ホームレスのおじちゃんから学んだ真理

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「私はホームレスだったことがあります」と言ったら驚かれるでしょうか?19歳の初夏のことですが、2ヶ月あまりホームレス生活を送っていたことがあります。事情が様々重なり、半ばヤケになって、新宿の中央公園、新宿駅西口で過ごしたことがあります。

ホームレスがどういう生活をしているのか、気にとめたことの有る方は少ないと思いますので、ちょっとホームレスのサバイバル術を公開します。実はホームレスも結構大変です。普通の生活より大変だと私は思っています。 
(今とは違うと思います。良い方向に変わっていて欲しいのですが)
まず寝床の確保。中央公園には主みたいなお爺ちゃんが居て、この人の許可が無いと場所をもらえません。無断で寝ていると怒られて叩き出されてしまいます。西口も同様。指定席みたいに寝場所が決まっていて、知らずに寝ていると本気で怒られます。ちなみに夏場は地べたに直接段ボールを敷いて寝ると熱いので、数枚の段ボールをハニカム構造みたいに組み合わせて簡易ベッドを作ると快適です。


食事の確保は一筋縄ではいきません。コンビニのゴミを漁るのは王道として、お店のあまりものとかをもらえたら超ラッキー。たまたま知り合ったおじちゃんが若い新入りに同情してか、色々と割の良い店を教えてくれたので、何とか食いつなぐことができました。ちなみに歌舞伎町の寿司店には良い人が多く、閉店直後に行くと良物が手に入る確立が高く、おじちゃんにあげて恩返ししていました。

収入源は日雇い労働が主流だし、一番高額な仕事になるのですが、意外とバカにならないのは雑誌の路上販売。少年ジャンプや少年マガジンなんてコンビニのゴミ箱から拾ってきたのを100円って書いて並べて置けばマジで売れていきます。必ずやらなきゃいけないのが、ページのチェック。切り取られてたり、ガムがくっついているのは除外しないといけません。エロ本の類も他の雑誌の表紙を貼り付けて、「ワケアリ品」と書いておくと買っていくサラリーマンは結構いましたねww

あとは、炊き出しの情報とか、そういうのは完全にクチコミ。ホームレス同士のクチコミネットワークは命綱とも言うべきものでした。特に衣類は炊き出しの時にもらえたりするから結構重要。寒くなるとより良い衣類を沢山重ね着する必要があるので、夏からせっせと溜めておく人もいました。

結局ホームレスも衣食住は必須だし、経済活動は必要なわけです。但しそれが世間一般で言うところの「普通」より下に見られているだけなんです。銭湯には欠かさず通っている人も多くいますから、みんながみんな垢まみれってわけでもないのです。

さて、何でこんなことを書き出したかと言えば、私のことを親身になって話しを聞いてくれて、食事の情報、炊き出しの情報、快適な寝床の作り方、挨拶しておいた方が良い人、最後はこの状況からの脱出方法まで、何から何までお世話になった、おじちゃんがこう言っていたことを、思い出したからです。

「なーんにも、知らなきゃ今の生活で充分満足なもんだよ。知らないってのは幸せなもんだよ」

石庭の素晴らしさで知られる京都の龍安寺に写真の蹲踞(つくばい)があります。あまりにも有名なのでご存じの方が多いと思いますが、真ん中のお水を入れる四角を共有すると、上から時計回りに「吾唯足知」(われ ただ たるを しる)と読めます。

元は禅問答で用いられた言葉ですから、本来は一生を賭しても悟ることは難しい深遠な言葉だと思いますが、解説には「満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である」と解釈するとあります。

古今東西の賢人も同じようなことを言っています。
老子は「禍は足るを知らざるより大なるは無い」「足るを知るの足るは恒に足る」「足るを知る者は富む」と言っていますし、アリストテレスは「幸福はみずから足れりとする人のものである」と言っています。預言者ムハンマドも「まことの豊かさは物資の潤沢さからのものではなく、心の豊かさからのものである」と言っています。


周りを見渡すと、常に不平不満ばかり言っている人がいませんか?足るを知らない人は一つ満たされても次から次へと新たな不平不満を見つけ出してくるようです。なぜ不平不満が出てくるのでしょう?ひとつには、それは人と比べるところにありそうです。自分が持っていないものを人が持っているとき、人を妬み羨む気持ちが起こり、人と比べて自分の現状に満足できず足りないと感じるところからくるのかもしれません。また、物事が自分の思い通りにならなかったり、自分の気持ちを勝手に人に期待し、人がそれに応えられなかったりすると不平不満が出てきがちです。いずれにせよ、要するに我執であり、自己中心的な状態のときに不平不満が出てくるものだと言えるのではないでしょうか。

そう考えると、おじちゃんの言葉は真理を突いていたんだなぁと今になって思い至りました。新しい製品、新しいサービス、流行の洋服等々、今や情報があふれかえっていますが、おじちゃんの言うとおり、そんなものの存在を知らなければ、今の状態で「満足することを知る」ことが出来るのです。私たちは極めて相対的なことで幸せや不幸せを感じているに過ぎないとも言えます。

人の欲には際限がありません。欲を追い求め続けてもきっと全ては手に入らないと知っているだけでも、楽になれるかもしれません。スーパーマン・スーパーウーマンではない、普通の人であれば、余計にどこかで折り合いをつけて満足することを知っておいたほうが良いでしょう。もっともっとと求め続けていては、決して「幸せ」にはなれないのかもしれないのですから。

私は、あの頃に比べたら夢の様な生活を今、手にしています。風雨を避けられる快適な家があります。職業があります。お給料をいただけています。お腹いっぱい食べられます。洋服もあります。大好きな家内が傍にいます。何かと和ませてくれる愛犬が2匹います。一体何の不満があるでしょうか!?

ホームレス生活最後の日、別れ際、おじちゃんに「お前にはまだまだ先がある。ココの生活に戻ってきては駄目だ!いいか!絶対に駄目だぞ!ココにも出来るだけ近づくんじゃないぞ!」と肩をガタガタ揺さぶられ、真剣な眼差しで言われた言葉が、今日は何だかとても重く感じました。

あなたは「満足を知って」いますか?

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