すぐにアクションを起こせないケースもあるとは思うのですが、その切羽詰まった仕事が終わったら「すぐ」着手すればよいのに、何故かやらない。これが私からすればとても不思議で解せないのです。
お客様の立場になって考えれると良いと思うんですよ。「別にいつでもいいけど頼むね」と言われた仕事を、その日か、明日に出したら「大したヤツだ」と思われるでしょう。でも2ヶ月も先に出したら呆れられるでしょ?やっぱりスピードは顧客満足に直結するファクターの一つでしょうし、仕事の誠実度を測る物差しにもなると思うのです。もちろん「正確さ」も必要なファクターだとは思いますが。
大江健三郎氏の小説のタイトル『見るまえに跳べ』に習えば、『考えるまえに動け』とでもなるでしょうか。重箱の隅を突くようなディテールにこだわって、動けなくなっているくらいなら、80%程度でエイヤっと提出しちゃった方がグズグズしているより、よっぽど良い方向に仕事が転がるチャンスが増えると私は思います。
刃物を直す砥石、人の心も治す砥石

生活に密着した道具の中のひとつに「包丁」があります。それこそ100均で売っているものから、有名ブランドまでこれまた沢山の種類がありますが、我が家では、結婚記念としていただいた老舗の包丁メーカー「木屋」の包丁を愛用しています。刃物のメンテナンスは私の個人的な趣味でもあるのですが、刃研ぎのプロ、「刃研ぎ堂」さんという職人さんの存在をついこの間知りました。流浪の刃研ぎ職人と言えば良いのか、あちこちに出向かれて、小さな露店を広げ、その場で研ぐという独特のスタイルで仕事をしておられます。私が研ぐのはあくまで趣味。プロの研ぎ方とはどういうものか、興味津々でして、たまたま今日、近所に来られることを知ったので、ワクワクしながら、お願いしてきました。
やっぱりね、プロの仕事は違います。本当に小さな露店ながら、砥石等の道具は使いやすいように整理されていますし、研ぐ手つきもとても綺麗。当然刃物の蘊蓄も楽しくて、スパっと切れるものだけが良いのではなく、少しバリを残した方がトマトの表面で滑ることなく切れるようになる等、目から鱗の話しを聞け、しかもその場で実演していただくことができました。
爺ちゃんの"ゴム紐"仕事術
どういう意味かというと、朝5時ジャストに起きて、7時ジャストに出勤し、19時30分近辺に帰ってきて、23時ジャストに就寝するというのが平日のスケジュールだったそうで、忘年会や送別会などのとき以外、この時間が狂ったことは無かったそうです。会社帰りにちょっと一杯というのもほとんどゼロ。休日には一切、外食もしない人だったそうです。(私も祖父とは山で食べた以外、外食の記憶がありません)
ゴムはビヨーンと伸ばしても、必ず戻ってきます。それと同じ様に会社に行ったら、必ず19時30分頃に帰ってくるので「ゴム紐のようだ」と例えたのです。なかなか洒落た例えだと思います。
山が好きだった祖父は、休日は結構勝手気ままに出かけていたそうですが、旅先であっても5時起床は変わらず、寝るのは23時だったと祖父の山仲間が言っていたそうです。確かに大晦日でも変わらず23時前になると「寝よう」と言われてTVが見れず悔しい思いをした記憶があります(^^;)
また、祖父の性格を象徴する出来事として、結婚すると報告をしに家内と訪れた時、祖父の書斎にあるビデオテープやアルバムの背表紙「全てに」テプラテープがピシーと貼られている様に、家内は何よりも驚いたと言います。また旅行先で民芸品を集めるのが趣味だったようなのですが、各地のこけしなどもどこのお店でいつ購入したものなのか、小さなプレートが前に飾ってありました。コーヒーを淹れることくらいしか家事はしない人だったのですが、自分の空間は、常に整理整頓していて、何事もキッチリしていないと嫌な人であったようです。
なんでこんな生活をしていたんだろう?と考えてみると、7時ジャストに出勤したら地理的に8時には会社に到着することになります。始業は9時からだったそうですから、「前業」をしていたのでしょう。
また、19時30分に帰り着かねばならないというのはきっと、一日のデッドラインを設けることに他ならないでしょうから、所謂〆切効果で、仕事の処理速度を底上げしていたと考えられそうです。
さらに、帰ってきたら寝るまでの時間を大事にし、ストレスレベルを下げていたのかもしれません。
仕事にデッドラインを設けるとは吉越浩一郎氏などが声高におっしゃっていることですが、祖父は少なくとも最低27年以上前からやっていたことになります。高度成長期の日本で今でも十分先頭を走れるであろう「脳の活動が活発な朝に仕事をして、残業はしない。整理整頓を徹底し、デッドライン仕事術を実践し、自分の時間もたっぷり確保する」仕事術を淡々と行い続けるとは!「やるな!爺ちゃん!」と思います(^^)/
そんな祖父の血を引いているからか否か、私の普段の生活も起床から就寝までが概ね規則正しいものになっています。祖父同様、忘年会や送別会、若しくはセミナーなどに参加しない限り、毎日ほぼ同じ時間の使い方です。いつも刺激的な出来事に出会う生き方も楽しいでしょうが、メンタルコントロールという視点で考えると、できるだけ毎日同じリズムで静かに暮らすことの方が、心に余計な波を立てず、平穏で居られるというメリットがあるのではないかと思います。
「最近疲れているな」とか「最近なんかイライラすることが多いな」とか「ちょっと落ち込み気味だ」とか言う人は、1週間ほど、"超"規則正しい生活をしてみてはいかがでしょう?一切、寄り道もせず、情報のインプットも最小限に抑え、とにかくメトロノームのような正確なリズムで生活をしてみると、さざ波が立っていたメンタルは静かな湖面のような様相に変わるかもしれませんよ。
@mehoriさん&@nokibaさんの予言的中!2010年はe-Book元年だ!
という一言でした。@mehoriさんと@nokibaさんのお二人が口を揃えて言うのだから、きっと本当にそうなるのだろうと思って、AmazonのKindleを買おうかどうか、セミナー以降ずーっと悩んでいたのですが、昨晩真打の登場で、この予言は本当だったことが裏付けられたと思っています。
この端末の登場で「iPhone情報整理術
あ、iPadはスーツのポケットにはどうやっても入らないや。手ぶら派返上するしかないかなぁ??
「こうはなりたくない!」という目標

夢や目標や希望、ミッション・ステートメントというと、ポジティブに登る山を決め、頂上を目指し迷い無く登るアプローチで、登りたい山、至りたい頂上が見えない、見つけられないもしくはわからない、私みたいな者にはとても難しいと決め込んでいたのですが、そうではなくて「こうはなりたくない」「こういう大人にはならない」といった方向から生じる「欲」、ネガティブな想いにあえてスポットライトを当てることで、登る山を選択するというアプローチもあるのではないかと思ったのです。
こういうアプローチであれば、私にも幾つかの指針がありました。
「身だしなみには常に気を配る」
→身だしなみの汚い大人はどうも尊敬できない
「粗野な振る舞いは慎む」
→粗暴で粗野な振る舞いの人はどうも尊敬できない
「身の回りの整理整頓を心がける」
→乱雑な生活、乱雑なデスクの人に仕事は任せられない
「自分のことは自分でできるようにする」
→家内に任せっぱなしのような人間にはなりたくない
「嘘をつかない」
→嘘をつかなければならない人間にはなりたくない
等などです。
「こうはなりたくない」からそうはならないように努力しようという『目標』の有り方も成り立つのではないのでしょうか?至極当たり前のことかもしれませんが、トップダウン型の書籍でも、ボトムアップ型の書籍でも、あまりこうしたアプローチは見かけないように思います。私が読み落としているだけかもしれませんが。
だとすると、「今の若い人がふてくされて反抗したくなる気持ちも良く分かる」と先般のエントリーで書きましたが、何も「環境破壊をオレが止める!」とか「核廃絶をオレが成し遂げる!」「日本経済を立て直す!」とか大上段に構えたものだけがミッション・ステートメントではないと捉えたほうが、多少なりとも伸び代のある思考と言えそうです。
「今ふてくされる気分にさせる大人たちのようにはならない」「今反抗したくなる大人たちのようにはならない」、『だから自分はこういう人間になるんだ』と決めたなら、十分にミッション・ステートメントになりえるでしょうし、身近に目標となる人間がいないのであれば、その目標にできないと思う人には一体何が足りないのか、何の要因がその人に魅力を感じさせないようにしているのか研究し、自分が他者からそう思われず、目標とされる人間になることを『目標』とする目標の決め方もありだと思ったのですが、いかがでしょうか?やはりどこかセンチメンタルすぎますかね?
私たちは何故か人の粗を探すのは得意な生き物のようですから、「こうはなりたくない」という人なら、いっぱい目に入るはずです。そうであれば、その逆を行くには今何をすべきなのか、自分はどう在ったら良いのかを考えるきっかけは沢山あることになります。私も残念ながら「目標としたくない人」の心当たりは数人います。彼らを反面教師にして、その逆に行くことを具体的にイメージしてそれを目標に、今、進められる一歩を着実に進めていきたいと思います。
モノを減らすアプローチ〜場所を無くす〜

不満はともかく、思わずなるほど!と膝を打ちました。これは一考に価する言なのではないかと。「スキマ収納家具」「上手な押入れの活用法」挙句は「見せる収納(これ収納って言っていいの?)」などの特集が組まれ、収納の達人が膨大な量のモノを一定の空間にまるでテトリスのように上手いこと詰め込んでいく様子が人気です。これらを勘案すると、どうやら人はスペースがあると埋めたくなる心理というのがあるんじゃないかと思いました。
私は心理学者ではないので、本当にそういう心理があるのかはわかりませんが、乏しい知識から引っ張り出すと、ゲシュタルト心理学の中の「閉合の法則」ってのが近いのかなと思いました。要は欠落部分を感覚は知らない間に埋めるってヤツですね。ゲシュタルトという単語はMindMap講習会でも出てきました。空欄のブランチがあると、そこを埋めようと脳が連想し始めるというような内容だったと記憶しています。
Leo Babauta著『減らす技術 The Power of LESS
しかし、一度チャレンジして、相当な数のモノを捨てたはずなのに、何故かまたモノが増えている・・・という思いをされている方も多いのではないでしょうか?「劇的ビフォーアフター」というTV番組がありましたが、皆、尋常ではない量のモノをもっていたのが、印象に残っています。あれはきっとリフォーム(というかほとんど建て替えだよね?あれは。)をしたところで、元の木阿弥なんだろうなぁとも思います。
そこで、家内の一言です。そもそもモノを減らす前に、「モノをしまう場所」や「モノを置く場所」を無くしちゃえばどう?というアプローチです。(床に置くのが常態化しているゴミ屋敷系の人は除外しますww)こうすれば、「欲しい!」と思っても、何しろ収納したり置いたりする場所がないのですから、「じゃぁ、その代わりに何を手放すか」を嫌でも考えざるを得なくなり、結果モノが増えずにすむのではないか、こういうアプローチも効果的なんじゃないかと思ったのです。
これはオフィスの整理にも有効そうなアプローチです。例えばラテラルキャビネット1段分は割り振ってあげるけど、それ以外にモノを置いてはいけない。机の上にモノを出しっぱなしにしてはいけないというルールが出来れば、嫌でも残すべき書類とそうでないものを峻別せざるを得なくなるという仕組みが作れそうです。
幸いにも(?)我が家は二人で生活していくのに必要最低限なスペースしかないので、無理にモノを買って置くことはできませんが、では実際、どれくらいの量が適当と言えるのでしょうか?
松浦弥太郎氏は著書『今日もていねいに。
P122
(ものと自分を)いつくしむ方法は、一日一回、さわること。(中略)僕が本や服を少ししか持たないのも、自分が毎日さわってあげられるものには、限りがあると知っているためです。これを裏返しに考えれば、ほんの少しの選び抜いたものだけ持つのであれば、毎日さわることも可能ということです。
では、常に触れて状態を確かめられる選び抜いたものの数の上限はいくつくらいでしょうか?Leo Babautaは『減らす技術』の中でこう書いています。
P33
家の中がものだらけ?200アイテムまでに抑えよう。
とりあえず、目標は200アイテムということになりそうです。絶対譲れないモノも入れて200アイテムまで絞り込む。基準は、毎日触れることが出来るもの。そうやって身の回りを見渡してみると、意外にまだまだ随分長いこと触っていないモノが多くあると思います。収納スペースそのものを無くし、毎日触れることができていないものは捨てていくという整理の手法も面白いかもしれません。
先日ブログ「IDEA*IDEA」で「自分が持っているものを全部のっけたポスター」という記事がありましたが、あのポスターのように自分の所有物を一望できるところまで持って行けたら、モノとのつき合い方は全く変わってくるのではないかと思います。ということで、密かに自分プロジェクトとして全ての所持品の写真を撮るというのを毎日地味に続けています。今年中に終わるのかなぁ??
書き留めることの原点と、『頑張る』の基準

あなたの大切な人が白血病と診断され、余命478日と宣告されました。
その時あなたは何をしますか?
架空の話しではありません。これは実際の話です。満田丈一郎君という少年がわずか7歳で白血病と宣告され、478日間に及ぶ闘病の様子がドキュメンタリーとしてTVで放送されたことがあります。さて、先ほどの質問です。愛する息子が白血病と宣告された時、お母さんが取った行動は「日記を付けることとビデオを撮ること」でした。このドキュメンタリーはその日記とその映像をベースに構成されています。
ユビキタス・キャプチャーという言葉はもはや有名なものになりましたし、『大事なことはすべて記録しなさい』『「結果を出す人」はノートに何を書いているのか』『情報は1冊のノートにまとめなさい』など、記録することの大切さを扱った本も相次いで刊行されています。しかし頭で分かったつもりでも、いざやってみると続かないという声も多く耳にします。
「大事なことを記録しろって言われても大事なことなんてそんなにないよ!」という人もいます。でもそれは本当ですか?
私の妹と甥っ子は既にこのブログの幾つかのエントリーで書いたとおり、殺されてしまっているのですが、今一番、私が悔いていることは、甥っ子の写真のあまりの少なさ、妹の記録のあまりの少なさです。
本当に毎日、出産の知らせを聞いて病院に駆けつけた時に撮った二人の写真を見ていないと、まるで最初から居なかったかのような錯覚に捕らわれ、遺体が発見されてからのほとんど狂ったような自分の殴り書きのノートを見ないと、本当に殺害されたのか、あの悲惨な現場は本当にあったことなのか、妹と甥っ子の死に顔すら、どんどん記憶から薄れていってしまうのです。妹が、甥っ子が自分の中から消えて行ってしまう感覚というのは本当に恐怖以外の何物でもありません。
もちろん忘れたい記憶というものもあるでしょう。しかし、今日普通に夕飯を共に食べた家族が明日は居なくなる可能性だってゼロではありません。その時、今日の夕飯で話した会話を覚えているでしょうか?その会話の時の顔は笑顔でしたか?楽しい話題でしたか?あなたは相手にどんな言葉をかけましたか?今日の夕飯はどんなメニューでしたか?これらをもし忘れてしまっていたとしたら本当に後悔しませんか?
こう考えると、ユビキタス・キャプチャーという行為の重みが腑に落ちると思います。大切かどうかは分からない、だけれども未来で振り返った時、今日という日の記録が何も無いというのは本当に恐ろしいことです。これは実体験ですが、たとえ記憶の欠片が残っていても欠片以上にはディテールを呼び起こせないのです。例えば私には幼い頃、家族で行った旅行の記憶。朧気な記憶の欠片があります。しかしそれが、いつのことなのか、どこに旅行に行ったのか、どこに泊まったのか、その日のメニューは何だったのか、妹は笑っていたのか、父や母は笑顔だったか。写真一枚すらないと、もうその朧気な記憶だけを何とか忘れないように、書き記しておくことしかできないのです。本当にあったかどうかもわからない記憶をね。このエピソードに少しでも恐怖を覚えたならば、ノートばかりではありません。今でしたらEvernoteに毎日日記を溜めていくのも、毎日写真を溜めていくのも、毎日音声を残していくのもとても有効な手段です。今すぐ始めるべきです。
先の満田丈一郎君のお母さんは、刻一刻と死が近づいてくる我が子の笑顔、様子、具合、苦しみ、悲しみ、愛おしさ、強さ、優しさ・・・何冊ものノートに書き付けた走り書きの文字の端々から、何とか残そうとする、その必死さをうかがい知ることができます。人がペンを走らせて何かを必死で記録する。その原点のようなものをこのドキュメンタリーから見ることができます。
そして、当事者の丈一郎君です。彼も非常に大きなことを正に身をもって教えてくれます。それは何か?「頑張る」とはどういうことかということです。
これは文章では説明のしようがないことなので、下記のリンク先の動画を見ていただきたいと思います。私は、ここに記録されている丈一郎君の姿こそ「頑張る」ということを体現していると感じます。
巷には何かにつけて「俺は頑張ってる!」「俺は精一杯努力している」という人がいます。でも、その頑張りは、丈一郎君の頑張りと比べたらどうでしょう?丈一郎君の頑張りと比べて、それでも「俺は頑張っている」と思えたらあなたは本当にスゴイ人です。 そうでない部分があるのであれば、それはまだまだ丈一郎君の頑張りには届いていないということでしょう。
丈一郎君は激痛に耐えに耐え、4ヶ月もの間絶食させられ(点滴からの栄養補給のみ)、想像を絶する苦しみの中にあっても尚、自分のことよりも、お母さんを思いやり、妹を思いやり、周囲を思いやり、精一杯笑顔を絶やしませんでした。さて、わずか8歳の少年がまるで菩薩のような慈愛を持って周囲と接するように、私は(あなたは)周囲の人々と接しているでしょうか?そして彼と比肩するほど「生きることを頑張っている」でしょうか?
「そうは言うけど、状況が違うよ」そう言われるかもしれません。しかし、もし自分が丈一郎君の立場だったら、彼のように激痛を堪えて、妹に優しく、お母さんに柔和に対応できるでしょうか?骨髄を取る注射を何回も刺されるのに耐えられるでしょうか?おそらく殆どの人が「無理だな」と思うと思います。丈一郎君の頑張りを見たら、軽々しく「頑張っている」とは言えなくなると思うのです。少なくとも私はそうです。ですから、私は丈一郎君の「頑張り」を【「頑張る」ということの基準】と捉えています。頑張ってるかどうかは、丈一郎君の頑張りと比べてどうかという視点で判断するようにしているわけです。
丈一郎君のお母さんのように、大切な人の今日の笑顔を、今日の言葉を記録していますか?
丈一郎君のように「生きることを頑張っている」と言えますか?
Dairymotionの動画をどうやって貼り付ければ良いのかわからないので(^^;)直接URLを書いておきます。
1/5
http://www.dailymotion.com/video/x82mx7_yyyy-yyyyyyyyyyyy15
2/5
http://www.dailymotion.com/video/x82nf3_yyyy-yyyyyyyyyyyy25_shortfilms
3/5
http://www.dailymotion.com/video/x82ot9_yyyy-yyyyyyyyyyyy35_shortfilms
4/5
http://www.dailymotion.com/video/x82ozn_yyyy-yyyyyyyyyyyy45_shortfilms
5/5
http://www.dailymotion.com/video/x82pgb_yyyy-yyyyyyyyyyyy55_shortfilms
パスワードでマインドハック!

WindowsでもMacでも良いのですが、皆さん、会社のPCの起動時のパスワードってどうしています?会社のシステム部から押し付けられた、複雑怪奇なパスワードなのかもしれませんね。(もちろんセキュリティ面ではその方が良いことでしょう)しかし、当社のシステム担当は私なので(笑)、他社さんとは、ちょっと違う設定方法を取っています。
「ganbarouzeore」-がんばろうぜ俺-
「sengikouri」-先義後利-
「yorihayaku-yoriseikakuni」-より速くより正確に-
「kyoumoichinichiegaodesigoto」-今日も一日笑顔で仕事-
な~んて人もいます。
「nonbiri-murisezu-teijidekaeru」-のんびり、無理せず、定時で帰る-
いや、本当は座右の銘にしたいんですが、長すぎて入らないので(という言い訳ww)
Moleskinにペンホルダーを装着!

まずリフィルをモールスキンの縦幅137mmに合わせてカットします。(ペンを挿した状態で確認しておかないとペンが下に行きすぎたり、上に出過ぎたりと言った不具合が生じます!)横幅はユーティリティポケットの奥行き=83mmのところにカッターでけがき線を入れ折り目とします。けがき線の上にビニールテープを貼って分離防止&補強をします。

あとはけがき線のところをぐいっと二つ折りに曲げ,短い片側をユーティリティポケットni差し込めば完成です。差し込み式じゃなくて,ポケットに貼り付けた方が早いし良いかもしれませんが,こうしておけばMoleskineの代替わりの時にそのまま流用できるというケチケチ発想からこうしました。

しかし、残念ながらこのBindexのペンシルホルダーリフィルは多色ボールペンが入りません。JetStreamは単色ですらグリップゴムの部分が引っかかって入らないという大問題があります。これは由々しき問題です。
そこで、ちょっと発想の転換。ペンシルホルダーの上下方向を逆にしてペンを挿し込むというプチHackを開発しました(そんな大げさな物じゃないですねww)多色ボールペンの中でもグリップゴムが薄いPILOT HI-TEC-C Coletoの4色軸だと、グリップゴムの部分が落下防止にもなってくれて、丁度良い案配になりました。
Moleskinにペンを挿したいなぁ・・・とお思いの方のご参考になれば幸いです!
愛着品紹介011-食器3種-

日々の食卓で絶対欠かせないのが、ご飯茶碗、汁椀、箸です。おかずのお皿は家内と共用で使いますが、この3つは共用することはないので、自分が心底気に入ったものを使うと決めています。毎日使うものなので、My基準を3つ決めてあります。まず見て美しいこと、次に実用性が高いこと、最後に作った人の顔が見えるものであること。要は100均やスーパーで売られている物は買わないよってことですね(^^;)
今は写真の3種を溺愛しています。
○ご飯茶碗
陶芸家、鈴木りょうこさんの作品。イタリアの陶芸家GIOIA SULASさんに師事し、現在埼玉県内で陶芸活動をされていらっしゃいます。
GIOIA SULASさんはイタリアの陶芸家ですが、日本の陶器に魅せられ、イタリアで独自のオリエンタルな作品を作られています。そこへ日本人である鈴木さんが飛び込み修行を願い出たというのですから、実に興味深い話しです。
鈴木さんの作品とは、昨年末の鬼子母神神社「手作り市」で出会いました。もうね、遠目から作品のオーラが違うんですよ。女性らしい繊細さ、でもがっしりとした力強さ、土の美を引き出した、優しいセンスとでも言うのかなぁ。とにかく本当に美しくて魅力的な茶碗です。
しかもとっても実用的な工夫が施されています。口をつける部分が返し(外側に反ってる)になっているので、とても持ちやすく、また口当たりがとても良いのです。これでお茶漬け食べたら2割増しの旨さは保証できます(笑) ご飯をよそうと、何というか、ふわっとしてる感じがするんですよね。お米が。これがホントに嬉しい!
もうぶっちぎりでオススメな陶芸家さんです!
○汁椀
槐(えんじゅ)の木で作られたお椀です。山形県の幸林工芸さんというお店のもの。槐の木は「延寿」と呼ばれることもある縁起の良い木なのですが、材質が堅く刃物がすぐ切れなくなり、加工するのに大変高度な技術と手間がかかる木です。
そんな槐の木目の美しさを見て楽しめ、使えば丁寧に塗られた漆の何とも心地よいこと!
この椀は足の部分に一仕事施してあって、単に足が丸くなっているのではなく、凹ませてあります。(う~ん伝えづらい)その為、引っかかることなく、スッと椀を持ち上げることができます。この工夫のおかげで、お味噌汁を飲むときなど、軽く安定して持ち上げられ、槐の口当たりと相まって、実に美味しくいただけます。お味噌汁が1.5割増しで旨くなりますww
○箸
お箸は3膳ほど持っていますが、今一番のお気に入りはコイツです。岩手県の込山裕司さんの作品です。
まず材質ですが、北上山系の標高500m以上の山肌にまばらに自生しているオノオレカンバ(斧折樺:別名アズサミネバリ)というかばのき科の木です。この木もまた、その名の通り、斧が折れてしまうくらい堅い木で、目の詰まった部分は水に沈む程重く、ずっしりしっかりした木だそうです。1mm太くなるのに3年くらいかかると言われる木ゆえ、とても希少性の高い木でもあります。ちなみに別名の梓(アズサ)という木は皇太子殿下のお印でもあります。
お箸の形は五角形。五角形は指と指の間のおさまりが良い形で、とても使いやすい。これきっとお子さんのお箸の持ち方練習用にも打って付けだと思います。5つの角があるので、お豆も滑りにくく、麺類は切れにくく、普通の丸箸などと比べると格段の使いやすさがあります。しかも、名入れをしてもらったので愛着もひとしお。
やはり毎日使うものは(値段の多寡ではなく)見て美しく、使って気持ちの良いものに限ると思います。
ちなみに写真にある箸置きですが、我が家では必ず季節にあった箸置きを使うようにしています(たまたま雪だるまの箸置きが洗ったばかりだったので、紅葉で代用しました)「こんなもん!」って思うでしょ?でも、箸置き一つ使うか使わないかで、食卓の彩りがガラッと変わりますから、決して高い物でもないので一つ使ってみてはいかがでしょうか?
愛着品紹介010-「痒いのは指一本分だ!」〜八重桜の銘木、孫の指〜-

昨日の手帳オフでこの製品について話したら妙にウケが良かったので急遽エントリーします!
高齢の頑固職人がおっしゃるには、
「痒いのは指一本分!ピンポイントで掻ければそれで良いんだ。手じゃなくて指なんだよなぁ。欲しいのはさ。」
銘木とは、全国銘木連合会の専務理事を務められた春永剛聖氏によると、「貴重な木材の総称で、具体的には高品質木、大径木をはじめ、奇木、変木、老木、社寺木、由緒木、枯損木、稀木などであって、一般材とは品位を著しく異にし、優美な色彩、光沢を持ち、かつ美麗な木目などを備え、趣のある用材を採材できる原木およびその加工品をいう」と定義しています。僕は、非常に美しい木を何年~数十年も寝かせた良質の木材のことだと思っています。家具や茶道具や丸盆などに使われることが多いものです。実は木というのは切り倒したら即使えるものではありません。切ったあとでも呼吸をしているので、反ったり歪んだり、形が変わるものなのです。ですので、十分に寝かせて乾かして、十分丈夫になってから、加工して初めて製品になるのです。
そんな貴重な銘木(の端材)を使って作られたのが一風変わったこの孫の手です。背中が痒いとき、痒い場所は爪楊枝の先くらいの範囲で感じていることなのに、その周りも掻くから痒みが他にも移って、結局背中全体を掻かねばならなくなるというのが、この職人さんの主張です。なので、この孫の手の先端は約1センチ。孫の手ならぬ『孫の指』なのです!「うそだ~?」って思うでしょ?でもホント。騙されたと思って買って帰ったのですが、確かに痒いところってほんの少しなんですよ。痒みが他に移動することもないので、もんのすごく気持ちいいのです!!
さくらの木です。
コレが先端!
グリップも秀逸!
これ本当に職人さんの遊び心が作らせただけあって絶妙な一品でして、長さといい、形といい、本当に痒いところをピンポイントで掻ける優れもの。先端の丸みも上手いことよ~く削ってあるので、直に皮膚を掻いても痛くないし、手を背中に回した時に無理なく自然に握れるグリップも秀逸です。銘木ですから、木目の表情も実に美しい。美を感じる孫の手なんてそうは無いと思います。ウッチャン・ナンチャンの、ウッチャンが司会している時には必ず何か棒を持っているでしょう?あんな感じでTVを見るときとか、別にどこも痒くないのに、必ずこの孫の指をいじくり回しています。持っていてもさすっていてもな~んか落ち着く不思議な逸品です。
我が家にある孫の指はサクラの木を使ったもの。他にもケヤキとかクリとかもありますが、このサクラはなんと八重桜の銘木というからもう私のツボに入りまくり。また銘木はこれで木が死んでしまったわけでは決してなく、これからもさらに反ったり伸びたり成長していきます。しかも、毎日触っていると手の油分がワックスとなり、艶が出てきて、今以上に丈夫になっていってくれます。まさに一生物です。早く艶が出ないかなぁと毎日撫でているわけですww
しかし、この逸品も、この職人さんがいらっしゃらなくなったら、もう二度と手に入らないものになってしまうと言います。全くもって惜しい!実はこの商品はネットからも買えます。しかし、在庫数に限りがあり、且つ、完全ハンドメイドですし作れる銘木も数に限りがあることから、絶対に大量生産できないものなので、あまりおおっぴらにリンクを張るのはどうかと思うので、欲しい!と思った方がいらっしゃったらTwitterの@kazumotoをフォローしていただいて、DMかメッセージを送ってください。URLをご連絡いたします!ちなみにこの商品これだけの逸品にも関わらず¥1,800です!!安い!(と思いません?)
EvernoteとDropboxの使い分け-私の場合-
本日(しまった!日付変わってた!)@beck1240さんの呼びかけで、渋谷で手帳オフ会に参加してきました。当然手帳オフですから、手帳の話しもかなりディープで、特に@mehoriさんのユビキタス・キャプチャーの歴代モレスキンは圧巻でしたし、@beck1240さんのほぼ日カズンも熱かったし、@kobutako2ko2さんのフランクリンプランナーの手書きリフィルとか、マインドマップも凄かったのですし、@m0r1さんの手帳無し派というスタンスも面白かったのですが、話しは次第にEvernoteとDropboxというクラウドサービスの2大巨頭の棲み分けという話しになりました。@mehoriさんはもちろん、@beck1240さん、@m0r1さん、@kobutako2ko2さんから、具体的な使い方を聞けたことは、とても貴重な情報でした。
雑誌の気になるページをPDFファイルにしたとして、それをEvernoteに入れるべきか、Dropboxに入れるべきかと悩むことはありませんか?どっちに入れたとしても、自宅のMacでも、会社のWinPCでも、iPhoneでも引っ張ってこれることに違いはありませんから、どっちに入れたって良いということになるのですが、どうやって棲み分けするのが適当なのでしょうか?
今日の話しの中で「普段私たちは複数の顔を持っている」という話しが出ました。この一言で「僕の使い方はまんざらヘンではなさそうだ」と思えたので、記事にすることにしました(^^;) ます、少なくともプライベートの顔と、仕事場での顔とがいて、両名が必要としている情報は異なるのではないかと思うのです。具体的に言うと、私は光学関係の仕事をしていますが、仕事では反射率が何%だとか、励起波長が何nmだとかいう情報は必要な情報ですが、プライベートでは全く必要ありません。プライベートでは、職人技で作られたお椀の蘊蓄とか、ささくれを防ぐ方法だとか、そんなコトが欲している情報だったりするわけです。
この考えに即して、私はココ数ヶ月、プライベートで気になった情報はほぼ全てEvernote。仕事で必要なMicrosoftOffice系の資料や仕事に関するデータは全てDropboxと使い分けています。(一部の閲覧頻度の高いPDFファイルはGoodReaderを使って、iPhoneに入れています)
会社で必要な資料をDropboxに集めることのメリットは、Dropboxフォルダの中でほぼ全ての仕事が完結する環境が作れることです。フォルダをCドライブやDドライブのあちこちに作って、その整理に時間を取られることが無くなることだけでも大きい変化でした。常にそのフォルダにアクセスすれば必要とする情報は全部あるのですから安心度が違います。私が仕事で使うファイル量はそれほど多くないので、無料の2GBで今のところギリギリどうにかこうにかなっています。アップグレードが必要な時は近そうですが(^^;)
対してEvernoteは完全に私個人が気になった情報の集積場。Premium会員になったことで完全に箍が外れ、気になった情報をポンポンと日々コツコツ預けていっています。EvernoteのCEO Phil Libin氏が言う『外部脳』とは、攻殻機動隊で言うところの『外部記憶装置』だなぁと最近つくづく思えるようになりました。読んだ本のメモ、気になった伝統工芸品の蘊蓄、所有物のリスト、気になったブログの記事、気になった製品の記事、生活のアイデア等々。ぜ~んぶ放り込んであるので、あとからザーッと見るだけでも、「あ!この職人さんの技術は、コッチの製品にあればもっと良い!」とか、「整理整頓に関する記事が多いなぁ」とか、気になったものをくっつけたりしてアイデアになることもあれば、単純に興味の傾向を知ることができるようになる感じがします。(最近Windows関連の記事は全くスルーするようになっているのが明らか!)
Evernoteに預けた、気になったことを引っ張り出すのには、タグを使用しています。預ける時、もしくは読み直した時に「感じた重要度(5段階)」「後で探す時に考える"だろう"キーワード」をタグとして付けていきます。今のところ、ノートブックは「名刺」「取説」「雑誌スクラップ」「セミナーメモ」といったくらいで、基本的には「000_UbiquitousCapture」というノートブックに集まっています。アタマに000と付けているのは、追々整理する必要がありそうだからです。この整理は始めるととっても楽しそうなので、もうちょっと貯めつつ、ちゃんと考えてからやろうと画策中です。
ただ、全てをEvernoteに!と行かないのは『動画』の存在です。最近、面白い動画があちこちにあるのですが、これをEvernoteに集めることは今のところできません。その為、動画を取り扱った記事の場合『動画』タグを必ず付けるようにして、後で追えるようにしています。ココだけもの凄く残念ですねぇ。上手い方法はないものか?
私のMacBookに残るデータは音楽のデータと動画、写真です。音楽データと動画はDropBox、写真はFlickerが良いのかな?この辺もおいおいという感じですね。
とりあえず、Dropboxは外付けHDDみたいなものだと言えば、とっつきやすいし、使い方がイメージし易いサービスなのかなと思います。反面Evernoteは非常に説明しづらい。スクラップブックでは軽いし、外部脳ではイメージしづらいし。しかも気になったことをとにかく"貯めて"いかないと、ある程度数がまとまらないと、その真価がわからないサービスだと思います。貯められなくて使わなくなる人も多いんじゃないかなぁ?
でも、これは多分「情報を集める」なんて堅苦しい言葉を使うからだと思いました。
「インターネット見ててさ、面白いなぁとか、コレ欲しいなぁとか、この文章良いなとか、この本はこういう角度からも読めるのか!とか「へ~」とか「おお!」とか「ほほ~」とか思うコトってあるでしょ?それを集めておけるんだよ」とか「オンリーワンのデータベースが作れるんだぜ!」とかいう説明で良いんじゃないかと思います。Googleで検索すれば良いジャンという人もいると思いますが、「でもさ、過去に興味を持った製品名が思い出せないから検索してもHITしないとか、もう一度検索してもその情報に辿り着けないということを無くせるんだぜ」って説明すれば少し違うのかもしれないなと思います。
まぁ、偉そうなこと言ってもまだまだ使い込めていませんけどね。何かの参考になればコレ幸いです。
魁皇関の努力と浅田真央選手の努力

「(記録は)意識していたわけではなく、目の前の相撲を1番1番取っていくしかない」NHKニュース
バンクーバオリンピックへの出場を決めた浅田真央選手が全日本選手権の直前に言っていた一言「オリンピックに出たイメージはいつもいつも描いているので・・・」これは将に目標を達成するイメージを明確に描き出し、行動へのモチベーションとしている良い例だと思います。
時間という山の登り方-ライフハック心理学セミナー感想-

ということで、全てのアクションを見積もる必要が生じたのだろうと思い至ったわけです。
私の時間管理はあまりにも適当ですし、私の心の動きも変みたいなので、今はたまたま上手く箱に収まっているだけなんでしょう。いずれ来るであろうピンチに備えてライフハックやマインドハックの類いはEvernoteにドンドン収集しておこうと思います(笑)
接客の奥義『本番共有力』
実はこの内容とほぼ同じことを年始に家内と話していてひとつのキーワードが浮かびました。それが『本番共有力』です。
具体例を挙げると、家内は仕事用の服を23区とかINEDやCOPE DE CHANCEなどで物色する(私は付き合わされる)のですが、このところINEDばかりになってきました。理由は店員さんの応対がとても気持ちの良いものだから。
では、どういう仕草が気持ちよく感じるのか。柳原加奈子さんの芸ではありませんが「今年の流行で~」とか「良~くお似合いですぅ」とか「すごい売れてるんですぅ」等のセールスポイントを一方的に捲くし立てられるのは私たちにとっては正直ゲンナリする以外の何物でもありません。
そこへ来るとINEDで贔屓にしている店員さんはまずこう言います。
「どのようなシーンでお召しになられるものをお探しですか?」
普段着を探しているのか、重要な仕事の席で着るものなのか、外出が多いのか、室内での仕事が多いのか、座っている時の姿が綺麗に見えるものを探しているのか、立ち姿が綺麗に見えるものを探しているのか。とにかくこちらが考えている利用シーンをじっくりヒアリングして、初めて「では、こちらなどはどうでしょう?」と薦めてきてくれるのです。当然試着した際も、そのシーンに合うように座り姿重視であれば椅子を用意してくれますし、立ち姿であれば、大きい鏡の前に案内し、実際に歩いている姿を確認できるように段取りをしてくれます。(で、その姿を家内があとで確認できるようiPhoneで撮影させられる私・・・)
これは、何もB to Cだけの話ではなく、B to Bでも同じことでしょう。「客の立場になって考えろ」とはどこの会社でも言われていますが、その奥義の一つが『本番共有力』だと私は思っています。客と一緒に利用シーンを共有し、どういうものであればそのシーンで使えるか、例に挙げた洋服であれば利用シーンにふさわしく、着ている本人の魅力を引き出すものなのかを共に模索していくこと。これが客の立場になって考えることに他ならないと思うのです。
何も商品の安さだけがセールスポイントではないはずです。正直、同じようなスカートが23区にあって、そちらが安かったとしても”気持ちよく買えるから”家内はINEDを選んでいます。私も豊富な商品知識があり、こちらの要望を満たすものを一緒に探してくれるお店を贔屓します。なによりこうした接客を常とする店員さんからは「金の臭い」がしないのです。客を見たらカモがネギを背負って来たとばかり、如何に買わせるかという商売っ気オーラ全開で接客されても逃げ口上を考えるようになってしまうのに。
接客のみならず、友達と話をしているとき、同僚と話をしているときに、この点を少し注意するだけでグンっと距離が縮まると思います。
命の原点-書評『マタギ-矛盾なき労働と食文化』-

“今では魚でも肉でも綺麗にパック詰めされている。それが命あるものだったとは感じさせない妙な工夫が施され、単なる食材としてしか意識されない。食肉は特にそうだ。まず命を奪うことから始まり、血と脂の中で解体されていく行程がまったく隠されているのだ。果たしてこれは正しいことといえるのだろうか。私はそうは思えない。他者の命を頂くことで人が生きていくという大切な行為は、狩猟の中にその全てをみることができる。
“「ばかくさい」弘二さんはきっぱりと言う。金を拝むことを喜びとはせず、自然の中から深い喜びを得る暮らし。そしてそれを共有できる人達とのつながりを宝とする、素晴らしい生き方だ。このような考え方は現代社会からは殆ど消えていきつつある。
「日報」を能動的に使うHack!

『WALDEN 森の生活』読了!

本は、書き手と同じひたむきな気持ちで読まねばならず、書き手が込めた深い意味を推し量りながら読まねばなりません。
ここに私の家具の品目を挙げておくと、ベッド、テーブル、机がそれぞれひとつ、椅子三つ、三インチの手鏡、暖炉の火箸と薪を載せる台、やかん、鍋、フライパン、ひしゃく、食器洗い用ボウルがそれぞれひとつ、ナイフとフォーク二セット、皿三枚、カップ、スプーン、油差し、糖蜜差し、それに漆塗りのランプがそれぞれ一つなどです。